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第22話 都と安土のあいだに橋を架けよ

安土へ来て最初に与えられた仕事が、「都と安土のあいだに一本、筋を引け」である。


 言葉だけを見れば簡単だ。

 だが、簡単であるはずがない。


 都と安土。

 そのあいだにあるのは、ただの道ではない。

 人の顔、寺社の面目、公家の理、武家の都合、上様の速さ、家中の力学、そして噂の流れ。

 それらがいくつも重なって、一見つながっているように見えて、実のところはあちこちで詰まっている。


 龍之介は、それを“見取り図”に起こすことから始めるしかないと思った。


 まず、人だ。


 誰が都の声を拾うのか。

 誰が寺社と話すのか。

 誰がその話を安土へ持ち込むのか。

 誰が上様へ上げるのか。

 そして上様の命は誰がまた都へ、寺社へ、外様へ下ろすのか。


 戦国の政というものは、現代の役所のように看板が揃っているわけではない。

 「ここが窓口」「ここが決裁」「ここが通知」などと、綺麗に線が引かれているわけでもない。

 できる者がやる。

 顔が利く者が通す。

 重い者へさらに重いものが乗る。

 その連続で回っている。


 ゆえに強い。

 だが同時に、一人が歪めば、その歪みはすぐ大きくなる。


 龍之介は、安土の一角に与えられた机へ向かい、紙へ線を引き始めた。


 都。

 寺社。

 公家。

 安土。

 奉行衆。

 近習。

 上意。

 軍略。

 それらを大きく置き、今わかる範囲の名前を下へ書き込む。


 明智光秀。

 丹羽長秀。

 蘭丸。

 その他、都筋へ顔の利く者、寺社と繋がる者、兵を動かす者。

 すべてを厳密に知っているわけではない。

 だが今の自分に必要なのは、完璧な系図ではなく“どこが一人に寄りすぎているか”を掴むことだ。


「……なるほどな」


 線を引いていくと、見えてくる。


 やはり光秀のところへ太い線が集まりすぎている。

 都の話を拾う。

 寺社の顔を見る。

 武家の理屈へ下ろす。

 必要とあれば上様へ直に通す。

 さらに戦も任される。

 顔も立てる。

 汚れも引き受ける。


 できるから、寄る。

 寄るから、さらにできるように見える。

 そうして一本の柱へ重みが集中する。


 それは工場でも見たことがある。

 現場で一番できる者へ、段取りも、調整も、急ぎの修繕も、面倒な客対応も、全部寄っていく。

 すると最初は回る。

 むしろその者がいるから、ほかが多少粗くても回ってしまう。

 だが、だからこそ危ない。

 その柱が一本でも傾けば、誰も“そこまで一本へ寄っていた”ことに気づかぬまま、まとめて倒れる。


「まるでそのままだ」


 戦国も、工場も、人の流れで見れば似たところがある。

 龍之介はそう思った。


 その時、障子の向こうで控えめな声がした。


「入ってもよろしいか」


 丹羽長秀だった。


「もちろん」


 龍之介が答えると、丹羽は音も立てずに入ってきた。

 この男は何をしても静かだ。

 勝家のような大きさはない。

 だが、その静けさの方がよほど相手を疲れさせる時もある。


 丹羽は机の上を見た。


「早いな」


「何がでしょう」


「もう線を引き始めている」


「引けと命じられましたので」


 丹羽は微かに口元を動かした。

 笑ったというほどではない。

 だが、“そういう答えをするか”とは思ったらしい。


「見せてもらってもよいか」


「もちろん」


 龍之介は紙を少し向けた。


 丹羽は黙って見た。

 長い時間ではない。

 だが、彼がどこを見ているかが龍之介にはなんとなく分かった。

 線の太さだ。

 誰と誰をつないだかではなく、どこへ負担が寄っているか、その濃淡を見ている。


「……日向へ寄りすぎている、と」


 丹羽がぽつりと言う。


「はい」


「私も思わぬではなかった」


「だが、切り分けなかった」


「切り分ければ、そのぶん遅くなることもある」


 たしかに、その理はある。


 一人が全部わかっていて、一人で処理できるなら、その方が速い。

 信長の政は速さを要する。

 都の曖昧さに付き合いながらも、武家としては決めて動かねばならない。

 ならば“一人へ寄せてでも速く回す”という選択は、決して愚策ではない。


「速さのために寄せた」


 龍之介が言う。


「うむ」


「だが、その速さに日向守殿の器が追いついたからこそ、逆に危うかった」


「……そうだな」


 丹羽は静かに頷いた。


「上様の近くで一番怖いのは、できる者がますますできるように見えてしまうことだ」


 その言葉に、龍之介は小さく息を吐いた。


 丹羽長秀は、やはりよく見ている。


「できる者は断らぬ」


 丹羽が続ける。


「断らぬから任される。任されるから、また他が寄る。そうして本人も“自分がやるしかない”と思い始める」


