5‐1
キーンコーンカーンコーン…
授業終了のチャイムが鳴り響くと同時に、途端に緊張感が解ける校舎内。教師の号令を合図に、後ろの席から順に答案を集めていくと、生徒達はそれぞれ自分の出来栄えに思い思いの反応を見せ、教室内は賑やかになった。
現在、成蘭高等学校は定期テスト期間中である。
本日のテストはこれで全て終了だが、また明日のテスト二日目に備え、皆勉学に励まなくてはならない。テスト期間中は部活動も全て休みになり、原則として生徒達は早急に下校することが義務付けられている。
そんな中、冬樹は小さく深呼吸をすると帰り支度を始めた。
今日のバイトは、休みを貰っている。本当は特に休みなどいらないと言ったのだが、直純に『冬樹にとっては勉強も大事な仕事のうち』と言われて却下されてしまったのだった。
(でも…何か熱っぽいし、バイト休みで丁度良かったかも…)
家に帰って、少し明日のテスト範囲を振り返ったら今日は早く寝てしまおう…と、冬樹は心に決めた。
「雅耶っ」
帰り支度を済ませた雅耶の元に、長瀬がやって来た。
「今日俺先輩のとこにちょっと寄ってく用があるから、先帰ってくれていいよん」
「あ、そうなんだ。了解。じゃあまた明日な」
「うん。バーイ♪」
長瀬と別れると、雅耶は一人で教室を後にした。
昇降口に差し掛かると、下駄箱の前に冬樹がいるのが目に入った。雅耶は傍に行くのを躊躇すると、咄嗟に柱の陰に隠れてしまう。
(何で冬樹から隠れてんだろ、俺…)
自分でもおかしいと思いながらも、結局そのままそこから動けずにいた。
冬樹とは、あの鞄を届けた夜から気まずいままだ。ずっと気になりながらも、あんな風に拒否されてしまっては、流石にどう接していいか雅耶にも分からなかったのだ。
周囲から不自然に見えないようにそっと下駄箱の方を覗くと、冬樹が靴を履きかえて校舎から出ようとしているところだった。
だが、その時…。
不意に横から生徒が勢いよく出てきて、冬樹とぶつかるのが目に入った。
「…って…」
冬樹はよろめきながらも何とか耐えると、その飛び出してきた生徒を見る。
「すっすみませんっ!!」
ぶつかった生徒はペコペコ頭を下げていたが、お互い顔を見合わせると、動きが止まった。
「あ。…アンタは…」
冬樹は珍しく驚いた表情を見せている。
ぶつかって来たのは、ひょろっとした真面目そうな上級生だ。
「あっ…」
(知り合い…なのか?)
雅耶はそのまま柱の陰から二人の様子を眺めていた。
「…へぇ…アンタもこの学校だったんだ…」
すぐに素の表情に戻った冬樹が口を開いたその時、その真面目そうな男を追い掛けて来たのか、突然三人の生徒達がバタバタと冬樹達の前に駆け寄って来た。
「西田っ!オメェ逃げてんじゃねぇよっ!」
「わあぁ…っ」
西田と呼ばれた男は、その迫力に咄嗟に冬樹の後ろに隠れた。冬樹の方が小さいのに、だ。
「あっ!お前っ!!」
その男達は目の前の冬樹を見るや否や、更に大きな声を上げた。
冬樹は何故かいつの間にか間に挟まれ、盾にされてしまっているこの状況に。
「アンタ達…相変わらずだな…」
そう言って小さく溜息を付いた。
後方で様子を伺っていた雅耶は、思わぬ展開に目を見張っていた。
(あの三人は確か…食堂で冬樹を囲んでいた奴らじゃないか?あの真面目そうな奴といい、冬樹とどんな繋がりがあるっていうんだろう…?)
そう考えを巡らせる中で、突然脳裏に『お前には関係ない』と冷たく言い放つ冬樹の姿が浮かんだ。
(また『関わるな』って言われるぞ…)
そう、自分に言い聞かせつつも。
雅耶は真相が知りたくて仕方がなかった。
昇降口で揉めていれば、流石に目立つ。
徐々に周囲から注目を浴びだしてしまい、三人の上級生達は「一旦引くぞ」…と、焦って声を掛け合うと、その場から離れて行った。
冬樹と『西田』と呼ばれていた上級生は、そのまま三人を見送っている。
(でも…『一旦』って事は、また戻って来るんじゃ…?)
