8‐2
「しっかり説明して貰おうじゃーないのっ!」
雅耶の席の机に手を付くと、乗り出すようにして長瀬が雅耶に詰め寄った。
「なっ…何をだよ…」
雅耶は周囲のクラスメイト達の視線を感じながら、苦笑いを浮かべる。
「とぼけんじゃないってーのっ!お前、いつの間に彼女なんか作ってんだよー。ずりぃぞーっ。抜け駆け反対ーっ!」
長瀬の大きな声で尚更皆の注目を浴びてしまい、雅耶は慌てて長瀬を押さえつけた。
「バカっ。お前、声大きいって…」
クラスメイト達の耳がこっちへ集中してるのが分かる。
長瀬を押さえ付けながら教室内を見渡すと、一番奥の窓際の席で冬樹が机に頬杖をつきながら窓の外を眺めているのが見えた。
「今更隠したってしょーがないだろ?みーんな知ってるっつーの!あんな毎日のように門のとこに立ってお前出てくるの待ってたらさー。既に知らない奴の方が少ないんだよっ」
「そ…そうなのか…?」
「そうなのっ!だから観念しろよっ。いったい何処で出会ったんだよーっ。あんな可愛い子!あの子星女だろ?星女の友達紹介しろよー」
『星女』とは女子高、『星原女子学園』の略である。
長瀬の声は教室中に響き渡っていた。
その一声にクラスメイト達は目を光らせると、途端に雅耶に群がった。
「そうだそうだっ!紹介しろーっ。久賀っ!合コン設定しろよっ」
「俺も俺もっ!紹介してーっ」
皆が、目の色を変えて飛びついて来る。
そう、彼らの狙いは全て同じ。
女子高に通うの女の子達との出会いなのだ。
「さぁ観念したまえ!雅耶クン!」
長瀬を筆頭に皆が雅耶に詰め寄ってくる。
「別に…俺…まだ付き合ってるって訳じゃないんだけど…」
控えめに雅耶が口を開くが、
「この際そんなこと、どーでもいーのっ!とにかくあの子の友達紹介しろ―っ」
「「そーだそーだーっ!」」
「あー…結局、そういうことね…」
「「合コン!合コン!合コン!!」」
群がっているクラスメイト達の声がハモっている。
(こんな時だけ、妙に団結力あるってイヤだなー…)
周囲で勝手に盛り上がっているクラスメイト達の隙間から、雅耶はチラリ…と窓際の席の方へと視線を移して見たが、先程まで座っていたその席に冬樹の姿はなかった。
最近クラス内では、専ら雅耶の彼女の話題で持ちきりだった。
昼休みになり、いつも通り仲間達と集団で食堂へと向かうその時でさえも、皆話題は同じようなことばかりだった。
(流石に私立の女子高ともなると、男達の憧れ…とかなんだろうけど…。でも、ここまで皆目の色変えちゃうもんなんだな。…確かに制服可愛かったけど…)
冬樹は冷静にクラスメイト達を傍観していた。
「ねぇ、合コンやるとしたら冬樹チャンも勿論行くっしょ?」
嬉々として話してくる長瀬に、冬樹はオムライスをつつきながら首を振った。
「いや、オレはそういうのはいいよ」
「へっ?何でっ?」
同じテーブルに座っていた仲間達も不思議そうに、そんな冬樹に注目する。
斜め前の席に座っていた雅耶も、冬樹に視線を移した。
「オレ、基本的に殆どバイト入ってるし。だから時間的に難しいっていうのもあるけど…。もともとそーいうの苦手なんだ」
(何しろオレ自身女だし…。興味も何もないってーの)
これは言えないけれど。
それに…冬樹が何故、敢えて危険度が増す男子校を選んだのかというと、その理由が『女子がいないから』…だった。
同年代の女子を見ているのが辛くて、逃げたのだ。
おしゃれや可愛いものの話。好きな男の子のことや美味しいスイーツの話。そんなことで盛り上がっている、ふわふわキラキラした同年代の女の子達を見ていられなかった。関わりたくなかったのだ。
『もしも、ふゆちゃんがいて。自分が夏樹のままだったなら…?』
そんなことを少しでも考えてしまう自分が許せなかった。
彼女達の中に『夏樹』の影がチラつくのが苦痛だった。
それに、自分が成り得ない可愛い女の子に、恥じらい、色目を使って告白なんかされた日には、たまったものではない。
そんな思いを中学時代に何度か経験した冬樹は、苦痛から逃げるように男子校を選んだ。
後ろめたさと、ほんの少しの憧れを断ち切るように…。
「ヒューヒュー♪冬樹チャン硬派ーっ!…ってか、バイトなんかしてんのっ?そんなに毎日っ?」
長瀬が意外とでも言うように、驚いている。
「ああ、ほぼ毎日かな…。だってオレ、苦学生だから」
冬樹はそう言って鮮やかに笑うと、話は終わったとでも言うように、スプーンにすくったオムライスへと意識を向けた。
((…えっ…?苦学生?))
