第1話 断罪と解放
夜会の大広間は、千の蝋燭に照らされていた。
シャンデリアから降り注ぐ光。
磨き上げられた大理石の床。
色とりどりのドレスを纏った貴婦人たち。
王太子レオポルド殿下主催の夜会。
社交界の華やかな舞台——のはずだった。
「カミーユ・レヴィナス」
殿下の声が、広間に響き渡る。
私は、大勢の視線の中心に立たされていた。
「そなたを、ここに呼んだ理由はわかるな?」
わからない。
本当に、わからなかった。
今夜の夜会に招待状が届いたのは三日前。
普段は私を無視する婚約者からの、珍しい直接の招待。
何かあるとは思っていたけれど。
「聖女エミリアを虐げ、陥れようとした罪」
——は?
「神託により、そなたの罪は明らかとなった」
殿下の隣に、一人の少女が立っている。
淡い金髪。澄んだ水色の瞳。
白い法衣を纏った、聖女エミリア。
彼女は、悲しげに目を伏せていた。
「私、カミーユ様を恨んでなどおりません……」
その声は、鈴を転がすように澄んでいる。
「ですが、神託は偽れないのです……」
周囲からため息が漏れる。
「なんて心の広い聖女様」
「それに引き換え、あの令嬢は……」
囁き声が、四方から私を刺す。
——待って。
私は、この人と話したことすらほとんどない。
虐げた?
陥れようとした?
いつ?
どこで?
何を?
「弁明があるなら聞いてやろう。もっとも、神託を覆せる言葉があるとは思えんがな」
殿下の目は、もう結論を出していた。
神託は絶対。
それが、この国の常識だ。
聖女の言葉を疑うことは、神を疑うことと同義。
誰も、そんなリスクは負わない。
ましてや、レヴィナス家は今、弱っている。
父は病床。
兄は家督争いの真っ最中。
私を庇ったところで、得るものがない。
貴族とは、そういうものだ。
周囲を見回す。
知った顔がいくつもある。
かつて茶会で言葉を交わした令嬢たち。
誰一人、目を合わせようとしない。
——ああ、そういうこと。
不思議と、怒りは湧かなかった。
ただ、胸の奥が冷たくなる。
もう終わりだ。
私の人生は、ここで——
その瞬間。
頭の中で、何かが弾けた。
---
映像が、流れ込んでくる。
満員電車。
蛍光灯の白い光。
パソコンの画面。
深夜のオフィス。
——私は、日本で生きていた。
理系の大学院を出て、メーカーの研究開発部門に就職して。
2年かけた研究があった。
新素材の応用技術。
学会発表の準備も整っていた。
発表の前日。
上司に、持っていかれた。
『君の名前も入れてあげるから』
あの時の無力感を、私は忘れていない。
そして——
毎日終電。
休日出勤。
体が悲鳴を上げていたのに、止まれなかった。
倒れたのは、残業中だった。
気づいた時には、もう遅かった。
28歳。
自分の価値を、何一つ証明できないまま。
私は、死んだ。
---
「……っ」
私は、目を瞬かせた。
大広間。蝋燭の光。
見つめる貴族たち。
ここは——異世界。
そして私は、カミーユ・レヴィナス。
王太子の婚約者で、「無能魔法」の持ち主で。
今まさに、断罪されている。
——待って。
この状況、どこかで——
前世の記憶を探る。
電車の中で見た、ゲームの広告。
『星降る王国の聖女——運命の恋が、今始まる』
平民出身の聖女と、王太子の恋物語。
キャッチコピーには、こうも書いてあった気がする。
『立ちはだかる悪役令嬢を乗り越えて』
……まさか。
状況を整理する。
平民出身の聖女。
王太子との恋。
排除される令嬢。
私だ。
私が、その「悪役令嬢」なのか。
「カミーユ・レヴィナス」
殿下の声が、再び轟く。
「そなたとの婚約は、本日をもって破棄する」
来た。
婚約破棄。
広告の内容が正しいなら、ここで私は泣いて縋るのだろう。
「お許しください」と叫ぶのだろう。
でも——
——なんで私が泣かなきゃいけないの?
