表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能と呼ばれた魔法で世界を変えてみせます  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/10

第2話 エストレーユの風

馬車に揺られること、五日。


長い旅だった。


腰は痛むし、体は強張る。

宿に泊まっても、慣れないベッドでは熟睡できない。


それでも、頭の中では計画が形を成していった。


本を作る。

知識を届ける。

私の価値を、証明する。


——具体的には、どうすればいい?


前世の記憶を掘り起こしながら、私は考え続けた。


窓の外の景色が、少しずつ変わっていく。


王都を出た時は、まだ石造りの建物が並んでいた。


けれど南西に進むにつれて、木造の家が増える。

畑が広がり、果樹園が点在する。

遠くには、深い緑の森が見えた。


「エストレーユ領に入りました」


御者の声が聞こえた。


私は窓から身を乗り出す。


小さな村が見えた。


茅葺き屋根の家々。

井戸の周りに集まる女性たち。

畑で働く農夫たち。


素朴な、穏やかな風景。


王都の喧騒とは、まるで違う世界だった。


「……ここが、私の新しい居場所」


呟いてみる。


実感は、まだ湧かなかった。


---


分家の屋敷は、村の外れにあった。


二階建ての、堅牢な石造り。


貴族の邸宅にしては質素だけど、元は冒険者ギルドの宿舎だったと聞いている。

実用的で、飾り気がない。


馬車が止まる。


御者が扉を開けてくれた。


「お嬢様、到着でございます」


「ありがとう」


五日間座りっぱなしで、足が強張っている。


よろめきながら馬車を降りると——


「よく来たね、カミーユ」


低い、よく通る声。


顔を上げる。


屋敷の入り口に、一人の女性が立っていた。


銀色の短い髪。

日焼けした肌。

右頬から顎にかけて、一本の刀傷。


鋭い灰色の目が、私を見据えている。


背筋がぴんと伸びた立ち姿。

足の開き方、腕の位置——どこにも隙がない。


戦い慣れた人の佇まいだと、直感的にわかった。


——マチルダ伯母。


レヴィナス家の分家当主。

元A級冒険者。

エストレーユ子爵。


私が最後に会ったのは、確か……8年前だ。


父の名代として、本家の祝宴に来ていた。

遠くから見ただけで、話したことはほとんどない。


「話は聞いてるよ」


伯母は、腕を組んだまま言った。


「災難だったねえ」


その言葉に、同情の色はなかった。


かといって、冷たいわけでもない。


淡々としている。

事実を事実として受け止めている、そんな印象。


私は、どう反応すべきか迷った。


「……ご迷惑をおかけします」


とりあえず、頭を下げる。


本家から「厄介者」を押し付けられた。

そう思われていても、おかしくない。


警戒しないと——


「何を堅くなってるんだい」


伯母は、ふっと笑った。


笑うと、刀傷のある顔が途端に温かくなる。


「ここじゃ、そんな気を使わなくていい。入りな。茶を淹れよう」


---


屋敷の中は、外観以上に質素だった。


装飾品はほとんどない。

代わりに、武器や防具が壁に飾られている。


長剣、短剣、弓。

傷だらけの革鎧。

獣の牙で作られたらしい首飾り。


冒険者時代の戦利品だろう。


「見ての通り、貴族らしくない屋敷だろう」


伯母は廊下を歩きながら言う。


その歩き方にも隙がない。

足音を殺す癖が、今でも残っているようだった。


「使用人も最低限しかいない。自分のことは自分でやる。それでいいかい?」


「はい、問題ありません」


むしろ、ありがたい。


使用人が多いと、監視されているような気分になる。

王都の実家では、常にそうだった。


応接間に通された。


簡素だけど、清潔な部屋。

窓からは、果樹園が見えた。


林檎の木だろうか。

白い花が、風に揺れている。


「座りな」


伯母は、向かいのソファに腰を下ろした。


使用人が紅茶を運んでくる。


カップを受け取り、一口飲む。


……美味しい。


王都の高級茶葉とは違う、素朴な味わい。

けれど、体に染み渡るような温かさがあった。


「さて」


伯母が、カップを置いた。


灰色の目が、まっすぐに私を見る。


「あんたが10歳の時に書いた論文、読ませてもらったことがあるんだ」


——え?