思わぬ言葉を、あまりにサラッと、あまりに鮮やかに笑いながら冬樹が口にしたので、誰もが気になりながらもその話題に触れることが出来ず、そこはそのままスルーされたのだった。
「でもさーっ。そんな硬派な冬樹チャンの好みの女の子ってどんな子なのか超!気になるにゃー。教えて教えて♪」
「えっ?オレっ?」
「あー確かに気になるっ!教えろよ、野崎っ」
「…うーん…」
折角食べる方に集中出来ると思ったのに、また質問が回って来て冬樹は手を止めると考える。
「あっでも、冬樹チャンの場合は、成蘭新聞部的には好きな男のタイプでも可だよん♪」
と、とんでもないことを言う長瀬に。
「…何でだよ…」
冬樹はとりあえず、ツッコミを入れる。
どう返答しようか考えていると、不意に斜め前にいる雅耶と目が合った。
「………」
(好きなタイプ…か…)
冬樹は、不自然にならないように視線を外すと、
「優しい人…とかかな。普通に…」
とりあえず、無難な答えを口にした。
「えー。他にはーっ?年上が良いとか年下が良いとかー。ロングヘアが良いとかショートが良いとかさー。巨乳が良いとか貧乳が良いとかー具体的に教えてよー」
「…いや。別に…ない。っていうか、お前サイテー…」
冬樹は白い目で長瀬を見る。
思い切り引き気味の冬樹の様子に長瀬は、
「えーっなんでー?男は皆そういうもんでしょー♪」
悪びれる様子もなく、にゃはは…と笑っている。
冬樹は小さく溜息をつくと、スプーンを手に取り今度こそ食事に集中し始めた。
そんなやり取りを今まで黙って横で見ていた雅耶は、
「男は…って。皆がお前と一緒みたいな言い方するなよなー」
呆れた様子で、隣の長瀬を肘で小突いた。
それを見ていた仲間達が、今度は雅耶に照準を向ける。
「じゃあさーそういうお前は、あの彼女のどこが気に入ったワケ?」
「…えっ…」
「そうだよっ。向こうから告られたって言ってたけど、久賀がOKした決め手って何だったんだ?」
と、話題がまた自分の方に戻って来てしまい、雅耶は苦笑いを浮かべると、釈明をするように口を開いた。
「だからー。別に、まだ付き合ってる訳じゃないんだって。もともと俺は、あの子のことを全然知らなかったし、断ろうとしたんだ。でも、そしたらあの子が『すぐに返事をしないで、もっと自分を知ってからにして欲しい』って言うから…」
話しながらも、だんだんと元気がなくなっていく雅耶に。
皆は黙って耳を傾けながら、思うのだった。
((こいつは、押しに弱いタイプだな…))
(ふーん…。そう、だったんだ…)
黙々と食事を進めながらも皆の会話に耳を傾けていた冬樹は、一生懸命弁解しているような雅耶を眺めた。
すると、再び雅耶と目が合った。
「ふーん。じゃあさ、あの子のことは置いといて…久賀の好みってどんなのなんだよ?」
仲間の一人が質問を返す。雅耶は、それに困ったような表情を見せると「俺も、別に好みとかそういうのは特にないかな…」と、笑って言った。
「何だよ。ないなら断らずにあの子と付き合ってみりゃいいじゃないか。それとも、他に誰か好きな奴でもいるのかよ?」
別の一人が口にした時だった。
(………?)
