表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能と呼ばれた魔法で世界を変えてみせます  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

第4話 文字を届ける

教室に使っている倉庫の窓から、午後の光が斜めに差し込んでいた。


埃っぽかった空間は一ヶ月で様変わりしている。壁には私が描いた文字表が貼られ、床には藁を敷いた座布団が並ぶ。贅沢とは言えないが、子どもたちが文字を学ぶには十分だった。


「先生、できた」


トマが手を挙げた。


膝の上には『ちいさなネズミのぼうけん』が開かれている。最後のページだ。


私は彼の隣に腰を下ろした。


「読んでみて」


トマは唇を動かしながら、一字一字を追った。


「ネズミは……おうちに、かえりました。おかあさんが……まっていました。おわり」


声は小さかったが、確かに響いた。


一ヶ月前、この子は自分の名前すら書けなかった。文字は貴族のものだと思っていた。本を開くことさえ怖がっていた。


「全部読めたね」


私の声が少し震えた。


トマは照れくさそうに頬を掻いた。でも、その目は輝いていた。


「先生の絵、好き。ネズミがまるくて、かわいい」


「ありがとう。トマが読んでくれて、私も嬉しい」


周囲の子どもたちが集まってきた。12人。最初は4人だったのが、噂を聞いて増えた。親たちの反応は様々だったが、「文字が読めれば騙されない」という実利が効いたらしい。


赤毛のリゼットがトマの肩を叩いた。


「ずるい、トマばっかり褒められて」


「お前も読めるようになればいいだろ」


「読めるもん! ……たぶん」


子どもたちの笑い声が倉庫に満ちる。


この音を聞くたびに、胸の奥が温かくなる。断罪された日には想像もできなかった光景だ。


教室が終わり、子どもたちが帰っていく。


トマだけが残った。


「先生」


「どうしたの」


「この本、他の村にもあったらいいのに」


私は瞬いた。


「他の村?」


「うん。前に話した従兄弟がいるんだ、隣村に。あいつも本読みたいって言ってた。でも、本は高いって」


それは分かっていた。この世界で本は贅沢品だ。写本は時間がかかり、一冊の値段は平民の月収に届く。私の絵本は魔力で複製するから安く作れるが、材料費はかかる。


「考えておくね」


曖昧な返事しかできなかった。


---


夕食後、工房で在庫を数えた。


教室用に配った分を除くと、絵本が28冊。農業の基礎知識をまとめた小冊子が15冊。識字教室用の文字練習帳が20冊。


魔力を注いで複製するたびに、指先が痺れる。一日の限界は10冊程度。それ以上やると翌日に頭痛が残る。


トマの言葉が頭から離れなかった。


他の村にも届けたい。でも、私一人の魔力には限界がある。


「考え事かい」


マチルダ伯母が工房に顔を出した。


「生徒が増えて嬉しいんだけど、本が足りなくて」


「ふむ」


伯母は棚に並んだ絵本を手に取った。


「売ればいい」


「え?」


「対価を取れ、という意味だ。材料費と労力に見合う金を受け取れ。慈善事業は立派だが、お前が倒れたら元も子もない」


売る。


その発想が、なぜか私の中で引っかかった。


前世の私は本を「商品」として見ていた。出版社で働いていたから当然だ。でも今の私は、本を「贈り物」として作っていた。子どもたちに文字を届けたくて。


「……でも、買える人は限られます」


「最初はそうだろう。だが、売れば次の本を作る金ができる。循環だよ」


伯母の言葉は、いつも実務的だ。冒険者として生き延びてきた人の論理。


「考えてみます」


---


翌日、客が来た。


領都から馬車で半日の距離を来たという商人だった。名前はギヨーム。四十代半ば、人の良さそうな丸顔に、抜け目ない目をしている。


「お嬢様が作っておられる本の噂を聞きまして」


応接間でお茶を出しながら、私は警戒を隠さなかった。


「噂、ですか」


「ええ。領都の市場で話題になっておりましてね。『エストレーユの追放令嬢が、子どもでも読める不思議な本を作っている』と。私は王都にも取引先がありまして、そちらでも話が広がっているようです」


王都。


その言葉に、鳩尾がきゅっと締まった。


「どのような話題でしょう」


「様々ですな。嘲笑う者もおれば、興味を持つ者もおります。私は後者でして」


ギヨームは鞄から銀貨の袋を取り出した。


「10冊、お譲りいただけませんか。子ども向けの絵本を。領都の知人に見せたいのです」


10冊。


私は計算した。材料費だけなら銀貨5枚で足りる。だが、前世で学んだことがある。卸値と小売価格は違う。商人が転売するなら、私が受け取るべきは「作り手としての適正価格」だ。


「用途をお聞きしても?」


「正直に申し上げます。売れるかどうか試したいのです。売れれば、継続的にお取引をお願いしたい」


嘘はなさそうだった。


「では、銀貨10枚でお譲りします」


ギヨームが目を丸くした。


「……銀貨10枚。1冊あたり銀貨1枚ですか」


「材料費、魔力、そして私の技術への対価です。転売なさるなら、そちらの利益は別途お考えください」


前世なら当たり前の交渉だ。でも、この世界で「技術への対価」を主張する平民や追放令嬢は珍しいのだろう。


ギヨームはしばらく私の顔を見つめていたが、やがて笑った。


「結構です。お嬢様は商才がおありだ」


商談は成立した。


---


ギヨームが去った後、私は工房に戻った。


手の中には銀貨10枚。ずしりと重い。


これで紙を買える。インクも補充できる。新しい本を作れる。


トマの言葉が蘇った。


「他の村にもあったらいいのに」


届けられるかもしれない。もっと多くの人に。


その時、マチルダ伯母が封筒を持って現れた。


「お前宛だ。王都から」


封蝋の紋章を見て、息を呑んだ。


王立学術院の紋章だった。


「……どうしてここに」


「貴族の追放先は公式記録に残る。調べれば分かることさ」


伯母の声は淡々としていた。だが、その目には何か——知っていて黙っている色があった。


封を切る指が震えた。


便箋には几帳面な文字が並んでいた。


「レヴィナス嬢。貴女が十歳の折に王立学術院へ投稿された論文の写しが、記録庫に保管されておりました。『記録属性の応用可能性について——魔法複製技術の理論的考察』。私はこの八年間、執筆者を探しておりました。記録属性の可能性について、直接お話を伺いたく存じます。ご都合をお聞かせください」


署名は、ルシアン・オルレアン。


王立学術院院長。


私の手から便箋が滑り落ちた。


投稿していたのだ。十歳の私は、父に見せる前に学術院へ論文を送っていた。そして父に「くだらない」と破棄された後、そのことを忘れていた。


記録庫に、写しが残っていた。


八年間、探されていた。


「……なぜ」


呟いた声は、自分でも聞き取れないほど小さかった。


マチルダ伯母が、静かに微笑んだ。その視線は便箋の署名に向けられている。何かを懐かしむような、それでいて試すような目だった。


「面白くなってきたじゃないか」


窓の外では、夕陽がエストレーユの丘を赤く染めていた。


トマの笑顔が思い浮かんだ。文字を読めるようになった子どもたち。銀貨を握りしめた手。そして、八年前の自分を探していたという見知らぬ学者。


届けたい人が、また増えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
20ページの本、10冊が一日の限界ってことは200ページが限界ってことだよね。 絵本じゃなくて小説200ページで考えると一日一冊も作れないんじゃ? 写本よりは速いけど流通させるには微妙な量だな。 木版…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