表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

泣き寝入りなんてさせません!~転生侯爵令嬢、縁談のはずが人助けに奔走する~

作者: 天木奏音
掲載日:2026/01/22

「レティ、お前の結婚相手を見つけてきたよ!」


「まぁ、お父様。まだ諦めていなかったのですね」


 遅れて晩餐にやってきた父の目は、キラキラ輝いていた。今度こそ自信があるのだろう。


 40代独身で亡くなった前世の記憶がある侯爵令嬢、レティシア・レイン。それが私だ。


 今年で22歳になるのに結婚どころか婚約者もいない私は、この世界では十分に行き遅れと見做される。前世の記憶の影響で普通の令嬢とは到底言い難い性格だし、マトモな相手との結婚は難しいだろうと思っていた。だけどお父様の様子からすると、素敵なお相手を捕まえてきたに違いない。


「諦めるわけがないだろう。お前のお母さまも、きっとお空の上で祝福してくれるに違いないよ。あぁ、レティの晴れ姿を見せてやりたかったな……」


 7年前に病で亡くなった母は、私の先々のことを最後まで気に掛けていた。幼いころから異端だった私の考え方を一度も否定することなく尊重してくれて、その上で外で浮かないよう令嬢らしい立ち居振る舞いを徹底的に仕込んでくれた、厳しくも優しい母だった。


「それで、お相手はどこのお家のどのような方ですか?お父様が太鼓判を押しても、私が納得いかないようなお相手であれば、当然お断りしますからそのおつもりで」


「ふふふ、今回は自信があるんだよ。さぁ、この釣書を見ておくれ」


 そこには、ある子爵家の次男の詳細が記された紙と、一枚の絵姿があった。


「あら……!まだ、独り身でいらしたのね」


 私のお相手は、かつて学生時代に友誼を結んだとある子爵家の令息だった。


 ◇◇◇


「レティシアお嬢様、ご機嫌ですね」


「そう?顔には出していないつもりなのだけど」


 晩餐を終えて自室で一息つくと、従者のユージアに話し掛けられた。


「いつもより足取りが軽く、食後の甘いものをよく食べておられたので」


「ユージアは世界一私のことに詳しいわねぇ」


 ユージア・ルクスは私の10歳年上の従者で、伯爵家の出だ。元は王族の護衛騎士をしていたけど、7年前に最愛の奥さまを亡くしてしまい、護衛騎士の職を辞した。その後縁があって、5年前に父にスカウトされて私の従者になった。


 ただの侯爵令嬢に元王族の護衛騎士を従者としてつけるなんて大袈裟だと世間からは思われているけど、私はレイン侯爵家の跡取り娘だ。そして、領地の特産品レインシルクの考案者で、既に領地経営にも深く関わっている。現在領地を離れて王都の邸に住んでいるのも、王都の複数の商会とシルクを使ったドレスの取引をするためなのだ。どこの誰から狙われるかわからないので、用心するに越したことはない。


「ねぇ、結婚っていいものかしら?」


「少なくとも俺はそう思います。一人になったときは、こんなにつらい思いをするなら妻と出会わなければよかったと思うこともありましたが、今となっては彼女と過ごした時間の全てが宝物です。そう思えるようになったのも、レイン侯爵が俺を拾ってくれて、お嬢様が日々振り回してくれるお陰ですよ」


「ふふっ、落ち込んでる暇なんてなくなってしまったものね」


「えぇ。ですから、お嬢様にも幸せな結婚生活を送っていただきたいと、心から思います」


 ユージアの言葉を受けて、さっき見た絵姿を脳裏に思い浮かべる。


「……あのね、ユージア。私、今回のお相手は満更でもないのよ」


「それは珍しいですね。お相手のどういうところが、お嬢様のお眼鏡にかなったのでしょう」


「彼、学園で同じクラスだったの。決して目立つタイプじゃなかったけど、いつも落ち着いていて理知的で、とても親切な方だったわ」


 前世も含めたらけっこういい歳な私からすると、10代の少年少女との学園生活は些か厳しいものがあった。そんな中、浮ついたところも偉そうなところもなく、誰にでも分け隔てなく優しい彼だけは、魅力的に見えた。