8年間、婚約者として尽くしてきた。
殿下からの手紙は、年に二通届くかどうか。
夜会で声をかけられることも、ほとんどなかった。
愛されていなかったことくらい、知っている。
婚約は政略。
私は駒。
それだけのこと。
前世でも、そうだった。
使い捨ての駒。
成果だけ奪われて、感謝もされない。
——もう、たくさんだ。
私は、自分の人生を生きる。
「承知いたしました、殿下」
私は、淡々と頭を下げた。
「ご縁がなかったということですね」
広間が、ざわめく。
予想と違ったのだろう。
泣いて縋る「悪役令嬢」を期待していたはずだ。
「……反省の色がないのか」
殿下が眉をひそめる。
「反省すべき点がございませんので」
私は顔を上げた。
「私が聖女様を虐げたという証拠は、神託以外にございますか?」
「神託を疑うのか」
「疑ってはおりません。ただ、事実を確認しているだけです」
殿下の目が険しくなる。
けれど、私は怯まなかった。
前世で学んだことがある。
権力者に媚びても、何も変わらない。
泣いても、喚いても、結果は同じ。
だったら、せめて自分の誇りは守る。
「証拠がないのであれば、これ以上申し上げることはございません」
一礼。
「では、失礼いたします」
背を向ける。
「待ちなさい」
聖女の声が、私を呼び止めた。
振り返る。
彼女は、慈愛に満ちた表情で私を見ていた。
「カミーユ様。私、あなたを恨んでなどおりません。どうか穏やかに、お過ごしになってくださいね」
完璧な笑顔。
完璧な声音。
完璧な「慈悲深い聖女」。
——けれど。
私は、彼女の目を見た。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
その水色の瞳の奥が、冷たく光ったように見えた。
口元も、微かに——笑っている?
気のせいかもしれない。
この距離では、はっきりとは見えない。
でも、直感が告げていた。
この人は、私を「哀れな敗者」として片付けたいのだ。
周囲の貴婦人たちが、感動したように頷いている。
「聖女様は、なんてお優しいの」
「あの令嬢には、もったいないほどの慈悲ですわ」
——ああ、そういう筋書きか。
反吐が出そうだった。
でも、ここで感情を爆発させたら、相手の思うつぼ。
私は、深々とお辞儀をした。
「ご心配には及びません」
顔を上げる。
「私はこれから、自分の道を歩みますので」
聖女の目が、一瞬だけ揺れた。
——気づいたのだろうか。
私が、彼女の筋書きに乗るつもりがないことを。
けれど、もう遅い。
私は踵を返し、大広間を出た。
誰も、追いかけては来なかった。
---
馬車は、夜の王都を走っていた。
窓の外に、街灯の明かりが流れていく。
追放先は、エストレーユ領。
レヴィナス家の分家、マチルダ伯母の領地。
王都から馬車で五日の距離。
田舎の、静かな土地だと聞いている。
「……ふう」
ようやく、一人になれた。
肩の力を抜く。
正直、足が震えていた。
平静を装うので精一杯だった。
でも——泣く気にはなれない。
むしろ、不思議な解放感があった。
婚約者という檻から、解き放たれた感覚。
もう、誰の顔色も窺わなくていい。
「公爵令嬢」としての役割を、演じなくていい。
——さて、どうしようか。
前世の記憶が、頭の中で整理されていく。
私は、日本で28年生きた。
理系の大学院を出た。
研究者として働いた。
成果を横取りされて、悔しかった。
自分の価値を証明できないまま死んで、悔しかった。
——今度こそ。
今度こそ、自分の力で何かを成し遂げたい。
ふと、思い出す。
大学時代、一般教養で取った授業。
西洋史概論。
グーテンベルク。
活版印刷。
知識の民主化。
本が安くなったことで、何が起きたか。
宗教改革。科学革命。啓蒙思想。
世界が、根底から変わった。
「印刷技術……」
私は呟いた。
この世界に、印刷技術は存在しない。
本は全て写本。
一冊が平民の年収に相当する。
知識は、貴族と聖職者だけのもの。
でも、私には「記録」魔法がある。
見たものを保存し、複製する力。
この世界では「無能」と蔑まれる属性。
戦闘には使えない。
貴族社会では「恥」とされる。
けれど——
「複製ができるなら、印刷ができる」
心臓が、早鳴りを打ち始める。
前世の知識と、この世界の魔法。
組み合わせたら——何ができる?
本を安く作れる。
たくさんの人に届けられる。
知識が広まる。
そして——
私の価値を、私自身で証明できる。
「……私を『無能』と呼んだこの世界に」
窓の外、遠ざかる王都の灯り。
私は、小さく笑った。
「見てなさい」
まあ、まずは生活基盤からだけど。
でも——
初めて、「自分で選んだ道」を歩ける気がした。
馬車が揺れる。
王都の明かりが、どんどん小さくなっていく。
五日後、私を待っているのは——
どんな場所だろう。
どんな人がいるだろう。
不安と、少しの期待が、胸の中で混ざり合う。
断罪された夜。
私の人生は、ここから始まる。




