第2話 閻魔大王は、美少女で、茨城担当だった
龍之介は、目の前の少女をまじまじと見た。
黒髪は腰のあたりまでまっすぐに流れ、艶がある。白い肌は雪のようにきめ細やかで、年の頃は十六、七にも見える。目元は涼やかで、鼻筋は通っているのに、口元には年相応の少女のような柔らかさもある。その不思議な均衡が、ひどく目を引いた。
装いは黒を基調とした小袖に、赤の差し色がわずかに入った和装だった。派手ではない。むしろ格調を抑えているように見える。だが、その質の良さは龍之介のような素人目にも分かった。襟元も袖口も乱れひとつなく、足元に至るまで隙がない。
そして何より、頭に載っている冠である。
そこに、達筆ではあるが極めて分かりやすく、こう書いてあった。
閻魔
「……ずいぶん率直だな」
思わず口にすると、少女は片眉を上げた。
「何がだ」
「いや、もっとこう、含みのある名札とか、格好のつく肩書きとか、そういうものはなかったのかと」
「役所で使う正式冠だ。現場では分かりやすさが第一だからな」
龍之介は一拍置いた。
死後の世界にも役所があり、しかも現場主義であるらしい。
「なるほど」
「なるほどで流すのか、おぬし」
「死んだ後に美少女の閻魔大王が出てきた時点で、もはや細部に驚いても仕方あるまい」
そう答えると、少女はじっとこちらを見たあと、ふっと小さく笑った。
「面白いな。もっと取り乱すと思っていた」
「百年も生きると、取り乱す体力も惜しくなる」
「それは年寄りらしい返答だが、今のそなたはもう年寄りではないぞ」
龍之介はその言葉に、自分の手元を見た。
たしかに皺がない。骨ばってはいるが、老いさらばえた手ではなく、張りのある壮年の手だった。病床に伏していたはずの肉体の重さも痛みもない。指を握って開くと、関節は滑らかに動いた。
「ほう」
「今さらか」
「驚いてはいる。ただ、順番としては貴殿の方が先だった」
「貴殿、か」
少女は少し考えるように首を傾げた。
「まあよい。礼節があるのは好ましい。死んだばかりの者の中には、現世の癖で『ここはどこだ!』『俺はまだ死んでない!』と喚く者も多い。そういうのは担当が面倒なのだ」
「担当」
「そうだ。担当だ」
少女はつかつかと畳を進み、龍之介の正面に置かれた座布団へ腰を下ろした。動きに無駄がない。人の姿をしているが、人が歩くときの気配とは微妙に違う。重さがあるのに音が薄い。
座る所作すらどこか絵になるくせに、口を開けば妙に現実的である。
「改めて名乗ろう。私は閻魔庁第七審理局・東国管区死後調整課所属、今年度茨城県担当閻魔大王補佐官にして、現場裁定権限保有者。通称、閻魔大王だ」
「長いな」
「長い」
「略した結果が閻魔大王か」
「一般死者への説明にはそのくらいがちょうどよい。いちいち正式名称を言っていたら日が暮れる」
「死後の世界でも日が暮れるのか」
「比喩だ」
龍之介はうなずいた。
「であれば、こちらも名乗り直した方がよさそうだな。三上龍之介。つい先刻まで、百歳の入院患者だった男だ」
「知っている。こちらは記録を見て来ているからな」
「だろうな」
閻魔ちゃん――と龍之介は内心で勝手に呼ぶことにした――は、傍らの低机にいつの間にか置かれていた巻物を指先で叩いた。
机も先ほどまでなかった気がするが、そういうことをいちいち詮索しても疲れるだけだろう。死後の世界で起きる現象に現世の理屈を当てはめても、たぶん徒労である。
「三上龍之介。大正十五年生まれ。終戦を経験し、戦後は工業系技術者として勤続五十八年。妻帯、二子あり。孫四人。信仰に大きな逸脱なし。重大犯罪歴なし。むしろ細かな善行がやたら多い。近所の神社の修繕奉仕、地域清掃、子ども会の見守り、交通整理、寺の雪かき、災害時の炊き出し手伝い……」
「やめてくれ」
「なぜだ」
「死んでから善行の読み上げをされるのは、妙にむず痒い」
「そうか? 多くの者は喜ぶが」
「そういう手合いもいるだろう。だが、善行というものは、いざ一覧にされると大半が成り行きだ。立派なものではない」
「ふむ」
閻魔ちゃんは巻物を閉じた。
「その返答も含め、点数は高い」
「点数制なのか」
「評価基準がなければ裁けぬだろう。昔はもっと感覚でやっていたが、今は監査が厳しくてな」
