6‐1
ある日の昼下がり。
食堂で昼食を取った雅耶は、長瀬と一緒に教室へと向かって歩いていた。
廊下の窓から見える空はどんよりと曇っていて、今にも雨粒が落ちてきそうだ。先日、この地域でも梅雨入りが発表されたばかりだが、毎日の様に続く雨模様に何だか気持ちも重くなりがちで、雅耶は小さく溜息をついた。
(午後の授業は、英語に数学か…)
正直、かったるい。
すると、すかさず横にいた長瀬が茶々を入れてきた。
「なーに?雅耶クン、溜息なんかついちゃって。悩ましげだのぅ」
相変わらずの長瀬の言葉に、雅耶は笑って言った。
「ばーか。そんなんじゃないって。午後の授業かったるいなーって思ってただけだよ」
「ふーむ…。ちょっと前までは、ホントに悩み多き青少年って感じだったくせにー。何その余裕のコメントー。つまらーんっ」
長瀬がふざけながらも、不満そうに腕を組んで言った。
「えー?何だよそれ?俺がいつ悩んでたっていうんだ?」
言われている意味が本当に解らなくて雅耶は首を傾げるが、それを見て長瀬は尚更ツッコミを入れてくる。
「えー?本当にもう忘れちゃってんの?あんなに誰かさんのことで思い詰めてたのに。…すっかり平和ボケした顔しちゃってまぁ…」
こういう時の長瀬の言葉は、本当に言葉遊びのような感じなので、雅耶は特に気にせず「えー?誰のこと言ってんの?ヒドイ言われ様だなー」…とか言いながら、笑って流していた。
すると、長瀬が何かに気付いて、
「おっ。ウワサをすれば…」
と、小さく呟いたので、雅耶は何気なく長瀬の視線の先を追った。
「あれ?冬樹…?」
階段の前に差し掛かると、丁度冬樹が階下から上がってくるところだった。
冬樹は二人を確認すると、若干表情を緩めた。
「…昼メシの帰り?」
「ああ。…お前はどこ行ってたんだ?飯はこれから?」
お互いに足を止めて会話する。
冬樹は口数はそんなに多い訳ではないが、あれ以来こんな風に普通に会話をしてくれるようになった。何より以前とは表情が違う。それが雅耶は嬉しかった。
「ん。ちょっと保健室行ってたんだ。今から食堂行ってくる」
「…って、どこか調子悪いのか?」
「身体測定…オレ休んでたから呼び出されただけ」
「ああ、そうなんだ…」
「じゃあな」そう言って、お互いに手を上げてその場で別れた。
その横で一緒に冬樹に手を振りながらも、コチラを見てニヤついている長瀬に雅耶は「…何その顔。やな感じ」と、軽く肘打ちを食らわせた。
「それにしても、冬樹チャンとはすっかり打ち解けたねぇ。良かった、良かった。雅耶の一途な想いが通じたんだねェ」
そう言って、にゃはは…と笑う長瀬に。
「またそんな誤解を招くような言い回しして。そういうの、ここじゃホントにシャレになんないからやめろよなー」
雅耶は周囲を気にしながら、多少声を落として言った。
「んー…確かに。こうも男ばっかりの中だと、そういう輩も稀にいるらしいからねぇ」
いわゆる男同士の恋愛というやつである。
「結構、色んな噂とか耳にするよ。例の…溝呂木先生みたいなアブナイ人もいるしさ。実際、ヤバイって」
あれ以来、冬樹は特に何も言い寄られたりはしていないみたいだが。
だが、冬樹に限らず、見た目綺麗だったり可愛い男子には、校内でファンがいたり、隠し撮りブロマイドなんかも裏で高値取引されていたりするというのだから驚きだ。
「男子校の中で潤いを求めるなんて不健康だにゃー。俺は彼女が欲しい!!」
長瀬はワザとらしく拳に力を込める仕草をしながら言った。
「ははは…そんなリキんで言うことかよ」
そのおどけた様子が可笑しくて雅耶は笑ったが、長瀬は不満気に口を尖らせた。
「なによォー。雅耶クンは彼女欲しくないっていうのォー?」
(…っていうか、彼女欲しいとか言う前に、そういうツッコミ方を長瀬はちょっと変えた方が良いんじゃ…?)