「はい」


「そこへ上様の速さが乗る」


「そうなります」


 丹羽は机から目を上げ、龍之介を見た。


「で、おぬしはどうする」


 問いは静かだが、実務の問いだ。

 ここで“役割を分けましょう”だけでは、机上の空論になる。


「役職を増やすわけにはまいりませぬ」


 龍之介は言った。


「当然だ」


「増やせば増やしたで、今度はそちらに権と顔がつきます。都と安土のあいだに、新しい太い管を一本作れば、それはそれでまた別の詰まりを生む」


「そこは分かっているか」


「はい。ですので、増やすのではなく、まずは分ける」


「どう分ける」


 龍之介は紙の一角を指で示した。


「都で受ける話と、安土で整理する話を、少なくとも意識の上で切るべきかと」


「意識の上で、か」


「はい。看板を立てるほどの話ではございませぬ。ですが、“都で聞いたものを誰がどう噛み砕いて上様へ通すか”の線だけでも見えるようにする」


「なるほど」


「今は、それが個人の器量に依りすぎております」


 丹羽は少し考えたあと、頷いた。


「つまり、都筋専任の受け口を新設するのではなく、受けたものをそのまま上へ投げぬよう、途中でいったん整理する手を決める」


「はい」


「そして逆も」


「その通りにございます。安土の命を、そのまま都へぶつけぬことも必要です」


 龍之介はそこで、もう少し具体へ踏み込んだ。


「上様の言葉は速い。重い。まっすぐです。それはこの城では強みですが、都へそのまま下ろせば角が立つ」


「立つな」


「ですので、“命そのもの”は変えずとも、“届け方”を変える役が必要にございます」


 丹羽は、それを聞いて微かに笑った。


「おぬし、言葉の運びまで政と見るか」


「人が動くなら、そこもまた現場かと」


「ふむ」


 その返答に、丹羽は一定の評価を置いたようだった。


「悪くない」


 短い一言。

 だがこの男の口から出る“悪くない”は、かなり重い。


「ただし」


 すぐに続く。


「実際には、その“途中で整理する手”が誰になるかで揉めよう」


「はい」


「日向を外しすぎれば不自然だ。だが、また日向へ寄せれば同じになる」


「ええ」


「他の者に振れば、“なぜその者に”と必ずなる」


「はい」


 丹羽は龍之介の目を見た。


「そこで、おぬしを置くのか」


 龍之介は一瞬だけ黙った。


 そこに来るだろうとは思っていた。

 自分の役目は何か。

 都と安土の間を見ろと言われた時点で、いずれこの問いへは行き着く。


「……しばらくは、私がそこを見て整理するしかあるまいとは思っております」


「やはりな」


 丹羽は言う。


「だが、それは一時の橋にはなれても、恒常の橋にはなれぬ」


「その通りにございます」


「おぬしは異物ゆえな」


「はい」


「いつまでも異物に橋を預けるのは危うい」


「はい」


 龍之介は頷く。


「ですので、私がやるべきは橋そのものになることではなく、“橋が必要な場所”を明るみに出すことかと」


 丹羽の目が、そこで少しだけ細くなった。


「なるほど」


「都と安土の流れのどこが詰まりやすく、どこへ重みが寄りすぎ、どこで顔が潰れやすいか。それを見つけ、先に形へしておく」


「……」


「そのうえで、誰がそこを担うかは、上様と家中で決めるべきでしょう」


 丹羽は、しばし黙って龍之介を見ていた。

 それはもう、値踏みというより、確認に近かった。

 お前はどこまで己を知っているか。

 自分がどこまでやれて、どこから先はやれぬと分かっているか。

 そこを見ているのだろう。


「おぬし」


 やがて丹羽が言った。


「改革者ではないな」


 龍之介は少しだけ笑った。


「違いますか」


「違う」


 丹羽ははっきり言った。


「改革者なら、新しい役を立て、新しい看板を立て、そこへ権を寄せたがる。おぬしはそうではない」


「ええ」


「詰まりを見つける職人だ」


 その言葉は、龍之介にとって妙にしっくり来た。


 職人。

 現場。

 詰まり。

 たしかに自分は、新しい世界を一から設計する英雄ではない。

 だが、いまある流れのどこに無理が出ているかを見て、そこへ手を入れることなら、性に合っている。


「褒め言葉として受け取ってよろしいか」


 龍之介が言うと、丹羽は平然と答えた。


「好きにせよ」


 そこへ、今度は遠慮のない足音が近づいてきた。


 勝家だった。


 障子が開く音からして、丹羽とは別種の圧がある。


「おるか」


「おるにございます」


 龍之介が答えると、勝家は部屋へ入り、机の上の紙を一瞥した。


「まだ線なぞ引いておったか」


「引けと命じられましたので」


「皆それを言う」


 勝家は鼻を鳴らす。

 だがそのまま帰りはしなかった。

 つまり、何か言いに来たのだ。


「柴田殿」


 丹羽が言う。


