第1話 「幸運に恵まれない人だけが見るチラシ」
「お前なんか、この会社にいらねーんだよ、バカ! 豆腐の角に頭でもぶつけて死んでろ」
狭い小会議室。
目の前の管理職――佐久間課長の怒声が、壁に跳ね返る。
「……はぁ。わかりました」
反論する気力もなかった。
資料のミス? 俺のせい。
取引先の機嫌が悪い? 俺のせい。
天気が悪い? 多分それも俺のせいだ。
ドアを出た瞬間、廊下で年下社員の戸山が腕を組んで待っていた。
「あ〜、山田パイセ〜ン。俺、来月から一年育休入るんで!」
ニヤニヤしながら言う。
「パイセン、彼女も家庭もなくて時間あるんですから、俺の分も頑張ってくださいね?」
「……はぁ」
戸山は近くにいた美人の先輩社員と談笑しながら去っていった。
俺はただ、立ち尽くす。
そこへ、社長が通りかかる。
「おい、山田くん」
嫌な予感がした。
「きみ、役に立たないから今度からボーナスカットな。クビにならないだけ感謝しろ」
「……はい」
山田太郎、29歳。
彼女いない歴=年齢。
運も味方もない人生。
夜。
築古アパートの自室に戻ると、昨日の食器がそのままシンクに残っていた。
電気をつける。
部屋は静かすぎて、逆に耳が痛い。
(誰も味方がいないな……)
昔からそうだった。
テストはなぜか当日だけ体調不良。
くじ引きは必ずハズレ。
好きになった人には、決まって彼氏ができる。
きっと、世界の主人公は俺じゃない。
俺は、脇役ですらない。
「不幸担当」の役者なんだろう。
「……はぁあああ」
カップ麺でも食うか。
棚からカップを取ったとき、床に落ちていた一枚のチラシが目に入った。
『──幸運に恵まれない方にだけ見えるチラシです』
「……は?」
思わず声が出た。
『あなたは、奇跡を得る権利を手にしました』
意味がわからない。
宗教? 詐欺?
そう思った瞬間。
プルルル……
スマホが鳴った。
見知らぬ番号。
チラシの下部に、細かい文字。
『この電話を取ると、あなたのルートが切り替わります。さぁ──』
心臓が嫌な音を立てる。
(どうせ、今より悪くなりようもないだろ)
俺は通話ボタンを押した。
「……はい」
『あっ……あの……山田さん、でしょうか……?』
若い女性の声だった。
震えている。
「……山田ですが、どなたですか?」
『村野実花です……あの……幸運のチラシ、見えましたか……?』
背筋がぞわっとする。
「……見えました」
『……よかった……あたしだけじゃなかった……』
彼女は小さく息を吸った。
『……すっごく嫌なことがあって……誰にも言えなくて……それで……電話、かけちゃいました……』
沈黙。
スマホ越しに、微かにすすり泣く声。
「……俺もです」
気づけば、そう答えていた。
「今日、会社で怒鳴られて……ボーナスもなくなって……」
『……あたしは……仕事、クビになりました……』
声が震える。
『彼氏にも……重いって言われて……』
不幸の見本市みたいな会話だった。
でも――
なぜか、胸の奥が少しだけ軽くなる。
「……不思議ですね」
俺は言った。
『……はい?』
「知らない人なのに……少し楽です」
向こうで、小さく笑う声。
『……あたしも……』
沈黙。
でも、さっきとは違う静けさ。
ふと、部屋の電球がチカッと明るくなった気がした。
「……村野さん」
『はい』
「……これ、なんなんでしょうね……このチラシ」
『さぁ……でも……』
俺はカップ麺を机に置く。
『……もう少しだけ、話しませんか』
電話の向こうで、はっきりした声。
「……はい。お願いします」
こうして――
俺の「不幸な人生」は、
ほんの少しだけ、ズレ始めた。