とか思っている雅耶だったが、口には出さず苦笑いを浮かべる。
「俺は別に…。そーいうのは追い追いでいいよ。まぁ…その時が来たらって感じかな?」
「何その余裕のお言葉。キィー!!ムカつくわっ」
すっかり板についた長瀬のオカマキャラ全開の反応に、雅耶は耐えきれず声を上げて笑った。
だいぶ空き始めた食堂で、冬樹は少しペースを上げて食事をしていた。
(急いで食べないと、授業始まっちゃう…)
今日は昼休みに入ってすぐに保健室へ向かうと、個別で身体測定をして貰ったのだった。
(何だか清香先生には、すっかり世話になりっぱなしだな…)
申し訳ない気持ちで一杯だが、正直有難いとも思う。中学時代は、とことん身体測定などからは逃げて来たのだ。実際、学校自体サボりぎみだったのだが。
身体測定などの協力は勿論大きなことだが、清香がいることで独りじゃないという安心感が生まれたこと、そして何より素の自分で話せる相手がいるということが、冬樹の中で大きな変化をもたらしていた。
(不謹慎だけど…バレたのが清香先生で良かったな…)
今更ながらに、つくづく実感する。
本当は秘密を知られた後も、ここまで清香との距離を縮めることになるとは、冬樹自身思っていなかった。
今まで、敢えて他人との距離を取って生きてきた冬樹には、ある日突然、秘密を共有出来る存在が出来たからといって、彼女とどう接したらいいのか分からなかったのだ。だが、清香はそれらの気持ちも察して、少しずつコンタクトを取り続けてくれた。
保健医でありながらも、スクールカウンセラーも兼任しているという清香は、何かと称して冬樹を頻繁に自分のもとへと呼び出し、話す機会を作ってくれた。そんな中で、少しずつ何気ない会話を続けるうち、冬樹にとって清香の傍は居心地の良い空間へと変わっていったのだった。
(清香先生は偉大だ…)
彼女という存在のおかげで、自分が少しづつ変わっていっているという自覚はある。
(雅耶とも、変に気負いせずに話せるようにもなったし…)
アルバイトでの『スマイル』練習にも少しずつだが繋がっていっていると思う。
兄のことを忘れることはないけれど…。
それでも、以前より気持ちの面でとても救われているのは確かだった。
冬樹は食事を終えると、一人手を合わせて自分の中で「ごちそうさま」をした。
もうすぐ授業開始5分前の予鈴が鳴る。
(急いで教室に戻らないと…)
そう思っていたのだが、不意に『カシャ』という小さな音がして、冬樹は思わず後ろを振り返った。
「………?」
だが、周囲を見回してみても特に変わった様子はなく、食堂内でももう僅かな生徒が残って食事や談笑をしているだけだった。
(何の音だろ…。気のせいかな…?)
冬樹は不思議に思いながらもゆっくりと席を立つが、そこでとうとう予鈴が鳴り始めたので、慌てて食器の乗ったトレーを片付け、足早に食堂を後にしたのだった。
そんな冬樹の様子を遠目に眺めながら…。
一人、こっそりほくそ笑んでいた生徒がいたことに、誰も気付くことはなかった。
数日後…ある放課後。
「よーし。もう今日はあがっていいぞ」
二年生の先輩の掛け声で、今日の空手部は珍しく早めに終わった。三年生が学年行事で不在で、顧問の教師も今日は部活に出てこられない為、各自で自主練後、早めの解散となったのだった。
雅耶は同じ空手部仲間と着替えを済ませ、わいわいと話しながら昇降口に差し掛かった。
すると、そこで意外な人物と鉢合わせた。
「あれ…?冬樹…?」
「あ…雅耶…」
いくら早めに部活が終わったと言っても、帰宅部の冬樹がこの時間まで学校にいるのは珍しい。
「どうしたんだよ?こんな時間まで…。何かあったのか?」
つくづく、冬樹にはこんな質問ばかりしているな…と、自分でも思いながらも、気になって雅耶は尋ねた。
「ああ…。カウンセリングにちょっと…な…」
「カウンセリング?…って、清香姉のとこ?」
「ああ…うん…」
冬樹は少しバツが悪そうに、視線を外した。
(冬樹…?)