「ちょうどよいところへ」


「何がだ」


「この御方、都と安土の間の詰まりを見つけるつもりだそうだ」


 勝家が、龍之介を見る。


「詰まり、か」


「はい」


「ふん。武家の政に、都筋の男が詰まりだの何だの」


 その物言いは辛辣だが、最初ほどの拒絶ではない。

 少なくとも“どれほどのものか聞いてやる”くらいの段にはいる。


「では柴田殿」


 龍之介は言った。


「一つ、お伺いしても」


「何だ」


「戦で、一番よくない荷駄の流れは何でございましょう」


 勝家の目が、わずかに動く。


「急に何だ」


「たとえ話です」


「……」


 勝家は少し考え、それから答えた。


「一つの道へ寄りすぎることだ」


「なぜです」


「そこが詰まれば、後ろが全部止まる」


「まさに」


 龍之介は頷いた。


「都と安土のあいだも、それに近うございます」


 勝家が黙る。


「都筋の理、寺社の顔、武家の都合、上様の命。いずれも重い。ですが、それを全部“わかる者”へ寄せれば、その者が詰まった時、後ろが全部止まる」


「……」


「日向守殿ほどの方でも、本能寺の朝まで行った。つまり、道一本に荷を寄せすぎたのと同じことかと」


 勝家はしばらく黙り、それから低く言った。


「武の理に置き換えると、腹へ落ちるな」


「恐れ入ります」


「だが」


 勝家の声が少し強くなる。


「荷駄と違い、人は勝手に動く」


「はい」


「割り切れば済む話ではあるまい」


「ございませぬ」


「ならばどうする」


「だから、まずはどこへ寄りすぎているかを見るのです」


 勝家は腕を組んだ。


「見て、それからか」


「はい。いきなり切り分ければ、今度は別の道が細くて潰れます。ゆえに、まずは流れの太さと重みを見ねばなりませぬ」


 勝家は黙った。

 黙ってから、少しだけ口元を引いた。


「……理屈は通る」


 龍之介は、その一言だけでも十分だと思った。

 勝家のような男が“理屈は通る”と言うのは、かなり大きい。


「ただし」


 勝家はすぐに続ける。


「現場で手を入れるのは、理屈ではなく腹だ。そこを忘れるな」


「肝に銘じます」


 勝家は一つ頷き、それ以上は言わずに部屋を出ていった。


 勝家が去ると、しばらくして丹羽が静かに言った。


「悪くない」


「何がでしょう」


「柴田殿へ、武の例えで返したところだ」


 龍之介は少し肩を抜いた。


「そうでもせぬと、あの方には届かぬ気がしました」


「それが分かるなら、やはり使い道はある」


 その評価を残して、丹羽もまた静かに去った。


     ◇


 一人残った部屋で、龍之介は机の紙を見た。


 線。

 名前。

 役目。

 詰まり。

 都。

 安土。


 少し前まで、自分は本能寺を止めることしか考えていなかった。

 だがいまは、その先の天下の流れの中で、人と役目の置き方まで考えている。


 変な話だ。


 だが、もう笑ってはいられない。

 本当に信長は自分を使うつもりだし、自分もまたそのつもりで応じ始めている。


 その時、障子の向こうから、よく通る声がした。


「龍之介」


 信長だ。


「は」


「入るぞ」


 返事を待たず、信長が入ってきた。

 相変わらずだ。

 そしてその相変わらずが、この城ではすでに自然に見える。


「柴田と丹羽、どうであった」


 いきなりそこを聞いてくる。


「お二人とも、納得したわけではございませぬ」


「当然だ」


「ですが、少なくとも“話にならぬ男”とは見ておられぬかと」


 信長は笑った。


「そのくらいでよい」


「よろしいので」


「皆に好かれる必要などない。役に立つと思わせれば足る」


 まったく、この男はどこまでもそういう理屈で生きている。


「ではおぬし」


 信長が机の紙を見た。


「そこまで見えたなら、次だ」


「は」


「都と安土のあいだに新しく一本、筋を引け」


 先ほど評定の場でも聞いた言葉だ。

 だが今度は、より具体に響く。


「まずは人と文の流れを見よ。誰が受け、誰が噛み砕き、誰が下ろすか」


「承知いたしました」


「日向のように、一つへ寄りすぎぬようにな」


「はい」


「そして」


 信長の目が細くなる。


「おぬし自身が、新しい詰まりになるなよ」


 その一言に、龍之介は一瞬だけ呼吸を止めた。


 やはり、この男はそこまで見ている。

 異物を入れる。

 橋を引かせる。

 だが、その異物が新しい太い管になれば、それもまた同じことだ。


「肝に銘じます」


「よろしい」


 信長は満足そうに頷いた。


「では働け。異物」


 その呼び方に、龍之介は少しだけ笑った。


「承知つかまつりました」


 本当に、自分は異物として働くことになったのだ。

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