9‐2
「いい加減にしてよ!誰があんた達なんかとっ。眼中無いのよっ!」
「ンだとっ?言わせておけば、いい気になりやがってっ」
近付くにつれて、目の前から穏やかでない会話が聞こえてくる。
(うわ…この子、結構気ィ強いんだな…)
意外な一面を見てしまった感じだ。
(雅耶といる時は、そんな雰囲気ないのに…)
だが、何にしても既に一触即発状態だ。
このまま止めずにいると、事が大きくなりそうな予感がして冬樹が踏み込もうと意を決した時だった。
バチンッ!
彼女の方が4人いる男の内の一人に、ビンタを食らわせた。
「汚い手で触らないでよっ!」
「このアマッ!!」
案の定、男達の怒りはMAXへと到達し、頬を叩かれた男が怒りに任せて手を振り上げた。
「きゃっ…」
彼女は避けようもなく、目をつぶって構えたその時だった。
「………?」
来ると覚悟したはずの痛みが無くて、唯花はそっと目を開けた。
すると、男達の視線は自分ではなく、彼らの後ろに立っている一人の少年に向けられていた。
いや、『少年』とは言っても、男達と同じ制服を着ている高校生なのだが…。
自分に手を上げようと振り上げた男の手は、その後ろの少年に掴まれて、未だその状態を保っていた。他の男達も、割って入って来たその少年に驚いているのか固まっている。
(あれ…この子…。確か久賀くんと一緒にいた…)
見た目、涼しげな顔をしたその少年は、ゆっくりと口を開いた。
「先輩方…注目を浴びてますよ。学校の目の前で揉めた挙句、女の子に手を上げちゃうのは、ちょっとマズイんじゃないですか?」
「お…まえ…」
「1年A組の…野崎…?」
唯花の目から見ても、男達の表情が変わったのは明らかだった。
「…わ…分かったよ。分かったから手…放してくれよ…」
そう小さく言って、まるで少女のような細い手から解放されると。
「…手間、掛けさせたな…」
そう少年に謝ると、その場から立ち去って行った。
去って行く男達の頬が微妙に赤かったのは、多分気のせいだと思いたい、唯花だった。
男達が去っていくのを見送っている、その少年の横顔を唯花はじっ…と見詰めた。
(この子…何者なの?あんなにしつこかった連中を簡単に…。それに、この子…。何だか…キレイ…)
その視線に気付いたのか、少年はこちらを向くと、
「…雅耶ならもうすぐ来ると思うよ」
僅かに表情を和らげてそう言うと「じゃあ…」と、そのまま背を向けて歩き出した。
「あっ…あのっ!」
咄嗟に、唯花が引き留めるように声を掛けると、その少年は足を止めて振り返った。
「ありがとうっ」
慌ててお礼の言葉だけ述べると。
その少年は一瞬驚いたような表情を見せたが、ふっ…と柔らかな微笑みを浮かべると、照れたように小さく頷いた。
そうして、ゆっくりとその場を後にしたのだが、唯花は勿論、その場に居合わせた者達は、その冬樹の笑顔に目を奪われ…。まるで一瞬、そこだけ時が止まってしまったかのように皆が動きを止めていた。
だが、次の瞬間。
その静寂を破るように、バタバタと駆けてくる足音が近付いてきた。
校門から勢いよく出て来た人物、それは…。
「久賀くんっ!」
「唯花ちゃんっ?大丈夫なのかっ?何か絡まれてるって話を聞いて…っ」
(それで、急いで駆けつけてきてくれたの?)
目の前で僅かに息を切らしている雅耶を見上げると、
「…久賀くん…」
唯花は嬉しそうに頬を染めた。
「あのね…久賀くんのお友達が助けてくれたのっ」
「…友達?」
訝し気に首を傾げている雅耶の後ろから、一人の生徒が控えめに声を掛けてきた。
「…野崎だよ。野崎がその子に手を上げようとした上級生を止めて、仲裁に入ったんだ」
「えっ…冬樹が…?」
雅耶は驚いて周囲を見渡した。だが、もうその姿は何処にも見当たらない。
「…その子なら、もう帰ったよ…?」
控えめに唯花が伝えると、雅耶は明らかに落胆の色を見せた。
「…そっか…。帰っちゃったか…」
(久賀くん…?)