そんな何気ない一言に、雅耶の表情が一瞬曇った。
それはどこか悲しげな色をしていて。
冬樹は一人「ごちそうさま」をしてスプーンをトレーの上に置くと、そんな雅耶の表情をじっ…と眺めていた。
「好きな奴…か。いると言えばいる…かな。ずっと…」
どこか遠い目をする雅耶。
その言葉に、冬樹は心の中で衝撃を受けていた。
(『ずっと…』?)
そんな雅耶の様子に、長瀬は思い出したように口を開いた。
「あ。そっか。雅耶には、ずっと想い続けてる子がいるんだったっけ…」
詳しい事情を知ってる風な長瀬に、皆の視線が集中する。
「雅耶は、初恋の相手をずーっと一途に想ってるんだよ。…なっ?」
長瀬が冷かすでもなく普通に言った。
「まぁ…な…」
雅耶はその言葉を肯定をすると、話し手を長瀬に任せたように押し黙った。
「「…初恋?」」
その言葉に、皆は興味津々に目を光らせた。
(雅耶の…『初恋』の相手…)
冬樹も初めて耳にする話に、大きな瞳を見開いて聞いていた。
「確かー…幼馴染みの女の子…って言ってたっけ?」
確認するように長瀬が問うと、それに頷きながら雅耶が不意にこちらへと視線を向けてきた。
再び、雅耶と目が合う。
(え…?)
冬樹は、思わず我が耳を疑った。
(オサナナジミノ…オンナノコ…?)
冬樹が驚きのまま大きく瞳を見開いていると、雅耶が視線を合わせたまま、再び悲しげな色を見せた。
まさか…。…雅耶が『夏樹』を…?
ガタンッ。
音を立てて、冬樹は一人立ち上がった。
「ん?どうした?野崎…?」
隣に座っていたクラスメイトが、俯いている冬樹の顔を下から覗き込むが、
「…ゴメン…。オレ、先に戻るっ…」
そう言うと、冬樹は慌ててトレーを持って席を立った。
「えっ?…あ、おいっ」
あっという間の出来事で、皆が不思議そうに冬樹を見送っていたが、姿が食堂内から見えなくなると、それぞれが顔を見合わせ、「どうしたんだろ?」と首を傾げていた。
(冬樹…)
冬樹が出て行った方向をずっと見詰めていた雅耶に、横から長瀬が声を掛ける。
「なぁ…もしかして、冬樹チャンとその女の子ってー…」
「…ああ。俺が好きなのは、あいつの妹…なんだ…」
雅耶は視線を元に戻すと、既に冷めてしまった定食を食べるべく箸へと手を伸ばした。
冬樹は廊下を小走りに歩いていた。
そんなに急いでいる訳でもないのに、さっきから心臓だけがバクバクいっている。
周囲に人がいなくなると、冬樹は徐々にスピードを落とし、最後には足を止めてしまった。
「………」
そこの廊下の窓は開け放たれていて、蒸し暑い中にも穏やかな風が流れ込んでくる。
冬樹は、吸い寄せられるようにゆっくりと窓辺に寄ると、そのまま一人、外を眺めた。
『好きな奴…か。いると言えばいる…かな。ずっと…』
何処か遠くを見詰める雅耶の表情を思い出す。
『雅耶は、初恋の相手をずーっと一途に想ってるんだよ』
『確かー…幼馴染みの女の子…って言ってたっけ?』
長瀬の言葉に、悲しげな色を含んだ瞳を見せた雅耶。
(オレ…、知らなかった…)
まさか、雅耶が昔から『夏樹』を想っていたなんて。
『夏樹』がいなくなって、八年もの長い間…。雅耶はずっと、一人だけを想い続けていたというのだろうか…?