「監査」
「年々厳しい。とにかく厳しい。上は現場を知らん」
その一言には妙な迫真があった。
龍之介は思わず笑いをこらえきれず、肩を揺らした。
「……死後にもそういう話があるのか」
「ある。むしろ多い。死者は増える一方なのに、担当神格の増員は鈍い。三途の川の舟守など慢性的な人手不足だぞ。繁忙期は向こう岸まで二時間待ちだ」
「二時間待ち」
「まだ良い方だ。災害や大規模戦乱の直後など、整理券配布になる」
「整理券」
「順路案内の鬼も足りん」
龍之介はとうとう声を立てて笑ってしまった。
死後の世界で、最初にこんな話を聞くとは思わなかった。
「いや、失礼。しかし……なるほど。三途の川というのも、もっとこう、一列に並んでしんみり渡るものかと思っていた」
「昔話の影響だな。もちろん荘厳さもあるにはあるが、実務は実務だ。死者全員が情緒たっぷりに川を眺めていたら流れが滞る」
「現場の苦労がしのばれる」
「しのんでくれ。私は茨城県担当だからまだましだが、大都市圏など地獄だぞ。いや、地獄なのだが」
「うまいことを言ったつもりか」
「別に」
澄ました顔で言うが、ほんの少し得意げだった。
龍之介は改めて少女を見た。
可憐な顔立ち、整った所作、神格めいた威。
それでいて口を開けば役所の中堅職員のような愚痴が飛び出してくる。
奇妙な存在だった。
だが、ただ面白いだけではない。
話している間じゅう、部屋の空気のどこかに緊張が張っている。
彼女が言葉を切ると、静寂までが彼女に従う。
視線ひとつで、人を試し、測り、値踏みする気配がある。
人間の少女ではない。
その事実だけは、笑いながらでも片時も揺るがなかった。
「ところで」
閻魔ちゃんが言った。
「そなた、私をずいぶん自然に受け入れているな。見た目について何か言いたそうではあるが」
「まあ、かなり言いたいことはある」
「申してみよ」
「閻魔大王が、思っていたよりだいぶ美少女だった」
言うと、閻魔ちゃんは一瞬きょとんとしたあと、露骨に嫌そうな顔をした。
「第一声からそれを言う死者は珍しい」
「率直さが大事だろう」
「率直と無遠慮は違う」
「そうかもしれん。では訂正しよう。非常に威厳があり、神秘的で、それでいて驚くほど整っておられる」
「余計に胡散臭いな」
「褒めるのも難しい」
閻魔ちゃんは小さく鼻を鳴らした。
「まあよい。現世の創作の影響で、こちらの見た目に妙な先入観を持つ者は多い。髭面の大王が金棒を持って睨んでいると思っていたのだろう」
「正直に言えば、その想像はしていた」
「古い。あれは古い。今どきあの姿では威圧感が先に立って、審理の円滑化に支障が出る」
「そういう問題なのか」
「そういう問題だ」
龍之介はまた笑った。
面白い。
死んだという実感はある。あったはずなのに、この少女と話していると、まるで生きていた頃の延長で妙に腑に落ちる。寺の庫裏でよく働く若い巫女と、町役場の若手職員と、神話の裁定者を無理やり一つにしたような、不思議な存在である。
「しかし、茨城担当とはまた渋いな」
何気なくそう言うと、閻魔ちゃんの目が少しだけ鋭くなった。
「何が渋い」
「いや、単に地域が細かいなと。死後の世界の担当が都道府県単位とは思わなかった」
「当然だろう。現世の文化圏、信仰圏、死生観、家族構造、行政処理、災害傾向、地域慣習、全部違うのだぞ。同じ裁き方で済むわけがない」
「はあ」
「茨城は茨城で独特だ。海も山も平野もある。農も工も学もある。土地神の癖も強い。筑波山系は古層の気が残るし、鹿島の方は武の気配が濃い。水戸は水戸で妙に理屈っぽいし、県南は流入人口が多く死後手続きも複雑だ。現場を知らずに担当できると思うなよ」
途中から、妙に熱が入っていた。
龍之介は少し目を細める。
「……詳しいな」
「担当だからな」
「担当以上に、好きなのではないか」
「そ、そんなことはない」
間があった。
いま、明らかに動揺した。
「ただ、現世の観測を続ける以上、土地への理解は必須だ。必須だから詳しくなるだけだ。そなたらが納豆だの偕楽園だの牛久だのを妙に雑にまとめるから、こちらはそのたび補足説明に追われる」
「誰にだ」
「上にだ」