「当時は恋人がいるって噂だったから、てっきりもう結婚しているのだと思っていたわ」


 彼に告白をしたクラスメイトが、恋人がいるからと断られていたのだ。そりゃそうよね、と思って私も淡い気持ちに蓋をしたので、今になって彼との縁談が浮上するなんて思ってもみなかった。


「色々、ご事情があるのかもしれませんね。ですが、結果的にお嬢様と縁付けるのであれば、お相手の方にとっても幸福なことでしょう」


「そう思ってもらえるよう、頑張らなくちゃね!」


 明日は彼との顔合わせだ。会うのは卒業して以来なので、少し緊張する。

 期待を胸に、早めに寝台に入った。


 ◇◇◇


「レインさん、大変、お久しぶり、です…………」


「ご……ご、きげん、よう……セオドア様……ですわよね?」

 

 5年ぶりに再会した彼、セオドア・ソールズは、見るからに疲れ果ててやつれていた。

 それはもう、誰の目から見ても明らかだった。


「セオドアくん……具合が悪いのかい?」


「いいえ、レイン侯爵様。そのようなことは一切ございません!ほらセオドア、しっかりしないか」


 彼に付き添って我が家を訪れたのは、ご両親ではなかった。年の頃からするとお兄さんだろうか。だけど、あまり似ていないしなんだかセオドア様への態度が冷たい。見るからにフラついているのに、バシンと強く背中を叩かれたセオドア様は吹き飛んでいくかと思った。


 なんかもう、物凄くきな臭い。

 やはりマトモな縁談ではないのだろうか。


「聞けばレティシア嬢は、うちの愚弟と学園で同じクラスだったそうですね。いやぁ、侯爵様!お互い良縁に恵まれて何よりですな!」


「そ、そうですね……」


 愚弟ということは、セオドア様の兄なのだろう。お父さまのソールズ子爵はご健在のはずなのに、何故兄が付き添っているのだろう。父も事情を知らないようで、ソールズ子爵家二人の様子に戸惑っているみたいだ。


 恐らく目の前のこの男は、なんらかの事情を隠したままセオドア様と私を縁付かせようとしているに違いない。格上の侯爵家と縁戚関係になるのが目的だろう。セオドア様の意思を無視して。


 セオドア様との縁談は嬉しかったけど、こうなれば話は別だ。

 ここで私は、咄嗟に頭を働かせて次の行動に打って出た。


「お父様!私、セオドア様にお会いするのは卒業以来なのです!二人きりでお喋りがしたいわ。いいでしょう?」


「レティ、もちろんかまわないよ!ただ、君たちはまだ正式な婚約者ではないから、節度を持ってね。二人きりにならないよう、ユージアも連れて行きなさい」


「えぇ、そのつもりです。さっ、セオドア様!行きましょ!」


 お父様はほっとしたような表情で私を見たので、こちらの意図に気付いたのだろう。だからこそ、同伴者に侍女ではなくユージアを指名したのだ。一方でセオドア様の兄は、こちらを小馬鹿にしたような表情で私を見ている。おおかた『行き遅れが年甲斐もなくはしゃいでるな』などと思っているに違いない。せいぜい油断しているといい。

 

 ◇◇◇


 「お嬢様、こちらを」


 庭へ出る直前にユージアが差し出してきたのは、大ぶりの日傘だ。日除けになるのはもちろんのこと、こちらの表情を隠すことができるので、室内から様子を見られても安心だ。


「ありがとう、ユージア。セオドア様、こちらに寄ってくださいますか?」


「は、はい……」


 こうして近くで見ると、顔色が悪く覇気がないのがよくわかる。元々物静かな方だったけど、こんなに悄然とした様子は初めて見た。まずは、何故そんな風になってしまったのかを聞き出さねばなるまいと決意を新たにし、彼の腕を引き寄せてぴったりとくっつく。


 傍から見ると、仲睦まじく寄り添って一つの日傘を分け合っているように見えるだろう。こちらの様子を伺っているセオドア様の兄の目も欺けるに違いない。


 「レインさん、僕は……」


「安心してください、私はあなたの味方になると決めました。ソールズ子爵家では、今、何が起こっているのですか?」


「え?」


「そのご様子だと、この縁談に乗り気ではないのでしょう。私や父が子爵家に不利益をもたらすことは決してないので、我が家がどうこうというより、別のご事情がありますね?」