雅耶は不穏な空気を感じながらも、とりあえず冬樹達が外へ出て行ったので自分も靴を履き替えることにした。
校門へと向かう並木道。
既に大半の生徒達は学校を後にしたのか、歩いている生徒の数はまばらだった。
そんな中…。
(なんなんだろ…。この状況…)
オドオドしている上級生『西田』と何故か並んで歩いている自分の状況に冬樹は内心苦笑した。
西田はモジモジしながらも、横から話し掛けて来た。
「あっあのっ…前はごめんねっ。あ…その…それと、ありがとう…」
必死に言葉を発しているような、そんな男の様子に。
冬樹は足を止めると、西田に向き直って言った。
「それは良いんだ。オレが勝手に見てられなくて首突っ込んだだけだから…。でも、アンタ…西田さん…?アイツらにいつもあんな風に脅されてるのか?何か、弱みでもあるの?」
本当は、これ以上関わりたくない気持ちもあったが、あまりにも目の前の男が不憫で、冬樹は話しを聞いてみることにしたのだった。
(なんで俺、こんなスパイみたいなことやってるんだろ…)
雅耶は木と植え込みの陰に隠れて、冬樹達の会話に耳をそばだてていた。
傍から見たらかなり怪しい行動だが、そんな雅耶から見える位置には人は特に見当たらなかったので、とりあえず善しとする。
だが…これで、おおよその事の経緯は理解できた。
雅耶は内心でホッとしていた。長瀬が冗談めかして言うような『ブラックな冬樹』を想像していた訳ではないが、実は今も昔と変わらない優しい心の持ち主だということを知ったから。
それだけが、純粋に嬉しかった。
「もっと嫌だって意思表示しなきゃダメだよ。カツアゲって泥棒と同じだよ。いつまでも、あんな奴らの言いなりになってちゃダメだっ」
真顔ではあるが、冬樹が説得するように若干力を込めて言った。
「でも…やっぱり…。キミは…強いから、…そんなことが言えるんだよ…」
何を言ってもマイナス思考な西田に。
冬樹は「違うよ」…と、小さく呟いた。
「そんなこと…ない…。オレだって…」
その声色にハッとして、雅耶が木枝の隙間から冬樹の方を眺め見ると、少しだけ辛そうに瞳を閉じている冬樹が目に入った。だが、次の瞬間には熱のこもった瞳で、目の前の上級生に語り掛けていた。
「でも、結局は自分自身の気持ちだよ。アンタ…男だろっ。もっと自分に自信持てよ。あんな…群れにならないと何も出来ないような奴らになんか負けちゃダメだっ」
「……っ」
「それでもどうにもならなかったら…。先生達に相談するのも有りだと思う。仕返しが怖くて言う事を聞いてたって、何の解決にもならないよ」
「…う…うんっ」
西田は、冬樹の言葉に勇気付けられていた。
だが、その時。
「随分、余計なことを言ってくれるじゃねぇか」
雅耶が潜んでいる場所と反対側の門側の木陰から、例の三人組が姿を現した。
「おい、おチビちゃん。そいつには何を言っても無駄だぜ?」
三人は余裕の顔で笑い飛ばしている。
「西田ー?俺達を甘く見るんじゃねぇぞー。チクッたりしたらどうなるか…分かってんだろうなァ?」
ゴツイ男が腕を鳴らしながら威嚇するように言った。案の定、西田は既にすくみあがってしまっていた。
「いい加減、卑怯な真似はやめろよ。アンタ達だってチクられて困る程度には、悪いことしてる自覚はあるんだろ?」
冬樹は毅然とした態度で言った。だが、三人は下卑た笑いを浮かべて近付いて来る。
「何のこと言ってんだか分からねェなぁ?…なあ西田?俺達はこんなに仲良しなのになぁ?」
そう言って、一人の男が無理やり肩を組むように首元に腕を絡ませ、西田を引き寄せた。
「うっ…ぐ…」
締められて苦しそうな西田の呻きに、冬樹が止めに入ろうとするが、
「おっと!それ以上動くなよっ。動くとコイツの為にならないぜェ」
そう言って、まるで人質だというように西田を盾にしてけん制した。
「………」
「正義感の強いおチビちゃんにはキツイだろ?お前が動いたら西田が苦しい思いをするんだぞ?…分かったら大人しくしてろよ」
そう言われて一瞬動くのを迷った冬樹は、もう一人の男に後ろ手に掴まれ、締め上げられてしまった。
「くっ…下衆がっ…」
そんな呟きも、この状況では相手を喜ばせる言葉でしかない。そんな冬樹の様子に、男達は声を上げて笑った。
「お前、今じゃこの学校で結構な有名人みたいじゃねぇか。生意気な事この上ないなァ」
「だからって調子に乗ってんじゃねぇぞ」
三人の中で一番腕の立つゴツイ男は、不敵な笑みを浮かべると自由の利かない冬樹の前へと歩み寄り、
「…今までの借り、返してもらうぜっ」
そう言って、思い切り振りかぶった。
その瞬間。
冬樹は後ろ手に締め上げられたまま、弾みを付けて目の前の男のアゴを高く蹴り上げた。
「うぐっ!」
油断していたゴツイ男は蹴りを食らい、後方によろめきはしたが、すぐに体勢を戻して「この野郎…」と、怒りを露わにした。
(やっぱり、手を封じられたままじゃ蹴りの勢いが足りないかっ…)
「ナメた真似しやがってっ」
「くっ…」
仲間を攻撃されたことで、冬樹を締め上げている腕の力も強くなり、冬樹は顔をしかめた。
ゴツイ男は逆上すると、勢いよくパンチを繰り出してくる。
(ダメだっ避けられないっ!)
食らうのを覚悟して目をつぶったその時。
バチンッ!…という音と共に、
「何っ!!」
という、男達の動揺した声が聞こえてきた。
(な…に…?)