「上もそこまで把握していないのか」
「上は広く見る。現場は深く見る。いつの世も同じだ」
龍之介は深くうなずいた。
「分かる気がする」
「分かるか」
「現場で長く飯を食ってきたのでな」
その返答に、閻魔ちゃんはふっと表情を和らげた。
ほんの一瞬だった。
しかしその瞬間、彼女の見た目相応の年若さが垣間見えた気がして、龍之介は少しだけ親しみを覚える。
「で、三上龍之介」
閻魔ちゃんは姿勢を正した。
空気がまた少し変わる。
「そろそろ本題に入る」
「裁き、か」
「そう構えるな。すでにおおよその結論は出ている」
彼女は巻物ではなく、今度は薄い帳面のようなものを取り出した。表紙に金の糸で細かな模様が入っており、紙とも木ともつかぬ材質だ。開けば中には文字が並んでいる。だがただの記録簿ではない。見ているだけで、そこに記された内容が“嘘を許さぬもの”だと分かる。
「そなたの人生は、概ね善である」
「概ね」
「人間である以上、完全な善などあり得ぬ。怒りもあった、欲もあった、見栄もあった、若い頃の喧嘩もあったし、酒の席で余計なことも言った。家族を傷つけたことも、一度や二度ではなかろう」
「耳が痛いな」
「だが、それでもなお、そなたは大きく道を踏み外さなかった。自分の誤りを知れば恥じ、謝り、できる範囲で人を助け、己を鍛え、誰かのために動いた。名もなき善行を積み重ねてきた」
閻魔ちゃんの声は、先ほどまでの軽さを少し離れ、澄んでいた。
「だから、本来であれば、そなたは穏当に天の側へ送られる」
「そうか」
「驚かぬな」
「百年生きた末なら、それも悪くない」
「ふむ」
閻魔ちゃんは帳面から視線を上げた。
「本当に、それで満足か?」
その問いは不意だった。
龍之介は答えず、彼女を見返す。
閻魔ちゃんは続けた。
「家族に看取られ、恵まれた最期を迎え、善く生き、善く死んだ。記録上は申し分ない。美しい終わり方だ。おそらく、多くの者が羨む」
「だろうな」
「だが、そなたの魂にはまだ熱がある」
龍之介の胸の奥で、何かがかすかに鳴った気がした。
「熱?」
「そうだ。枯れておらぬ。満ち足りてはいるが、終わり切ってはいない」
閻魔ちゃんは帳面の頁をめくった。
そこには龍之介の生前の断片が、映像のように揺れて見えた。
若い日の素振り。
工場の片隅で図面を引く横顔。
寺の石段を上る背中。
博物館で刀を前に立ち尽くす姿。
孫と並んでアニメを見ながら、本気で展開に唸る老いた顔。
そして、夜更けに一人、戦国時代の本を閉じたあと、ぽつりと漏らした言葉。
――もし本能寺がなかったなら。
龍之介は、目を細めた。
「覗き見とは、趣味が悪い」
「職務だ」
「便利な言葉だな」
「便利だ。現場は便利でなければ回らぬ」
そう言ってから、閻魔ちゃんは少しだけ唇の端を上げた。
「だが、これについては職務だけではない」
「ほう」
「面白かったのだ、そなたが」
今度は龍之介が黙る番だった。
閻魔ちゃんは帳面を閉じる。
ぱたり、と軽い音がしただけなのに、その一音で部屋の空気が締まる。
「百年生きた老人で、ここまで俗っぽく、ここまで真面目で、ここまで武に執着し、しかも死に際にアニメの最終回を惜しむ。かと思えば、地域の社寺を支え、人を守り、歴史に恋をしている」
「散らかった人生だ」
「散らかっている。だが、だからこそ妙なのだ。普通なら、どこかで丸くなる。良くも悪くも諦める。なのにそなたは、穏やかに老いてなお、芯の火が消えていなかった」
「……買いかぶりだ」
「いいや」
閻魔ちゃんは、まっすぐに龍之介を見た。
その瞳の奥に、先ほどまでの役所的な疲れや、少女めいた気配とは別のものが灯っている。
神が人を測る時の、冷たさにも似た光。
そして同時に、何か面白い玩具を見つけた子どものような好奇も、確かにあった。
「三上龍之介。そなたは本来、天へ送られる。だが――」
わずかに間を置く。
その間に、龍之介は自分の鼓動が静かに速まるのを感じた。
死んだ後でさえ、こういう間には緊張するものらしい。
閻魔ちゃんは、ふっと笑った。
可憐で、底が見えず、ひどく意味ありげな笑みだった。
「あなた、天国に行くより――もっと面白い生き方、してみない?」