「『記録属性の応用可能性について——魔法複製技術の理論的考察』」


私は、カップを取り落としそうになった。


その論文は。


父に見つかって、破り捨てられた。


「こんな役に立たない研究に時間を使うな」


そう言われて。


目の前で、紙が裂ける音を聞いた。


あれは——8年前のことだ。


「どこで、それを……」


「写しをね、こっそり本家の書庫から持ち出したのさ」


伯母は、悪戯っぽく笑った。


「あんたの父上には内緒だよ。あの人は、捨てたつもりでいるだろうからね」


写しがあった。


誰かが、写しを残していた。


「でも、なぜ……」


「あんたの母親のこと、知ってたからね」


伯母の目が、一瞬だけ遠くを見た。


「……まあ、その話はいずれ。今は論文の話だ」


母のこと?


私の母は、私が5歳の時に病死した。

ほとんど記憶がない。


何か、関係があるのだろうか。


聞きたいことはあったけれど、伯母は話を続けた。


「読んだ時は驚いたよ」


「10歳の子供が、あれだけの論理を組み立てられる。『記録』属性の可能性を、あそこまで具体的に考察できる」


「……でも、役に立たない研究だと」


「誰がそう言った? あんたの父親かい?」


伯母は、鼻で笑った。


「あの人は、戦えない魔法を『無能』だと思い込んでる。百年前の価値観のまま止まってるのさ。北の帝国との戦争で、戦闘魔法だけが持て囃された時代の」


その言葉に、胸が詰まった。


初めてだった。


私の論文を、「面白い」と言ってくれる人。


私の属性を、「無能」と決めつけない人。


「伯母様……」


「マチルダでいい。伯母様なんて堅苦しいのは性に合わない」


そう言って、伯母——マチルダは立ち上がった。


窓際まで歩き、外を見ながら言う。


「で、あんた。これからどうするつもりだい?」


---


これからどうするか。


馬車の中で、ずっと考えていたことだ。


「……本を作りたいんです」


私は、言った。


「本?」


マチルダが振り返る。


「私の魔法で」


「ふむ」


彼女は、再びソファに座り直した。


「記録魔法で本を作る。どうやって?」


「複製です」


私は、身を乗り出した。


「私の魔法は、見たものを保存して、別の媒体に転写できます。つまり——」


「一度書いた内容を、何度でもコピーできる、と」


「そうです」


「なるほど。それで?」


マチルダの目が、鋭くなった。


冒険者として戦場を生き抜いた人の目だ。


興味を持っている。

でも、まだ判断は保留している。


「今、この世界の本は全て写本です」


私は続けた。


「一冊作るのに、写本師が何日もかかる。だから——」


「高価で、貴族しか買えない」


「はい」


「あんたの魔法なら、一日で何冊も作れる。価格を下げられる。そういうことかい」


「そうです」


理解が早い。


マチルダは顎に手を当て、考え込んだ。


「面白い。確かに、理屈は通る」


「もっと多くの人に本を届けられます。知識が広がります」


「それで、あんたは何を得る?」


「……え?」


「慈善事業じゃないんだろう? あんた自身は、何を得たいんだい」


その問いに、私は言葉を詰まらせた。


何を得たいか。


復讐?

違う。


名誉?