彼の名が出た途端、自分の方に視線も合わせてくれなくなった雅耶に、唯花は何処か面白くない気持ちになった。
帰り道、一緒に歩いていても、ずっと上の空な雅耶の様子に唯花は下唇を噛む。
柔らかく微笑む、先程の綺麗な少年の姿が脳裏に浮かぶ。
(唯花より、あの子のことが気になるの?…久賀くん…)
だが、そんな言葉を口にすること自体、女のプライドが許さない。
「さっきの…野崎くんって…久賀くんと仲良いの?」
隣を歩く唯花がおずおずと聞いてきた。
「…え?ああ…うん。あいつとは幼馴染でさ、俺にとっては兄弟みたいなものなんだ」
「えーーーっ?!そうなのーっ?!」
何故だか心底驚いている。
唯花は思わず立ち止まり、両手を口に当てながら「やだーそうだったんだー」とか、ぶつぶつと小さく呟いている。
だが、そのうち満面の笑顔を向けると言った。
「でも、幼馴染みで高校まで一緒なんてスゴイねっ♪本当に仲良しなんだねっ」
「んー…まぁ、ずっと一緒だったって訳じゃなく、高校が一緒だったのは本当に偶然だったんだけどね」
その言葉に「?」を飛ばしている唯花に、冬樹が引っ越した後、再び高校で再会したことを簡単に説明する。
「へぇーそんな偶然もあるんだね。スゴイねー。…でも、凄いと言えば、野崎くんってホントに凄い人じゃない?」
「凄い…?」
「うん。しつこく絡んできた男の人達を一人で追っ払っちゃったんだよー。あー、でも…追っ払ったっていうよりは、諭しちゃった感じ?」
そこまで聞いて、実際何があったのかずっと気になっていた雅耶は詳しく唯花に話を聞いてみることにした。
「ふーん…。そうか…」
唯花の話を聞く限りでは、多分…。
(その上級生達は、冬樹のファンか何か…だな…)
何にしても、止めに入ったのが冬樹だったからこそ素直に引いてくれたんだろう。
「あいつ、ある意味有名人だからなー…」
家の机の引き出しに、こっそりと仕舞ってある冬樹の写真を思い出して雅耶は苦笑した。
「そうなの…?でも、すごく優しくて勇気のある人…だよね。あの時…見てた人沢山いたけど、他の人達は誰も助けてくれなかったもの…」
「あいつは、昔からそうなんだ。困っている人がいると後先考えず動いちゃうタイプでさ。逆にそれであいつの方が危ない目に遭ったりして、いつも俺達が――…」
そこまで言い掛けて、雅耶はハッ…とした。
(違う…)
困っている人を見て後先考えず行動してしまうのは、冬樹じゃない。
(それは…夏樹の方だ…)
雅耶は己の内で愕然としていた。
夏樹は、いつだって危なっかしくて、放っておけない存在で。
でも、正義感が人一倍強く、自分の気持ちに素直で。
明るくて、思いやりがあって、優しい人物。
そんな夏樹を誰よりも理解していて、いつだって傍で見守っていたのが冬樹だった筈だ。
「久賀くん…?どうしたの?」
唯花に声を掛けられ、我に返る。
「あ…ああ、ゴメン。…何でもない…」
(何で、俺…冬樹と夏樹がごっちゃになってるんだろ…?)
その後は別の話題に切り替え、唯花と何気ない話をしながら帰ったが、自分の中ではどこか冬樹のことがずっと引っ掛かったままだった。
雅耶は自宅に帰ると、テスト勉強をする為机に向かっていた。
だが、ふと思い出して引き出しの奥に仕舞ってあった封筒を取り出した。封筒の中身は、以前長瀬に売りつけられた冬樹の写真4枚だ。
雅耶は写真をそっと取り出すと、順にめくってそれらを眺める。
(この写真を俺以外の何人の生徒達が持ってるんだろうな…)
今日、唯花に絡んだという上級生達も持っていたりするのだろうか?
そう思うと、何だか複雑だった。
4枚の中の、ひとつ。食堂に一緒にいた時の冬樹の写真に手を止める。長瀬が、清香姉との噂の真相を冬樹に直接聞いて、それに対して大笑いされた時の写真だった。
(この写真があるってことは、あの時にも何処かに写真部がいて、ちゃっかりカメラで狙ってたってことだよな…。ある意味、スゴイ部活魂だな…)
笑い過ぎて涙まで浮かべている、無邪気な冬樹の笑顔。
最近冬樹は、本当に笑顔を見せるようになった。
何より、感情を表に出せるようになったと思う。
入学して間もない頃は、いつだって人を寄せ付けないような無表情で、対応も無愛想だった。
(環境が変わったことで、冬樹も少しづつ変わって来れたんだろうけど…)
春休みに駅前で見掛けた時、転んで泣いている小さな子に優しく手を差し伸べて笑顔を向けていたことを考えると、敢えて無表情を装っていたのかも知れないとも思う。
「………」
雅耶は写真の中の冬樹をじっ…と見詰めながら、現在の冬樹の様子を思い浮かべていた。
(やっぱり今の冬樹は、昔の夏樹とかぶる…気がする…)
冬樹だって元気で明るくて優しい奴だった。
基本的なところは、本当に二人ともよく似ているのだ。
だが、冬樹は兄として夏樹を本当に大事にしていたから。どちらかというと、冷静に周囲を観察出来る奴で、夏樹の気持ちも行動も本当に良く理解していて。いつでも夏樹の一歩後ろで笑って見守っている…そんな奴だった。
だが、今は…。
(見守るべき存在の夏樹がいなくなったことで、本来の冬樹が出て来た…っていうことなのかも知れないな…)
多少の違和感を感じながらも。
やっぱり双子の二人は、よく似ている…ということなのだろうと雅耶は考えるに至ったのだった。