「お嬢様。今入った情報によりますと、三ヶ月ほど前からセオドア様のお父上であるソールズ子爵が病で臥せっているようです。本日セオドア様に同行しているのは前妻の息子で、セオドア様の腹違いの兄にあたります」


 ユージアのことだから、昨夜の段階でソールズ子爵家のことを調べはじめたのだろう。日傘を持ってきた侍女が、こっそりと報告書を手渡したに違いない。我が家の使用人は皆察しが良く、行動が早くて助かる。トラブル対応は初動が命!と言い続けた甲斐があった。


「前妻は金遣いが荒く、息子が三歳の頃に外に男を作った挙句、金品を奪って出ていったようです。その後再婚したセオドア様のお母上は、3年前に病で亡くなられています。そして……」


 ユージアはセオドア様を一瞥し、コホンと咳払いをしてその先を口にした。


「セオドア様、あなたには恋人がいますね?」


 問われたセオドア様の顔色は、真っ青を通り越して真っ白になっていた。


「いいえ……正確には、いました、です……。彼女は我が家の使用人だったのですが、僕が不在中に異母兄に追い出されてしまい、行方が知れないのです……」


 なるほど、話が見えてきた。


「セオドア様は、お父上から次期当主にと指名されていますね?」


「レインさん、どうしてそれを!?」


「そのことに腹を立てた異母兄が、お父上の病を好機と思い、あなたの立場を奪おうとしているのでしょう。私との縁談は、厄介な弟を追い出しつつ侯爵家の外戚という美味しい立場を手に入れることが目的でしょうか」


「ぼっ、僕は、決してそのようなことは考えておりません!」


「えぇ、そうでしょうね。セオドア様はそのような方ではありませんもの、だけどこのまま何も手を打たずに流されるままでは、そうなる未来が待っているのですよ」


 「そんな……」


 もはや立っている気力すら失われたのか、その場にへたり込みそうになるセオドア様を慌てて支え、ユージアの手も借りてガゼボに移動した。ここでなら少しは寛げるだろう。ベルで侍女を呼び、ハーブティをお願いする。


「セオドア様、まずは深呼吸です。落ち着かれましたら、こちらをどうぞ」


「……ありがとう、ございます」


 素直に私の言に従い、ゆっくりと息を吸って吐いてを繰り返した後、侍女が丁寧に入れてくれたカモミールティーを口にした。


「少し、落ち着きました。何から何まで、本当に申し訳ございません……」


「いいえ、礼には及びません。ここまで来たら乗り掛かった舟です。子爵家のご事情を一気に解決するとしましょう!」

 

「へっ?」


「お嬢様、旦那様からご伝言が。異母兄には結婚に前向きな姿勢を示して、若い二人を邪魔しては野暮だと誘導して帰らせたから、いつでも室内に戻っておいでとのことです」


 ちょうどいいタイミングだ、流石お父様。


「では、セオドア様。今日からしばらく我が家にご滞在ください。行方知れずの恋人もすぐに探し出して我が家で保護しましょう。ユージア、使用人たちに指示を出すから、今手が空いている者を全員集めてちょうだい」


「かしこまりました、すぐに手配します」


 セオドア様はしばらくキョトンとしていたけど、人心地ついて状況が見えてきたようで、急に慌て出した。


「そっ、そこまでしていただくわけには……!」


「セオドア様は、溺れる者は藁をもつかむという言葉をご存じでしょうか」


 ご存じなわけがない、なんせ前世のことわざだ。だけどこういうのは堂々と言い放つことが大事だと思っているので、気にせず続ける。


「人窮地に陥った際、平時では考えられないような相手に助けを求めるものです。それがたとえ藁のように頼りないものであっても。ですが、ご安心ください。私も我が家の者たちも、藁より遥かに頑丈ですから。ね?」


 真っすぐにセオドア様を見据えて、安心させるように自信たっぷりに言い放つ。そんな私の様子を見て、セオドア様も決意を固めたようだ。


「……レインさん、ありがとうございます。お力をお借りさせてください!」


 ◇◇◇


「我がソールズ子爵家はここ何年も、建て直しに必死だったのです」


 セオドア様の口から語られた子爵家の内情は、惨憺たるものだった。


 「前妻の略奪と使い込みがあり、僕の幼少の頃は厳しい生活を強いられました。ですが、幸いにも領地の豊作が続き、少しずつ建て直すことができたのです」


 ソールズ子爵家の領地は温暖な気候で、茶葉や果樹の栽培がさかんだ。子爵は領地の視察をかかさず、堅実に丁寧に領地を富ませていき、セオドア様が学園に通う頃には安定した暮らしを送れるようになっていた。


