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 光則が帰った後、影で話を聞いていた渡りが出て来た。

 渡りは俯く加賀美の顔を闇の中に見た。その目には涙が浮かんでいる。しかし、その涙を見せまいと堪える加賀美の肩は小刻みに震えていた。


「渡り、女房に灯りを持ってくるよう……」

 

 加賀美には何も答えず、渡りは灯りを取りに行く。

 渡りは静かに灯台に火を灯す。


 薄ぼんやりと辺りが明るくなる。昼間のようにはっきりと見ることはできないが、加賀美は無表情だった。渡りのほうが平常心を失っていたかもしれない。


「姫さま、どうなさいますか?」

 渡りの頭の中を、愚問という言葉が巡る。このようなときに加賀美に質問すべきではないと。


「いくらわたくしでも、兄上に逆らうことはできません」


「しかし、継俊さまにご相談されたらいかがでしょう」

 益々、言ってはならぬことばかり言ってしまう。


「それは出来ません、いえ、してはなりません。この件、けっして継俊さまには言ってはなりませんよ。兄上が継俊さまにどんな仕打ちをなさるかわかったものではありません。去年、則之様という方が大宰府への赴任を命じられたのも、裏から兄上が手を回したのではないかと、もっぱらの噂です。継俊様にはご迷惑をおおかけすることはできません」

 

 加賀美の返事はわかっていた。光則のことに継俊を巻き込みたくない、というのが加賀美の本音だ。


 真直ぐ顔を起こした加賀美の目から涙が一筋、零れ落ちる。

 加賀美のその姿は渡りにとって、あまりにも痛々しいものであった。

 渡りは加賀美に触れてしまいたくなる感情を押し殺した。

 継俊がいつかそうしたように、加賀美を抱きしめてやりたかった。

 渡りは膝の上で拳を握り締めた。


 しかし加賀美はそんな渡りの様子には、気付いていない。

 出仕のこと以外は考えられないようだった。いつもの冷静な加賀美の姿はそこにはなかった。

「……悔しい、男君が考える幸せと女が考える幸せとは違うのです。それを兄上はおわかりにならない。地位や権力は男君だけのもの、女がそのようなものを欲した時、己も国も全て崩壊していく、そういうものなのです……」


 通い婚のこの時代、姫たちが生きていくには後ろ盾が必要だった。最初に手をつけた男君が生涯面倒をみるのが、通常とされていた。男君のお渡りがないのを嘆いている姫君は多いものである。宮中で生きていくのも後ろ盾が必要で、しかも後ろ盾の身分が影響する。

 いくら加賀美でも世の流れに逆らうには、あまりにも無力だった。


「仕方がありません。覚悟を決めなければ……それにしても、もう暫く時間が欲しい……」


 その目からは、もう一筋涙が零れ落ちた。






 光則が訪問した日から数日後の夜、不思議な訪問者が現れた。

 継俊の兄の重利だった。

 前々から文は何度か貰ったことがあるが、あまり会ったことはない。

 重利は加賀美の兄の光則より年は上なのだが、なかなか出世できずにいた。だから、同じ一族でありながら光則のことは快く思っていなかった。

 加賀美を側室にと何度か光則に打診してはいるようだが、光則は良い返事をしない。


「この前の花の宴の舞いは素晴らしかったね……」

 と小太りの三十半ばの男は、脂ぎった顔に取って付けたような笑みを浮かべ、加賀美を視線で嘗め回した。

 何となく訪問の趣旨がわかるだけに、思わず後ずさりしたくなるような光景だった。

 神に仕える巫女にこの男は似合わない。


「お褒め戴き、ありがとうございます」

 扇で顔を隠し、その隙間から重利を覗く。

 それをまた勘違いしたようで、不気味な笑みに拍車がかかる。


「ところで、あなたの兄上があなたを宮中へ出仕させるような話をしていたが、本当なのかい?」


 もうこの男の耳に入っているのかと、加賀美は驚く。以外にこの手の話は噂が流れるのが早い。


「ええ、兄上がそう言っておられます」


「あなたは継俊のものだと思っていたが、そうではないのかね?」

 何を期待しているのか、にたにたと笑みを浮かべる。

 

 加賀美は少し横を向き、

「いえ、継俊さまとは何もございません」

 とだけ答えた。


「そう、それなら良いのだが、帝は今、まだ真亜姫さまのことを悲しんでおられる。少し時期尚早ではないかと思うのだが。光則殿の思い通りに事が運ぶとは、限らない、そこで……」


 重利が言いかけるのを、加賀美は制した。


「わたくしはいっこうに構いません。兄上が宜しければ、わたくしは……」


 今度は加賀美の言葉を重利は実力行使で、制した。

 巫女の姿の女に無理矢理手を出す男も珍しい。神も仏もあったものではない。

 

 そして少しタイミングが早すぎる、と加賀美は思った。

 よほど焦っているらしい。

 突然、加賀美の扇を持つ手を掴み、加賀美を押し倒す。

 

 加賀美が声を上げるより早く、几帳の後ろに潜んでいた男が、重利の腕を捻り上げた。

 こちらも少々予定より、早い行動だ。

 

「だ、誰だ……痛い……早く話してくれぇ……」

 重利は叫ぶ。


「姫さま、お怪我はございませんか」 

 渡りは重利の手を離すと、加賀美を抱き起した。


「ありがとう、渡り」


 その様子を見て重利は、脂ぎった顔を真っ赤ににして怒鳴る。


「姫、どういうことだ! 女房ならまだしも、奥にこのような男を置くとは、まったく信じられん。光則殿もどうかしておられる。あなたのような方は、わたくしの妾で十分だ」


 その声の大きさと、まるで太った赤鬼のような姿に驚いて? 加賀美は声も出さず、渡りの後ろに隠れた。


「姫さまが怯えておいでです。重利様、ここはお引取り下さい」


「なんということだ! わたしに恥をかかせおって、覚えていなさい、許しませんよ!! 継俊となんか上手くいくと思ったら大間違いですからね、ましてや、帝となど……」

 重利の声は怒りで震えていた。


「兄上の邪魔は誰にも出来ません。お止めになれたほうが賢明です。あなた様は逆らわないほうが宜しいのではないか、と思いますが」

 加賀美落ち着いていた。からかっているようにも聞こえる。


「とにかく今宵は引き上げるが、けっして諦めたわけではないからね。あなたのお母様は身分の低い方なのだから、ご自分の分というものを考えなさい!!」


 そう言い捨てると、御簾を引きちぎらんばかりに払い除けて、出ていかれた。

 その様子は、自分の思い通りにならない子供が駄々をこねているようだった。


「姫さま、大丈夫でしょうか、あのように怒らせては後々、面倒なことになりはしませんか?」


「まあ珍しい、渡りがそのようなことを心配するとは。でもご自分の恥ですから、兄上に告げ口するとは思えませんし、結局、あの方は兄上の邪魔をなさりたいだけなのですよ。兄上を良く思ってらっしゃらないから、わたくしを我が物にすれば、兄上の邪魔が出来るとお思いなのです」


「それにしても、よく重利様があのような行動に出られると思われました」


「……それ以外に考えが及ぶ方ではありませんもの、渡りだってわかっていたでしょ?」


 その光景を一部始終、御簾の影から見ていた男がいた。

 継俊であった。

 彼は二人の様子を確認すると、笑みを浮かべその場を音も無く立ち去る。

 

 残された香の香りは重利と同じものであった。


 平安の闇は物の怪も人間もその姿を飲み込もうとしていた。





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