雅耶はそれが何となく引っ掛かってしまい、じっと冬樹を見つめる。
その時、隣の列の下駄箱の陰から同じ部員仲間が顔を出した。
「おーい久賀っ。行くぞー。帰らないのか?」
「あっ。ごめん、先帰ってて」
雅耶は冬樹と帰ろうと思い、そう友人には返答する。
「オッケー。じゃあまた明日なー」
「おう、またな。お疲れー」
皆に声を掛けると、雅耶はその集団を見送った。
皆が遠ざかって行くと、途端に静けさを取り戻したその場所で、雅耶はとりあえず自分も靴を履き替えることにする。
横で空手部の集団が帰って行くのを眺めていた冬樹が、ぽつりと呟いた。
「…別に、オレに合わせなくても大丈夫なのに…」
友人達と帰らなかった雅耶に気を使っているようだった。
「いーの。どうせ皆門の所で別れちゃうんだし。たまには一緒に帰ろうぜ」
雅耶はにっこりと笑顔を向けた。冬樹は最初、何か言いたげな表情を浮かべていたが、
「…まぁ、いいけど…」
そう言って、少し表情を和らげた。
冬樹は、何となく居心地の悪さを感じていた。
まさか、丁度雅耶とこんなところで鉢合せるとは思っていなかったから。
雅耶と一緒にいることに今は苦はないが、清香の所に頻繁に出入りしていると知られれば、それについて雅耶が何らかの質問をぶつけて来るのは、火を見るよりも明らかだった。
駅までの距離を、ゆっくりと並んで歩く。
緩やかな下り坂に差し掛かると、西日が眩しく二人を正面から照らし、後方に二つの長い影を作った。
はじめは、早めに終わった部活の理由等の何気ない話題をぽつぽつと話していたのだが、少し会話が途切れた後、雅耶は何気なく核心に切り込んできた。
「なぁ…冬樹。さっき言ってたカウンセリングだけどさ…。何か悩みとか相談事でもあるのか?」
(やっぱり、来たか…)
冬樹は若干心の準備をしていたので、平静を装って答える。
「ああ…。別に大したことじゃないんだけどな…」
「でも、最近よく保健室とかにも顔出してるみたいだし…。カウンセリングなんてよっぽど何かあるのかと、普通は思うだろ?」
(ちょこちょこ保健室顔出してるのも知ってるのか…)
冬樹は頭の中で、どう言ったら雅耶が納得してくれるかを考えていた。
『秘密』の件以外のことならば、今雅耶に話すことに特に抵抗はない気がした。
冬樹は覚悟を決めると、自分の現在の境遇を明かすことにした。
「オレ…今ひとり暮らしなんだ」
「…えっ?」
流石に予想もしていなかったのか、雅耶は驚いた顔をしてその場に足を止めた。
「だから、色々と…さ、相談に乗って貰っていたんだ。清香先生は、食事のこととかも気に掛けてくれてて…。栄養相談とかも…、少し…?」
雅耶があまりにも驚いた顔をして固まってしまっているので、冬樹は語尾に不安さが出てしまった。
(でも、実際…嘘は付いてないし…)
だが、そんな冬樹の心情とは裏腹に、雅耶はショックを隠し切れない様子だった。
「なん…で…?」
「……えっ?」
「お前…あの後、親戚の家に…引き取られて行ったんだろ?何でっ…今になって…お前一人を放り出すんだよっ?それって…あまりにもー…」
雅耶は驚きと怒りが混ざり合ったような、そんな複雑な様子だった。ふるふる…と、握りしめた拳に怒りを込めている雅耶の様子に、冬樹は慌てて訂正をする。
「違うんだ、雅耶。誤解だよ。別に伯父さん達が悪い訳じゃないんだ」
「そんなこと言ったってっ…お前…まだ高校生なのにっ。普通ひとり暮らしなんてさせないだろっ?」
雅耶は、怒りを抑えられない様子で、信じられないという顔をした。
「違うんだっ。オレがっ…。オレが勝手に逃げただけで…」
自分でもよくわからない内に、涙が頬を伝っていた。
「…冬樹…?」
それは、自分への不甲斐なさ故なのか。
自分なんかの為に本気で怒りを見せる、心優しい幼馴染を思っての涙なのか。
正直、分からなかったけれど…。
「ちょっ…何で泣くんだよっ。冬樹っ…」
雅耶が慌てた様子で顔を覗き込んでくる。オロオロして、既に先程の怒りは何処かへ行ってしまったようだ。
一方、冬樹自身にとってもこれは予想外の涙で、冬樹は慌てて涙を拭った。
「ごっ…ごめんっ。ホント…オレ何で泣いてんだろっ。…格好悪ィな…」
高ぶってしまった気持ちを誤魔化すように明るく言ってみたつもりだったが、雅耶は複雑な表情を浮かべていた。