来るはずの衝撃がなく、不思議に思った冬樹が恐る恐る目を開けると。
そこには…。
「まさ…や…?」
雅耶が目の前に立ちはだかり、男のパンチを受け止めていた。
「…何だァ?テメェはッ!」
突然現れたその人物に、男達は少なからず驚いていた。
雅耶は180センチを超える長身だ。ある意味、見た目で甘く見られがちな冬樹とは違い、決してゴツイ体格な訳では無いが、鍛えられ引き締まった身体を持つ雅耶に上から見下ろされ、男達はそれなりに動揺していた。
「雅耶…?…どうして…」
冬樹も思わぬ人物の登場に驚きを隠せないでいた。後ろ手に締め上げられ前のめりになりながらも、大きく瞳を揺らして雅耶を見上げている。
雅耶は顔だけ僅かに冬樹を振り返り、
「ごめん、冬樹。話は全部聞かせて貰ったよ」
そう言うと、目の前の上級生の目を直視した。
「もういい加減…この二人に構うのはやめてもらえませんか?」
それは穏やかで丁寧な口調ではあったが、パンチを受け止めて掴んだままの雅耶の手には、その表情とは裏腹に、もの凄く強い力が込められていた。ゴツイ男が痛みに必死に振り払おうとしても、それは解けない程に。
「テメェ…突然出てきて何言ってやがるっ!…っていうか、離せよっ!」
「約束…してくれませんか?もう二人に手出しはしないって…」
そう穏やかに話す雅耶の目は、男を真っ直ぐに射抜いて来る。
「へっ。誰がお前みたいな一年坊主の言う事なんか聞くかよっ!オメェら生意気なんだよっ」
雅耶の気迫に負けじとタンカを切り、掴まれた手に対抗して自身も力を込めるが、逆にギリギリ…と腕を捻られ小さく呻き声を上げた。
すかさず仲間の二人が割って入る。
「テメェッ!コイツらがどうなってもいいのかっ?」
「それ以上やると、この二人に痛い目みて貰うぞっ!」
そう言って、逆に雅耶に脅しを掛けた。首元を腕で締め上げられた西田は呻き声を上げ、冬樹も尚更強く腕を締め上げられ、顔を歪ませた。
だが、雅耶はそんな脅しには屈しない。
「そちらこそ…この人の骨をへし折ってもいいんなら…」
そう静かに言った瞬間、ゴツイ男は更に力を込められ悲鳴を上げた。
「やめっやめろっ!!お前らっ!!…わかった!!分かったからもう止めてくれッ!!」
結局、上級生の三人組は降参せざるを得なかった。
拘束されている冬樹と西田を先に解放させ、距離を取ったところで、その後雅耶もやっと男の手を放してやった。
男達はすっかり引き気味だったが、それにしっかり釘を刺すことも忘れないでおく。
「このまま手を引いてくれれば問題はないんだけど…もしも、またちょっかい出してきたら、こちらには切り札があります」
雅耶はそう言うと、制服のズボンのポケットから携帯電話を取り出した。
「さっきまでの先輩方の様子を全部動画で記録させて貰ったんで。何かあったらコレを学校側にいつでも提出しますので、覚えておいて下さい」
最後まで穏やかに話す雅耶に。
三人は後ずさりすると、逃げるようにその場を後にした。
バタバタと走り去る上級生達の姿が見えなくなると、そこには静寂が戻って来る。その広い並木道は勿論のこと、校舎にも校庭にも既に他の生徒達の姿はなく、未だ昼過ぎだというのにひっそりと静まり返っていた。
「…ふぅ…」
雅耶は大きく息を吐くと肩の力を抜いた。
今までこういう場面に出くわしたことがなかった雅耶は、自分でも思いのほか緊張していたことに気付く。とはいえ、あんなチンピラに負ける気はしないが。
「雅耶…」
控えめに後ろから声を掛けられ、雅耶は振り返った。
冬樹は申し訳なさそうに視線を落としていたが、ゆっくりと目を合わせると
「助けてくれて…ありがとう…」
と、素直に礼を述べた。
「冬樹…」
「いきなり…お前が現れて、正直びっくりしたけど…。お前が来てくれなかったら、オレは確実にやられてた…から…」
ゆっくりと言葉を探すように語る冬樹に。雅耶は黙ってその言葉に耳を傾けていた。
「ホントに助かったよ…。それに…西田さんのことも…」
後方に立ち尽くしている、西田に視線を移すと。
「これで、きっと…もう平気…だよね?」
二人に確認を取るように冬樹は呟いた。
西田は雅耶と冬樹に対し「ありがとう…本当にありがとう…」と、何度もぺこぺこ頭を下げて帰って行った。
自分達も帰ろうと、二人門へと向かい歩き出す。
すると、両腕をかばうような仕草をしている冬樹に気付き、雅耶が、
「腕…痛むのか?大丈夫か?」
心配になって覗き込んだその時。
「ああ…。へい…き――…」
「……っ!?冬樹っ!?」
ぐらり…とバランスを崩して突然倒れ込む冬樹を、雅耶は慌てて受け止めた。