13
気まずい沈黙の後、継俊が口を開いた。
「姫、わたしに何か、魔除けになる物を授けてくれぬか。」
「……そうですね、お持ちになれておいたほうが良いかもしれませんね」
加賀美は何の疑いもなく、懐から香り袋を取り出した。
「この中に鈴が入っています。これを魔除けにお持ち下さい」
継俊はその袋をゆっくりと手にし、握りしめた。
「ありがとう、これで安心だ。あなたの舞の成功を祈るよ。そして、帝をお救いしておくれ」
継俊の表情は何時に無く真剣だった。
「継俊さま、何かお考えがおありなのですか?」
加賀美は妙な不安にかられた。
「いや、そのようなことは無いよ。それより夜が更けてきた、わたしは帰るとしよう」
「帯を……」
加賀美が几帳に掛かった帯を取ろうとすると、継俊はそれを制止した。
「そこに置いておこう。そうしておけば、あなたもわたしも安心して眠れるというものだ」
そう言い残すと、彼は誰にも気付かれないよう、そっと出て行った。
そして、その夜は静かに更けていった。
翌日、宮中を出て加賀美は屋敷に戻った。三日後の花の宴までに神楽の稽古を行わなくてはならない。神楽とは本来、神に奉納する舞である。純白の古代の衣装に身を包み、雅楽に合わせ優雅に舞う。
加賀美はふと、継俊に鈴を渡した時の彼の態度が気に掛かった。
何故、あのときあっさり鈴を渡したのか、あのとき感じた不安が戻ってくる。
「渡りはいますか?」
女房たちに聞くが加賀美が宮中から戻ってから、姿が見えないようだった。
渡りがいないことで、一人きりになってしまったようでよけい、不安は増していった。
それから二日が経ち、ようやく加賀美の舞も一通りの形がついた。
花の宴の前日の夜、最後の稽古をする。
その時、加賀美は体中に今まで感じたことのない漲る力を感じた。
何かに包まれ、自分の身体が浮いたようだった。
すると不思議なことに光輝く弓と矢が加賀美の手に現れる。
彼女の能力を結集したとき得られた、現在の彼女の最高の力だった。
現実の物ではない光物だった。
これぞ神より与えられし力である、と加賀美は思った。
実はどうやって真亜姫を本来の姿に戻すのか、考えあぐねていた。
今の自分の力で、あの術が解けるか不安だったのだ。
継俊にああは言ったものの、見当がつかなかったのである。
この弓と矢であれば、真亜姫を救うことができるかもしれないと思ったとき、「あっ」と驚いた声が聞こえた。
ここ二日ほど姿を見せなかった、渡りだった。
加賀美の手にある光物の弓矢を見て、驚いたようだった。
「姫さま、美しい光でございます」
渡りは加賀美の前で跪く。
「それより渡り、何処へ行っていたのですか? ここ二日というもの姿を見せずに。わたくしに何も告げずに、何処へ……」
そう言いかけて加賀美は言葉を詰まらせた。
「……継俊さまに何かあったのですか? 臥せっていらっしゃる……ねえ、渡り!」
いつもは取り乱したりなどない加賀美のうろたえた様子に、渡りのほうが驚く。
混乱した渡りの意識が、加賀美の中に流れ込んだのだろう。
「申し訳ありません、継俊様とのお約束でした。姫さまには話してはならぬと」
「何処へ行ったのですか?」
加賀美の顔は青ざめていた。
「月の姫の屋敷へ行って参りました。わたくしにその供をせよと、継俊様が申されて。それで、行って参りました」
「わたくしがついて行くと申し上げたではありませんか、それを如何して……勝手なことを……」
「継俊様は姫さまを連れて行くわけには参らぬと。考えてもみなさい、女君に会うのに自分の思い人を連れて行く男君はいないよ、とおっしゃいました。それで、わたくしがお供させていただきました」
継俊は正しい。
女君を連れて求婚に行く男君はいない。
「……それで、魔除けが欲しいとおっしゃられたのですね。もう少し早く気付けば良かった……それで、継俊さまのご容態はいかがなのです?」
「薬師の見立てでは、今日、明日が山だと。北山の僧侶にもお越し戴き、ご祈祷していただいております」
「継俊さまにお会いしたい……」
「姫、それは叶わぬことだとご存知のはず、決して、行ってはなりません」
継俊には正室がいる。通い婚のこの時代、女君のほうから訪問するのは、失礼だとされている。
暗黙の了解である。
ましてや正室でないならば、男君が通って来るのを待つより他ない。
「どうしたら良いのです、お願い、渡り……」
加賀美はその場で泣き崩れる。
「姫さま、落ち着いて下さい。継俊様は予めこのような事態を想定されておられました。尚のこと、姫を巻き込んではならぬと。どのみち、最終的にはあの姫でなければ解決できないのだから、わたくしが様子を見てきてあげよう、と。この扇を姫に渡しくれ、とおっしゃって、預かって参りました。月の姫から戴いたものであると言えば、わかると」
渡りは加賀美に扇を差し出す。
その扇には香が焚き染められ、広げると月夜が描かれ、かなり高価な物だった。
だが、その扇から妖気は感じられなかった。
「このような物の為に、継俊さまのお命が……やはり継俊さまはどうかしておられる」
「姫、継俊様はこうもおっしゃっておられました。とにかく、帝をお守りしなくてはならぬと。真亜姫様のことが先だからと、とおっしゃられました」
少し加賀美は落ち着きを取り戻した。
このままでは帝のお命が危ない。
月の姫のことは後で考えるとして、ならば何故、今、継俊は動くのか、やはりとことん読めぬ男だ。
次回、いよいよ花の宴です。