(でも、だからと言って、何でオレはこんなにも動揺してるんだ?『嬉しかった』り、『ときめいた』とでも言うつもりか…?)
馬鹿げている…と、自分でも思った。
そんなの…知ったところで、どうにもならないというのに…。
もう…今『夏樹』は、存在しないのだから。
「……はぁ…」
冬樹はひとつ溜息を付くと、窓の縁に頬杖をついた。
思わず動転して先に戻って来てしまったけど…。
(変な風に思われていないと良いな…)
冬樹は流れてくる風に吹かれて、そっと目を閉じた。
「えっ?…行方不明?その、冬樹チャンの妹が?」
食堂からの帰り道、雅耶は長瀬にだけ事の真相を伝えた。
「ああ…。妹だけでなく、両親も…な。だから、あいつは今年の三月までは親戚の家に引き取られていたんだ。それで、高校に入学するのを機に、こっちでひとり暮らしを始めたらしい」
「ナルホド…。それで『苦学生』って言ってたんだ…」
長瀬は珍しく真面目に話を聞いていた。
「見かけによらず苦労してるんだなぁ、冬樹チャン…」
「うん。だからさっきのは…あいつに、辛いことを思い出させちゃたのかも知れない…」
「そっか…。双子の繋がりって、普通の兄弟より強そうだもんなぁ…」
突然席を立ち、先に出て行ってしまった冬樹を思い出して、二人して神妙な面持ちで歩いていた。
「あっでも、待てよ。双子ってことは、もしかして冬樹チャンとその子…似てたりするのっ?あ…でも、男と女の双子だと二卵性になるから、そうでもないのか?」
「いや…似てるよ。昔はそっくりで見分けも付かない程だったよ」
そう自分で言葉にしたところで、雅耶はハッ…とした。
(もしかしたら俺は、冬樹と夏樹を重ねて見ていたんだろうか?だから、こんなにも冬樹のことが気になって仕方ないのか…?)
冬樹を放っておけなくて、もっと頼って欲しいと思う。
同じ男だけど、守りたい…と思う。
そして、いつだって笑っていて欲しくて…。
そこまで考えて、その思考をすぐさま打ち消した。
恋愛どうこうの話じゃない。
自分にとって冬樹は大切な幼馴染みであり、親友なのだから。
二人共が、兄弟のように育った、自分にとって大事な存在であることに違いないのだ。
ただ、夏樹は自分にとって一番身近な女の子であり、『恋』の対象に成り得ただけ…ということなのだろう。
今になって考えてみれば、冬樹と夏樹を想う自分の気持ちに、あまり差はないような気がした。
「でもさぁ、冬樹チャンと似てるってことは、きっとその子も成長してたら美人さんなんだろうねぇ。見てみたいなァ、雅耶が一途になるような女の子がどんな子なのかってさ」
そんな長瀬の言葉に、雅耶が元気なく笑った。
その切なげな横顔を眺めていた長瀬は、突然、雅耶の肩をガッチリと掴むと口を開いた。
「お前も辛い恋をしてるんだな。でも…思い出も大切だけど、新しい恋を見つけるのもアリだと思うぞっ。まだ若いんだし…なっ」
「…長瀬…」
そう言うと。
「だから合コン!やろうぜっ♪」
と、にこやかな笑顔を向けられ、雅耶はムカつく思いのままに、長瀬の鳩尾に軽くパンチを食らわせた。