「それで、異母兄が調子に乗ってしまったというわけですね」


「言葉を飾らずに言うと、その通りです。お恥ずかしいことに……」


 生母に似て金遣いの荒かった異母兄は、家の財産はいずれ長男である自分の物になると言い張って使い込んだ。家令が何度も諫めたけれど思い留まることはなく、領地経営に忙しくしていた子爵の目を盗んで使い込みを続けた。

 

 ところが今度はセオドア様のお母様が病にかかり、莫大な治療費を支払うことになる。

 子爵が気付いた時には、建て直す前のような厳しい財政状況に逆戻りしていた。


 「母がやつれていく姿を傍で見続け、必死に看病をしていた父は、異母兄のことにまで気が回らなかったのでしょう。僕も自分の仕事ばかりで、実家の現状に気付いたころには手遅れでした……」


「セオドア様は子爵家を継ぐ予定がなかったのですから、ご自分の生活を安定させるためにお仕事に打ち込むのは、ごく自然なことです。ましてや勤め先が公文書館ともなれば、さぞご多忙でしょう」


 学園を卒業したセオドア様は、文官の中でもほんの一握りのエリートしか勤めることができない国立の公文書館で働いている。王城の付帯施設のため、城の文官たちと同じように寮生活を送っており、兄の企みに気付くことが出来なかったのだ。


「せめて僕が寮に入ると決まったときに、彼女も連れ出すべきでした……後悔しています」


「恋人のエリンナ様は、男爵家の出なのですよね?」


「はい。ただ、男爵家は没落していて、両親との縁も切れています。だから今、彼女がどこにいるのか見当もつかなくて……」


 「大丈夫です、きっと見つかりますわ」


 セオドア様の恋人エリンナ様は、ソールズ子爵家の使用人の一人だった。セオドア様の亡きお母様の遠縁で、男爵家が没落した際にその伝手でソールズ子爵家で働き始めた。


 私達より4歳年上のエリンナ様は、国中の貴族の令息令嬢が集う貴族学園で、男爵令嬢ながら常に上位10位以内の成績をキープしていた才女だ。私でも名前くらいは知っている有名人なので、没落さえしなければセオドア様のようにエリート街道まっしぐらだったに違いない。在学中に男爵家の財政が破綻し、両親が爵位を手放したことで中途退学になってしまった、不遇の身の上だ。


 使用人と勤め先の令息という間柄だったけど、非常に相性の良かった二人が恋に落ちるのには、そう時間は掛からなかった。異母兄が子爵家を継ぐ前に家を出て自立する予定でいたセオドア様は、いずれエリンナ様と結婚し共に暮らすと誓い合っていた。


「エリンナの事は父には話して、許可を得ています。もちろん異母兄には話していません。だからこそ、油断してしまったのです」


 そこはセオドア様のツメが甘かった。貴族家の使用人なんて、大抵が噂好きだろう。ましてや坊ちゃんの恋人になった使用人など、格好の噂の的だ。二人の関係が異母兄に知られるのは時間の問題だっただろう。


 「爵位を継ぐ者は、次代のことを考慮して、基本的には伴侶を得てからでないと継ぐことができません。没落済みとはいえ、学園で優秀な成績を収めた元男爵令嬢を妻に迎えたら、未だ独身の自分より異母弟が有利になると思ったのでしょうねぇ」


 セオドア様の計画では、結婚する前にエリンナ様を母方の親戚筋の家と養子縁組させる予定だったというので、尚更だ。そこまでバレていたのかもしれない。


「異母兄は、学園在学中に素行不良が原因で婚約を破棄されています。それに、こう言ってはなんですが些か高望みが過ぎるようで、新しい婚約者が決まる見込みもなかったのです。だから僕の婚約を阻止して、時間を稼ぐつもりだったんでしょう」


