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そして、翌日。
勧誘イベント二日目は、朝から行動が可能な為、過激化が予想されていたが、前日多くの話題に上がった渦中の人物が不在ということもあり、それなりの盛り上がりを見せつつ、このイベントはもうすぐ幕を閉じようとしていた。
渦中の人物である『野崎冬樹』は、この日…学校を欠席したのだ。
「スゲーなっ。今日は冬樹チャンの噂で持ちきりだったよなっ。新聞部の先輩の耳にも、柔道部での情報が入って来たって言ってたよん」
長瀬が手に持った鞄を肩に掛け、暗い1年A組の教室を見渡しながら言った。
部活終了後の一年生階の教室は、雅耶と長瀬の二人以外に人の姿はなく、どの教室も暗く、シン…と静まり返っている。
「今日来てたら、もっとスゴイことになってたかもなー?」
勝手に想像して楽しんでいる長瀬に、雅耶は溜息を付いた。
「そんなこと考えてても仕方ないよ。実際、あいつは休んでるんだし…。ホント昨日の勧誘は半端なかったんだって」
既に部活を終えた後なので、どこか疲れた様子で雅耶は教室の電気を点けた。
「あ…あった、あった!」
長瀬がひとつの机に歩み寄り、その横に掛けてある鞄を手に取った。
「これが冬樹チャンのバッグね♪本当に手ぶらで帰っちゃったんだー」
「あの状況じゃ仕方ないんじゃないか?実際、鞄抱えてあの包囲網から抜けられる気はしないよ」
そう言って長瀬からその鞄を受け取ると、再び電気を消して二人教室を後にした。
明日から週末を挟んでしまう為、雅耶は冬樹に鞄を届けてあげることにしたのだ。
電車で自宅の最寄り駅まで帰ってくると。
駅前で長瀬と別れた後、雅耶は携帯電話を取り出し、先生に聞いて登録しておいた冬樹の電話番号を呼び出した。電話番号は既に連絡網も配られている為、理由を伝えればすぐに教えてくれたが、住所はプライバシーの問題に引っ掛かるとかで詳しく教えては貰えなかった。ただ、この駅を利用している事だけは分かっていたので、電話を掛けて家の場所を聞いてから、鞄を届けに行くつもりでいた。
呼び出し音が鳴る。何コールか待ってもなかなか出ない。
(知らない番号からだと、警戒して出ないのかもな…)
そう思って諦めかけた時…。
『……はい』
若干構えているような、緊張気味の冬樹の声が聞こえてきた。
雅耶は駅前の噴水広場のベンチに座って冬樹を待っていた。
すっかり夜の景色になってしまった広場内は、心なしかカップルが多く、若干目のやり場に困る。
本当は自分が家まで届けると言ったのだが、家を知られるのが嫌だったのか、やんわりと拒絶され、ここで待ち合わせることになった。
(どーせね。色々信用されてないんだよな…俺は…)
内心で半ば自棄になっていたが、待っている間に時が経つにつれ、別に今はそれでもいいか…と、思うようになっていた。
(再会出来ただけでも、奇跡みたいな感じだからな…)
家族を失ったことで、冬樹が変わってしまう程傷付いて来たというのなら、自分が少しでも彼の力になれればいいな…と、そう思った。
15分程待つと、冬樹が広場に姿を現した。
大きめのパーカーにジーンズというラフな服装。制服以外の冬樹を見たことが無かったので、何だか新鮮な感じがした。
冬樹はこちらに気付いていないのか、辺りをきょろきょろ見回している。その様子が、いつかの情景と重なる。
(あ…でも、一度駅前で見掛けたんだよな…)
転んだ男の子を抱き起こして、優しく慰めていた冬樹。
その時のことを突然思い出して、雅耶は固まった。
(そうだ…あの時、冬樹は子どもには優しく笑い掛けていたんだよな…)
学校では、笑顔を一度も見たことがないけれど。
その時の冬樹が、本当の…素の冬樹だったら良いなと雅耶は思った。
「冬樹っ」