「…ごめんな。俺がお前の気持ちも考えずに強く言ったから…。無神経だったよな。色んな事情があるんだろうし、俺がとやかく言えることなんかじゃないんだよな」
すっかり意気消沈してしまっている雅耶に。
(お前は本当に優しい奴だよな…)
冬樹は小さく笑うと、
「違うよ。お前は何も悪くない。…オレなんかの為に心配して怒ってくれて…サンキュな」
そう言って、冬樹は笑った。
「――――!!」
初めて見せる、照れたような…その冬樹の優しい笑顔に。
雅耶は思わず目を奪われてしまうのだった。
その後、地元の駅まで帰って来ると、冬樹はバイトに入る時間が迫っているというので、そのまま駅前で別れた。
バイトなんかしていたのか…という驚きも、先程聞いたひとり暮らしの件を考えれば、思わず納得してしまう感じだった。
(苦労…してるんだな。冬樹…)
自分なんかは、毎日苦労もせずに普通に学校へ行って、放課後には好きな空手をやって。家に帰れば風呂は沸いているし、ご飯も出てくる。そんな恵まれた環境が、当たり前にさえなってしまっている。そういう自分が恥ずかしいと思った。
(自立をして、しっかりやっている冬樹を俺も見習わないといけないな…)
そんなことを改めて考えつつも。
冬樹が何処で何のアルバイトをしているのか、慌てて行ってしまって聞けなったことが、少し心残りな雅耶だった。
遠く人混みに紛れ、後ろ姿が見えなくなるまで冬樹をそのまま見送ると、雅耶は一人ゆっくり家へと向かい歩き始めた。駅前通りに差し掛かった所で、ふと足を止める。
(そうだ。今日は珍しくまだ早いし、直純先生のお店に顔出してみようかな?オープン以来行ってなかったし…。確かここから近かった筈だ…)
雅耶は方向を変えると、賑わっている細い路地に入っていった。
『Cafe & Bar ROCO』店内。
「お疲れ様ですっ。すみません、遅くなりましたっ」
店に入るや否や、カウンター内にいる仁志と、ホール側に出ていた直純を視界に入れて冬樹は慌てて挨拶をした。
「おうっ冬樹くん、お疲れっ」
仁志は作業しながらも、軽く手を上げて挨拶を返してくれる。
直純は息を乱している冬樹を見て笑うと、
「お帰り、冬樹。そんなに慌てなくっても大丈夫だって」
そう、優しくフォローを入れてくれる。
今日は、前々から放課後に清香の所へ寄るつもりでいたので、いつものバイト開始時刻よりも遅めにして貰っていた。だが、既にその時刻5分前だ。
基本的にこのお店は、直純と仁志で経営しているので二人がルールとなっていて、時間にはあまり煩い方ではない。だが、冬樹自身がその辺はきちんと守りたい質だった。
冬樹は「着替えてきますっ」と一礼すると、奥の事務所兼更衣室へと急ぎ足で入って行った。
冬樹が奥へと消えて少し経つと、新たな客が店に入って来た。
「いらっしゃいませー」
直純が入口に目をやると、そこには雅耶が立っていた。
「先生。こんにちはー」
「おっ雅耶じゃないかー。よく来てくれたなっ。良かったらこちらへどうぞ」
そう言ってカウンターへと案内した。
「今、学校の帰りか?今日部活は休み?」
お水と紙おしぼりを前に置きながら尋ねる。
既に夏服に切り替わっているが、雅耶の高校の制服姿を見るのは初めてだったような気がする。
制服自体は、毎日のように冬樹を見ているので珍しくもなかったが。
「今日は珍しく部活終わるのが早かったんです。…なので、ちょっと寄り道しちゃおうかなって」
「そうか。来てくれてありがとうなっ」
にこにこと人懐っこい笑顔を見せる雅耶に、自然とこちらも笑顔になる。
(でも同じ制服でも、随分と受けるイメージが違うな)
雅耶はYシャツにネクタイだけだが、冬樹はいつも半袖Yシャツの上に薄手のニットベストを着ているので、見た目のイメージそのものも違うのだが。雅耶は背がある分スラッと着こなしていて、半袖から覗く鍛えられた腕は、すっかり自分達と同じ『大人の男』という感じだ。
「注文決まったら、声掛けてな」
そう言うと、直純は奥のテーブル席へとオーダーを取りに向かった。
そこへ、着替えを済ませた冬樹が「入りまーす」と言って、事務所から出てきた。
途端。
「…えっ?冬樹っ?」
手にしていた紙おしぼりを、ぽとり…とテーブルに落として固まる雅耶の姿があった。
(なっ…何で、雅耶がいるんだっ…!!)