「そうなってくると、何よりもエリンナ様の保護が優先ですね。それからソールズ子爵の主治医と一度話をしたいです。場合によっては、子爵を別の医者に診せることも視野に入れましょう。あと並行して、あの異母兄の身辺調査を――――」


 

「お嬢様、大変ですっ!!!!!」


 

 エリンナ様の捜索を任せていた侍女のマイラが、物凄い勢いでやってきた。まだ若いけど目端が利く子で、フットワークも軽いので重宝している。そんな彼女のただごとじゃない様子に、思わず息をのむ。


「マイラ、なにがあった?落ち着いてゆっくり報告してくれ」


 後ろに控えていたユージアが水を差し出す。それを一気にぐいっと飲み干したマイラは、驚きの事実を教えてくれた。


「お探しのエリンナ・セドニー元男爵令嬢ですが、妊娠しています!というかもう、生まれそうです!」


「なんですってぇ!!??!!??すぐに保護してきなさい!!!!!もちろん母体の安全を最優先で!!!!!」


「はいっ!!!!!」


「マイラ、俺も行く!」


 マイラの滞在はほんの一瞬だった。彼女の報告が本当なら、事は一刻を争う。ユージアがすぐに同行してくれたのが強い。


「セオドア様、お心当たりは!?」


「あっ、あ、あ、あります!!!」


 「では、すぐにエリンナ様との婚姻手続きを!エリンナ様が未婚のまま子が生まれてしまえば、王国法によりセオドア様が父親だと認めてもらうのに裁判を起こさなくてはなりません。今すぐ婚姻を成立させれば、生まれてくる子はセオドア様の実子として認められますから、急ぎましょう!!!」


 私はセオドア様の返事を待たず彼の腕を引っ掴んで、更には別室で待機していた父も引き連れて、急ぎ教会へ向かった。


 ◇◇◇


 「ぶ、無事に生まれて、よかったわ……」


 そこからはもう、怒涛の展開だった。

 

 この国では婚姻や出生は教会に届け出ることになっているため、レイン侯爵邸から一番近い教会にダッシュで駆け込み婚姻届けを受け取って、セオドア様に猛スピードで記入させ、承認欄に父のサインを入れてその場で受理してもらった。前世では証人が二名必要だったけど、ここでは高位貴族一名のサインで事足りる。


 余韻に浸る間もなく侯爵邸にトンボ返りすると、ユージアが使用人たちに指示を出しており、皆がそれに従いエリンナ様の出産準備を急ピッチで進めていた。しばらくすると侯爵家の専属医師と助産師がやってきてエリンナ様を診察し、既に陣痛が始まっていたためそのままお産となり、その十五時間後には元気な女児が産声を上げた。


「まさかこの家で生まれるなんてね……本当に、間に合ってよかったわ」


「エリンナ様の居住環境での出産は、危険でしかありませんでしたから。生まれる前に保護できて何よりです」


「ユージアの判断が早くて助かったわ。あなたこそ、あの二人の命の恩人ね」


「全てお嬢様の采配ですよ」


 ユージアはそういうけど、この家での出産は彼の判断だ。ここでなら侯爵家の専属医を頼れるし、陣痛が始まっている妊婦をあちこち移動させるわけにはいかない。母体へ負担が掛かり過ぎる。そういったことをきちんと理解して動けるユージアがマイラについて行ってくれて本当によかった。


 「うぅっ……よかったねぇ……本当によかったねぇセオドアくん!奥さんと子供を大事に、頑張ってね……!僕のことは第二の父親と思って、いつでも頼ってくれていいからね!」


「レイン侯爵、本当に、ありがとうございます……!あなた方は命の恩人です!!」


 エリンナ様が運び込まれた直後の父は『この家で出産するの!?レティより先に知らないお嬢さんが!?なんで!?』とうろたえていたけど、かつて妻の出産に立ち会った経験を思い出したのか、途中からはセオドア様を励まし続けてくれて、とても助かった。父のこういう善良なところがとても好きだ。


「さて、と。エリンナ様も赤子も客間へ移ったし、私たちも休みましょう。ひと段落したらソールズ子爵家の件は一気にカタを付けるから、皆そのつもりでいてね」


「「「はいっ!!!」」」


 今この場にいる使用人たちは、すっかりセオドア様とエリンナ様ご夫妻に肩入れしている。お産の最中もセオドア様の異母兄の身辺調査を進め、追い詰める準備をしていたのだ。存分に反撃しようではないか。