それも違う。


「……私の価値を、証明したいんです」


気づけば、そう答えていた。


「『無能』と呼ばれてきました。私の魔法は役に立たないと。私には価値がないと」


マチルダは、黙って聞いている。


「でも、違うと思うんです。私の魔法には、可能性がある。それを——自分の力で、証明したい」


長い沈黙。


マチルダの目が、じっと私を見つめていた。


「——いいねえ、その目」


彼女は、にやりと笑った。


「あたしが冒険者だった頃を思い出すよ。無謀だって笑われても、やると決めたらやる。そういう目だ」


「じゃあ——」


「ただし」


マチルダは、指を折りながら言った。


「現実の話をしよう」


「はい」


「一つ。この領地じゃ、文字を読める農民は二十人に一人もいない」


厳しい現実。

でも、予想していたことだ。


「二つ。紙は高い。インクも高い。材料費だけで、かなりの金がかかる」


「はい」


「三つ。王都で『罪人』扱いされた娘の商売を、誰が買うと思う?」


現実の壁が、次々と突きつけられる。


確かに、その通りだ。


理想だけでは、何も動かない。


でも——


「紙が高いなら、安く仕入れる方法を探します」


私は、言った。


「売れる当てがないなら、『売れる本』を考えます。読める人がいないなら——」


一呼吸置く。


「読める人を、増やします」


「増やす?」


「文字を教えるんです。無料で」


マチルダの眉が、ぴくりと動いた。


「需要がないなら、需要を作る。市場がないなら、市場を作る。それが——」


前世の記憶が、口を動かしていた。


「——商売の基本だと、思いますから」


沈黙。


マチルダは、じっと私を見ていた。


その目に、何か——懐かしむような光が浮かんだ気がした。


「……あんた、本当にあの人の娘だねえ」


「え?」


「なんでもないさ」


マチルダは立ち上がった。


「いいだろう。屋敷の一角を工房にしていい。紙職人とインク職人の知り合いもいる。紹介してやるよ」


胸が、熱くなった。


「ただし」


マチルダは、人差し指を立てた。


「資金は自分で回すんだよ。あたしはスポンサーにはならない」


「え?」


「あんたの『事業』なんだから。自分の足で立たなきゃ意味がない」


厳しい言葉。


でも、その目は温かかった。


「甘やかすつもりはないけどね。見守ってはやるさ」


「……ありがとうございます」


私は、深く頭を下げた。


「マチルダ」


「ん。いい呼び方だ」


彼女は窓際に歩いていき、外を見ながら言った。


「今日は休みな。部屋を用意させてある。明日から、本気で始めるんだろう?」


「はい」


「なら、今夜はゆっくり寝ることだ。これからは忙しくなるよ」


---


与えられた部屋は、屋敷の二階にあった。


質素だけど、清潔な部屋。


窓からは、果樹園が見える。

夕日に照らされて、林檎の木々が金色に輝いていた。


「……きれい」


思わず、呟いた。


王都の景色とは、まるで違う。


高い建物もない。

人混みもない。

騒音もない。


ただ、風の音と、鳥の声だけが聞こえる。


ベッドに腰を下ろす。


ふかふかの羽毛布団。

清潔なシーツ。


ふと、枕元に目が留まった。


小さな花瓶に、一輪の花が活けてあった。


白い花。

林檎の花だろうか。


——誰が、活けてくれたんだろう。


使用人だろうか。

それとも、マチルダ本人だろうか。


どちらにしても。


これは、「歓迎」の印だ。


厄介者を押し付けられた、と思っていた。


面倒な罪人を預かることになって、迷惑がっているはずだと。


でも、違った。


マチルダは、私の論文を読んでいた。

私の可能性を、見ていてくれた。

8年も前から。


そして、この部屋。

この花。


「……っ」


胸が、締め付けられる。


扉を閉めて、ようやく一人になった。


五日間、張り詰めていた糸が、少しだけ緩む。


断罪の夜から、ずっと気を張っていた。


泣いたら負けだと思った。

弱さを見せたら、終わりだと思った。


でも——


目頭が、熱くなった。


——泣くな。


断罪の夜も、泣かなかった。

馬車の中でも、泣かなかった。


今さら泣いてどうする。


「……でも」


声が、震えた。


認めてくれる人が、いた。


待っていてくれる人が、いた。


それだけで——こんなにも、救われるものなのか。


「嬉しい、な……」


涙が、一筋だけ頬を伝った。


すぐに手の甲で拭う。


窓の外、夕日が沈んでいく。


星が、一つ、二つと瞬き始める。


王都より、ずっと近くに見える。


「……ここでなら、やれるかもしれない」


私は、立ち上がった。


窓を開ける。


夜風が、頬を撫でた。


冷たいけど、心地いい。


明日から、始まる。


新しい人生が、始まる。


本を作る。

知識を届ける。

私の価値を、証明する。


——まずは、何から始めよう。


子供向けの絵本がいいかもしれない。


文字が読めなくても、絵なら楽しめる。

子供が喜べば、親も興味を持つ。


そこから、少しずつ——


「よし」


私は、拳を握った。


窓の外に、満天の星空が広がっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