さっき、駅前で別れたばかりの雅耶がカウンターに座っていて、冬樹は面食らった。
流石にこの展開は頭になかった。
(でも、ここは直純先生のお店なんだから、雅耶がお客として来ることも予想は出来たハズだったんだよな…)
思わず固まっていた冬樹だったが、
「冬樹くん、早速3番テーブルお願いね」
という仁志の声に我に返ると「はいっ」…と、返事をして顔を引き締めた。トレーを取り出し伝票を見て、手際よくソーサーやスプーン、ストローなどをセットして飲み物を乗せると、テーブル席へと運んで行く。
「もしかして、雅耶…冬樹から何も聞いてなかった…?」
未だに唖然としている雅耶に、カウンターへと戻って来た直純は苦笑いで声を掛けた。
冬樹を思わず目で追っていた雅耶は、正面を向くように座り直すと、
「全っ然!知らなかったですっ。さっき駅前で別れる時に初めてバイトやってることも知った位ですから…」
少し拗ねたような雅耶の様子に、直純は破顔した。
「お前達、一緒に帰ってきたのか?…仲良くしてるんだな。良かった良かった」
直純は何故か満足げだった。
(そういえば…前に直純先生が言ってたあの言葉は、何だったんだろう…?)
『お前があいつの、唯一の味方になってやれよ』
(あの時の、直純先生…。何だかいつもと様子が違ってて気になったんだよな…)
冬樹に何かあるんだろうか?…と、ずっと考えていた。
(ひとり暮らしをしているという事情を知っていて、心配していただけか…?)
今、冬樹がこのお店で働いている事から、直純先生と冬樹に何らかの繋がりがあったのは事実なんだろう。
(でも、何だろう…。何だかそれって…)
面白くない。
雅耶の胸には、何だかモヤモヤとしたものが生まれていた。
「ご注文は決まりましたか?」
突然横から声を掛けられ、雅耶は我に返った。
少し照れたような冬樹がそこには立っていた。
「…冬樹…」
「びっくりしたか?このお店でバイトしてて…」
「そりゃ…驚いたよっ。…でも良いんじゃないか?冬樹に似合ってるよ、ウェイターとかさ」
そう言いながらも改めて冬樹を見ると。
白の七分袖のシャツに背中の開いた黒のカマーエプロン。そして黒のスラックスというシンプルでお洒落なユニフォームをスッキリと着こなしている。
すごく似合っていると思った。
少しだけ話をした後、冬樹がオーダーを取ってホールの仕事に戻って行くと、カウンター内から直純が声を落として話し掛けて来た。
「…冬樹、以前に比べてだいぶ表情豊かになったよな…?雰囲気が柔らかくなったっていうかさ。前は、店でもあんな感じじゃなくって、思い切り真顔で接客してたんだよ」
直純は向こうで接客している冬樹を目で追いながら、何かを思い出しているのか、クスッ…と笑った。
「そうなんですか?」
「ああ。でもな…慣れてきた頃、ウチの教育係に『営業スマイルの練習』って課題を出されてー…」
そう言って、直純はカウンター内に入っているもう一人の人物を親指で指差したので、そちらに視線を移すと。こちらの話しを聞いていたのか、その人物は向こうで黒縁メガネを右手中指でそっと押さえると、小さく頷いてニヤリ…と笑った。
「今ではだいぶ…まぁ…まだ『微笑み』程度だけどな、見せるようになったんだよ」
その成長を本当に嬉しそうに優しく語る直純に。
「そう…なんですか…」
雅耶は何だか複雑な想いを抱いていた。
自分でもそのモヤモヤの原因がよく解らなくて、気を紛らわすように奥にいる冬樹へと視線を移す。冬樹は、若い女の子四人が座るテーブル席のオーダーを取っているようだった。若干緊張は見て取れるが、笑顔を見せて対応している。
「今じゃ冬樹目当ての客も多い位なんだ。…男女問わず…だったりするんだけどな」
「それって…」
その言葉に直純の方を振り返ると、直純は肩をすくめて見せた。
「でも…」
直純が雅耶の注文したアイスコーヒーをカウンターから出しながら言葉を続けた。
「冬樹が変わったのは、きっとお前の影響もあるんだろうな。さっき二人で話してる様子を見ててそう思ったよ」
「えっ…?」
「お前の側にいる時のあいつは、すごく自然体って感じだもんな。…やっぱり違うよ。何だか昔を思い出した」
そう言って優しく笑った。
「………」
違う。
(…俺は何もしていない)
この店でアルバイトをすることで、直純先生やスタッフの人に、こんな風に優しく見守られていたからこそ、冬樹は少しずつ自分を出していけるようになったんだと、俺には分かった。
そういう場所を冬樹に作ってあげた、直純先生はやっぱりすごいと思う。
(敵わない…)
冬樹が心穏やかなのは、嬉しい。
昔のように、また一緒に過ごせる時間が増えて本当に嬉しいんだ。
なのに、どうしてだろう?
こんなにも心がざわつくのは…。