 ◇◇◇


 ずっと起きていたので流石に疲れが溜まっている。まずは睡眠をとるため、ユージアを伴って自室へ向かった。その道中で、皆の前では聞くに聞けなかったことを尋ねる。


「……ユージア、大丈夫?あなたがいてくれて本当に助かったけど、負担を掛けて申し訳ないわ」


「問題ありませんよ、お嬢様。あの赤子が無事に生まれるための一助になれて、こんな機会を得ることができて、むしろ感謝しております」


 ユージアの奥様は、出産時に命を落としたと聞いている。生まれてきた赤子もとても小さく、一歳の誕生日を迎えられず天に召されたと。


「お嬢様はいつも、俺のことを救ってくださるのですね」


「そんなことないわよ。あなたはいつだって、あなた自身の努力で自分を救っているのだから」


 きっと、辛いことをたくさん思い出しただろう。だけどそんな気持ちはおくびにも出さず、エリンナ様が無事にお産を終えられるよう最後まで奔走してくれたし、生まれてきた赤子が平穏無事に暮らせるよう、ソールズ子爵家の調査にも尽力してくれている。この人が私の従者になってくれたことは、両親に恵まれたことに次いで、この世界で得られた幸運なことだ。


 「それにしても、セオドア様がお嬢様の縁談相手だったという事実を、皆すっかり忘れていましたね」


「……そういえばそうだったわね」


 当事者の私自身、もはやすっかり忘れていた。

 昨日の今頃は、セオドア様との結婚なら悪くないわと満更でもなかったというのに。私のちっぽけな乙女心は、セオドア様の異母兄への怒りやエリンナ様のお産を前にして、すっかり吹き飛んだ。


「お嬢様は、エリンナ様を当家で雇用されるおつもりですか?」


「えぇ。なんせ、貴族学園でトップクラスの成績を誇った才女ですもの。領地での事業拡大も計画しているし、是非手伝ってもらいたいわ。本人が頷いてくれるといいのだけど」


「レイン侯爵家は最高の職場環境ですから、問題ないでしょう。それよりも、お嬢様はそれでいいのですか?」


「あら、いいに決まってるじゃない。何かユージアには気になることでもあるの?」


 ユージアの懸念するところが何かわからず、率直に尋ねてみたところ、少し躊躇う様子を見せてから話してくれた。


「……お嬢様は、セオドア様との縁談には乗り気でいらっしゃいましたから。その奥様を雇用するのに思うところはないかと、少しばかり気になったのです」


 ユージアの瞳には、私を気遣う気持ちがよく現れていて、胸が温かくなる。


「ふふっ、私の気持ちを考えてくれたのね。確かにセオドア様との縁談は悪くないなと思ってたけど、彼に対して恋愛感情を持っていたわけではないの。ユージアは気にしなくていいのよ」


 それよりも今は、ひょんなことからご縁が出来たセオドア様一家を無事に守りたい気持ちが圧倒的に勝っている。いつの時代のどんな国でも、セオドア様の異母兄のような行いは決して許してはならない。


「あなたには話したことがあると思うけど、私ね、前の人生では姉がいたの」


「お嬢様が、レティシアお嬢様になる前の人生のことですね」


 私の前世については、両親とユージアには話してある。対外的にはこの世界のご令嬢らしく振舞えるよう亡き母が鍛えてくれたけど、私という人間の本質に触れる可能性がある人にはきちんと話すと決めているのだ。

 

 「前世の私の姉も、出産や子育てで苦労したの。父親になるはずだった男性は、姉を捨てて逃げてしまったから。だから、姉の子は私が一緒に育てたのよ」


 だからこそ、苦労している妊婦なんて絶対に放っておけなかった。


「それでお嬢様は、セオドア様たちご一家を見過ごせなかったのですね。ようやく腑に落ちました」


 幸いなことに、セオドア様は婚姻前の交際相手を妊娠させてしまう迂闊さはあれど、それ以外は誠実な人だった。自らの行いを反省し、苦労を掛けたエリンナ様に誠心誠意詫びる姿と、彼からの誠意を受け取って安堵の涙を流すエリンナ様を見て、この家族が末永く幸せでいられるよう、力を貸したいと強く思った。