辺りが薄暗いせいか、こちらに気付いていない様子なので雅耶は立ち上がると軽く手を上げて声を掛けた。すると、それに気付いた冬樹がゆっくりと近付いて来る。
「休んでるとこ呼び出して悪かったな。はい、これ…」
雅耶は冬樹に鞄を差し出した。冬樹は、それを両手で受け取ると、
「…わざわざ良かったのに…」
と、言いつつも小さく「…ありがとう」と付け足した。
相変わらず無表情ではあるが、冬樹の口からそんな言葉が聞けただけでも、鞄を持ってきた甲斐があったと思ってしまったことは、流石に秘密だ。
「昨日は大変だったな…。今日休んだのは、どこか調子悪かったのか?」
「…別に」
途端に目を逸らされる。何だか面白くない。
「お前、無茶しすぎだよ。昨日の昼休みのも一悶着あったんだろ?」
そう言うと、驚いたようにこちらを見た。冬樹は無言だったが『どうしてそれを知っているんだ?』…と、瞳が訴えていた。
「今日学校では、お前の噂で持ちきりだったんだ。あの柔道部の溝呂木って先生は、昼休みにお前のことを呼び出した上級生を、お前が返り討ちにしていたその戦いっぷりに惚れたんだって。流石に先生本人がそんな事言って回ってる訳じゃないだろうけど、一部では…ちょっとした噂になってた」
「ふぅん…」
冬樹は興味なさそうに視線を下げた。
「でも今回の柔道部の勧誘は、ちょっとやりすぎだったって学校側からも注意があったみたいだよ。お前、今日休んでたし…」
「………」
冬樹は視線を落としたまま、黙って聞いている。
「でも…何でお前が入学早々上級生なんかに呼び出しを食らうんだ?そいつらと何かあるのか?」
雅耶としては、冬樹を心配して出た言葉だったのだが、冬樹は一瞬ビクリ…と、身体を震わせると、
「…雅耶には関係ない」
そう言って背を向けた。
流石に雅耶もその言い方にはカチン…ときて、反論しようとした。だが、
「お前…」
「関係ないって言ってるんだ!」
突然声を荒げた冬樹に、雅耶は言葉を続ける事が出来なかった。
本当は…雅耶が気に掛けてくれることは、すごく嬉しかった。
雅耶が昔と変わらず『冬樹』を大切に思ってくれていること。
それが、すごく嬉しかったんだ。
だけど…。
自分は、雅耶が思っている『冬樹』じゃない。
その『冬樹』に対しての優しさを『オレ』が受けるのは違うんだ。
今…雅耶が心配している、大切に思っている『冬樹』は、もういない。
その『冬樹』を殺したのは『オレ』自身なのだから。
「もうオレに関わるなよ。オレの事なんか放っておいてくれ…」
背を向けたまま、肩を震わせてそんなことを言い出した冬樹に、今度は雅耶が行動に出た。
「こっち向いて言えよっ」
強引に肩を掴むと、無理やり自分の方へと向き直させる。
「言いたいことがあるなら、俺の目を見て話せよ」
視線を合わせて、その大きな瞳を覗き込むと。冬樹の瞳が僅かに揺らいだ。
「いつまでも…昔のままじゃないんだよっ」
そう言って冬樹は、左肩を掴んでいる雅耶の右手を裏拳で払おうとした。…が、逆にその手首を掴まれてしまう。
「……っ!」
「何でだよ。何が違うんだ?」
「…っ…はなせっ…」
思いのほか雅耶の力は強く、掴まれた左腕は外れない。
雅耶は手には力を込めたまま、真剣な表情で冬樹を見据えて言った。
「八年の間、会わずにいたからか?そんな程度の時間で兄弟のように育ってきた俺達の繋がりは崩れちゃうのかよ?」
「お前には…わからないっ!」
「言ってくれなきゃわからないだろっ?…思ってることを話してくれよ」
「もうっ…嫌なんだっ!」
途端に冬樹は右手に持っていた鞄を振り回した。
「冬樹っ!」
鞄を避けようと、うっかり雅耶が掴んだ腕を離してしまった隙に、冬樹は走り去って行ってしまった。
「…くそっ!」
雅耶は後を追い掛ける気にはならず、ただモヤモヤとした気持ちのまま、暫くそこに立ち尽くしていた。
そんな二人の様子を、物陰から身を潜めて何者かが見ていたことに、誰も気付くことは無かった。