美女と野獣
ゆっくりと、目の前の美人さんが起き上がる。
「何してるの?自分の頬を引きちぎる練習?」
今の俺の状況と言えば、
右頬が抓り過ぎで赤く腫れ上がっているとかいう
間抜け極まりないものなんだが…
「い…いや、ちょっと現実離れしたことが多すぎて…
現実なのかなあと…」
その言葉に納得したのか僅かに美人さんが頷く。
「気づいたらここに…ここ何処」
「…知らない」
…目線が痛い。
つっても俺もいきなり来てたし分かるわけねえんだけど…。
「というかあんた体大丈夫か?ぶっ倒れてたけど」
「大丈夫よ。…一応心配してくれるってことは誘拐犯じゃあなさそうね?」
あっぶねえ!さっき危惧してた状況にマジで突っ込むとこだったっ!
…というか、俺もそうだったけどこういう状況にいきなり放り出された人間って、
意外と冷静なもんだなあ…
混乱が一周して冷静になってるだけかもしれないけど。
意味不明なことが多すぎるんだな。
「あ、俺、竜也 剛って言うんだ。あんた、名前は?」
「教えるメリットがあるのかしら?少なくとも、教えたところでこの状況がなんとかなるとは思わないんだけど。」
「いや…うん、そうなんだけど…」
美人さんの視線が痛い。
というか整った顔で睨まれるとなかなか恐ろしい。
…でも、この状況で名前を聞くのは許してくれよ…
「…まあ、いいけど。あなたも、似たような状況なんでしょうし、特別に教えてあげないでもないわ」
頷きで返す。
…つーか結局教えてくれるならさっきの一言いらなくね!?
「…姫宮 梓。高校生よ」
「ぅえ!?高校生だったのか?」
「悪いかしら?…そういうあなたは、小学生?小さいけど」
「中学生だよ!どこにこんな体つきの小学生がいるんだよ!小さい言うな!」
…高校生か。あんまりにも整ってるからモデルかと思ったぜ…。
と思ったところで、
ウオオオオオオン
と森の中で獣の叫びがこだました。
…考えて無かったわけじゃあないけど、
そりゃあ獣の一匹や二匹いますよねえ…
「…とりあえず。移動しない?…ここ、危険だわ」
「…そうだな。餌はごめんだ」
「そうね。目の前で人が襲われるのを見るのはいい気はしないわね」
「盾にする気かよ!?」
そうして俺たちはゆっくりと移動を開始する――
□□□□□□
「…やっぱり、気が付いたらここにいたんだ?」
「ま、そういうことね。」
目の前で先ほど会った剛とかいう少年が小さく唸る。
先ほど目覚めると目に飛び込んできたのは、なんとも妙な光景だった。
森に――何故森にいるのかというのもあるがこれはまあ良しとしよう。…意味不明すぎるので――
いた少年が目の前でブツブツ言いながら
…思いっきり自分の頬を抓り、そのまま地面に倒れ伏せて悶絶した。
何がなんだか分からなかったし出会って話すらしていない相手に酷評だと自分でも思うが…阿呆かと思う。
後々知ったことだが、現実かどうか判別するためだったらしい。
とはいえど少しは加減したらどうなんだ。
どうやら彼も私も目覚めたらいきなりここにいたらしい。
同じ状況に落とされたというわけで、
とりあえず情報交換をしていた。
話していくうちに分かったことだが、この少年、裏が無い。無さすぎる。
思ったことをそのまま口にしているというか…。
何か隠したりといったことを全くしないのだ。
まあ、それが幸いしたというか、
少なくとも警戒をする必要はなさそうだった。
「この場所に、心当たりとか、無いの?」
「…ねえな。俺の近所に森なんてそもそもねえし。
そういうあんたは?知ってる場所か?」
「知らないわね。あと、あんたじゃなくてアズサって呼んで」
「ん、分かった。じゃあ、俺のことはゴウとでも呼んでくれ。あだ名だけどな」
…まあ、よく喋る。
ここまでの会話で、彼の名前、住所、電話番号から、何が好き――バナナらしい―――等々…
…私と初対面だってこと忘れてないか。こいつ。下手に気負いするよりいいかもしれないが。
「携帯も繋がらないわね…。やっぱり森から出ないと駄目ね」
「つーか、これ今日中に森抜けれるのか?」
「…知らないわ。そういう関係のことは任せるわ。野生に生きてそうだし」
「…俺は猿かなんかかよ?」
「でも、運動神経はいいんじゃないの?
サッカーやってたって言ってたし」
「ん?ああ、まあそうだな。走ったり、木登ったり、体動かすのは大好きだぜ?」
「木登りって…やっぱ猿ね」
「どうしてそうなる」
「…猿か。ピッタリね。あだ名それにしたら?」
「全力で拒否らせてもらう!」
…色々と思うところはあるが、正直この状況では会話出来るというのはかなり助かる。
人と接しているというだけでそれなりの安心感が生まれるからだ。
一人でここに放り出されていたらと思うと、ぞっとする。
自慢できることではないけれど、私はあまり体が強い方ではない。
むしろ、ひ弱だと自分でも思っている。
そんな私が一人でここに…考えたくもない。
獣の鳴き声が響いている。
本で読んだことしかなかったけれども現実で聞くことになるとは…
私は、元々身体の関係もあって、外に出る機会はかなり限定されていた。
こういう場所に来るのは夢ではあったが、生きて脱出できるか不明ときているので素直に喜ぶわけにもいかない。
…それに、
「…なんか、鳴き声、近くなってる気がするわ」
「…そうか?よくわかんねーけど」
「耳は良いの。…たぶん、間違いないわ」
よく考えなくても、丸腰の人間二人、獣たちにとってこれ以上の獲物も無いだろう。
彼はまだ何かしら対抗手段くらいあるかもしれないが、
下手に襲われれば、私はひとたまりもない。
―――ガサリ
びくんと体が震える。
考えていなかったわけではない。襲われるかもしれないと。
「…?アズサ?どうした?」
「…聞こえないの?」
「何がだよ?」
―――ガサリ
音が近づくのが分かる。
…背中を気持ち悪い汗が伝っていく。
―――恐怖、というのは、こういうものなのだろうか。
…現実で体感することになるとは。
「…アズサ、俺の後ろに居ろ。何か来てる」
…音に気付いたのだろうか。
ゴウが私を背へと隠してくれる。
先ほどまで完全に馬鹿にしていた背中が、少しだけ頼もしく見える。
それでも、怖いものは怖いんだけど。
音のした方の草むらの隙間が、…そこから覗かせている二つの瞳が、小さく光り、
「グルルル…ガウ!」
大きな影が…否、黒い狼がこちらに向かって踊りかかってきたのだった。
□□□□□□
「うおおっ!?」
いきなり草むらからでっかい獣が飛び出てきた。
しかも…かなりデカイっ!
待て待て待て!こんなのどうしろって…
頭より先に体が動いた。
素早く身を屈めて、攻撃をかわしつつ、アッパーの要領で握り拳を思いっきり狼の胴体へと叩き込んだ。
…いや、生まれて初めて、鬼爺に感謝したね。
「ギャン!」
獣の体が少し中を舞い、そのまま地面へと落ちていく。
死にはしてないだろうが腹パンがクリーンヒットしたわけだ。
さすがにしばらく行動できないだろう。
…つーかあれ狼ってやつじゃねえか!?
なんで居るんだよ!?
「な、なんだよ今の!?狼だろ!?狼だよな!?どうなってんだよここ!
と、とりあえずこれで大丈夫だよな!」
「…まだ、大丈夫じゃない」
え?
「まだ、いる。…ほら」
目の前の茂みが動き獣の前足が…8本見えた。
…8本!?
「ちょ!無理無理無理無理!4体とか相手にできるかっ!」
俺の目の前に現れたのはさっきと寸分変わらぬ大きさの黒い狼4匹。
さっきのすら奇跡に近いのに更に4倍とか無理だああ!
「…来るわ!」
後ろでアズサが叫ぶ。
最悪俺一人なら全力で逃げることもできるかもしれない。
が、今はこいつがいるのだ。ここで逃げるのは男の恥だし…寝覚めが悪い。
「うらああああ!」
次から次へととびかかってくるそいつらを、躱す。
その巨体が横を通過するだけでもとんでもない恐怖だが、構ってる場合ではない。
さっきの要領でもう一回っ!鬼爺式、腹パン!
「ふっ!」
がしかし躱される。
というより反撃しやすい直線的な飛びかかりをしてこないのだ。
俺とアズサを取り囲み、グルグルと周りを歩き続けている。
その中の一匹が突然アズサに向かって飛びかかる。
「女を狙ってんじゃねえよ外道!」
フルスイングした俺の右腕がいい感じに狼の顔面へと叩き付けられ、
さしもの狼も悶絶して地面へと転げ落ちる。俺たちを囲う狼の檻の一部が開く。今だっ!
「アズサっ!そこから走れ!こいつら片付けたら俺も行く!」
そう言って俺は再び俺を取り囲む狼達と対峙する。
勝てる保証なんてどこにもありはしないが
守りながら戦うのはどう考えても不可能だ。
後ろで駆け出す音がする。
狼たちは俺の方に気を取られていてアズサを追いかけようとはしない。
よし。これで少なくともアズサは助か――
「きゃあっ!?」
―――!?
後ろを振り返ると直線状の離れた場所に逃げ出していたアズサの目の前に5匹目の狼が…!
あれは…まさかさっきのやつ!?もう復活しやがったのか!?
一瞬立ち止まったアズサへと狼が大きく跳躍する。
飛びかかった狼の爪がアズサに届く―――
不意に頭がクリアになる。
世界が、確かに、停止したように見えた。
何故、そうしたのかは分からない。
何故、そうなると思ったのかは分からない。
俺はアズサへと飛びかからんとする狼へと手を向けて、
何かに導かれるように、アズサに飛びかかる狼に向かって…指を引いた。
―――破壊ノ射―――
そんな声が、聞こえた気がする。
バンッ!
「ギャンッ!」
何かが放たれる音がして…狼の体が大きく反り返って吹きとぶ。
一瞬の出来事、アズサを引きちぎろうとしていた狼は、地に倒れ伏し、体から赤黒い物を垂れ流す。
それだけを確認すると、今一度4匹の狼に向き直り、
無心で、さらに4度、指先を――引く。
バンッ!バンッ!バンッ!バンッ!
一瞬の静寂が辺りを包み、小さくない音が辺りに響く。
ドサリ―――
俺たちを襲った狼の群れが
ゆっくりと地面に、倒れ伏していった、音だった。