 「ユージアは、私がセオドア様のことを好いているから助けたと思ったのかしら?」


「えぇ。お嬢様は優しい方ですから、その選択でいずれご自身が苦しむのではないかと懸念したのです」


「それはないから、安心してちょうだい!今の私は素敵な縁談よりも、あの異母兄をどうやってぎゃふんと言わせるかを考えるので頭がいっぱいよ!!」


「では、俺も共に考えますから、今はゆっくりお休みください」


「あなたも、ゆっくり休んでちょうだいね」


 自室に到着し、待ち構えていた侍女のルーシーに私を引き渡して、ユージアも休息を取るべく自室に戻っていった。


「お嬢様、お疲れ様でございました。昼食の頃に起こしに来ますね」


「ルーシーも、エリンナ様の身の回りのお世話をありがとう。私が寝ている間は、あなたもしっかり休んでちょうだい」


 侍女が去り、眠りに沈む直前。

 ふと脳裏にユージアの顔が浮かんだ。


「ユージアの言う通り、セオドア様との縁談は悪くないなと思ったのよ。だって、一番結婚したいと思う相手は……」


 ユージアは今でも、亡くなった奥様のことを大事に想っている。

 そういうところも含めて彼のことを好いているのは、他でもない私自身だ。


 10歳も年下の小娘が相手にされるとは思っていないし、気持ちを打ち明けて今の関係が壊れてしまうのが一番嫌だ。真面目なユージアのことだから、従者を辞めてしまってもおかしくない。


 だったら、今のままでいい。


「結婚相手、頑張って探さなきゃな……」


 そうして私は、起こしに来たルーシーの声に気付くことなく、夕方近くまで爆睡したのだった。


 ◇◇◇


 レティシアお嬢様との出会いは、妻を亡くした二年後だった。


 政略結婚だったけど、物静かで聡明な妻との生活は心地よく、穏やかで優しい日々がずっと続いていくものだと思っていた。だけど妻は出産で命を落とし、生まれた子供も長くは生きられず、自宅から出ることも叶わないまま短すぎる生涯に幕を閉じた。


 すっかり抜け殻のようになり、王族の護衛騎士も続けられなくなった俺は、使用人全員に暇を告げて自邸に引き籠った。だけど妻子の思い出が詰まった我が家での暮らしも苦痛でしかなく、暗澹たる日々を送っていた。


 そんな俺を訪ねてきたレイン侯爵は、17歳になる愛娘のことをこう語った。


「レティシアはちょっとわけありで、人より早熟なところがあってねぇ。ご令嬢たちにあまり馴染めなくて、妻は亡くなる間際までそのことを心配していたんだ。だけど僕は、無理に令嬢らしくならなくても、レティのいいところを伸ばしてあげたいと思っている。だからあの子が自由にのびのびと生きられるよう、すぐ傍で見守ってくれる従者が必要なんだ」


「なぜ、俺なんかに?」


 「君は以前、第三王女殿下の護衛任務に就いていただろう?気難しい殿下が君には随分懐いていた光景を、よく覚えているよ。まだ外に出るのは辛いことかもしれないけれど、君のような心優しい男が娘の傍にいてくれたら心強いと思っている。是非考えてみてくれないか」


 妻子を亡くした傷が癒えたとは到底言えなかったが、外に出て忙しくしていた方が苦しみを忘れられるんじゃないかと考えた俺は、レイン侯爵の誘いに乗ることにした。奥方を亡くしたばかりの侯爵の力になれるなら、余生の過ごし方としては上等だろう。かつて仕えた王女は幼子で随分振り回されたものだけど、既に17歳の侯爵令嬢なら相手なら、穏やかに働けると思ったのだ。

 


 しかし、その考えは初日で打ち砕かれた。


 

「ユージアさんですね!?すみません早速なんですが、馬に乗るのは得意ですか!?」


 侯爵家の王都邸で暮らすレティシアお嬢様は、13歳の頃から領地で特産品の開発と販売に携わっており、実に多忙なお人だった。その日も領地で作られたシルクを使った特注のドレスを、契約先の商会に急ぎ届けるべく自ら馬車に乗り込もうとし、レイン侯爵に止められている真っ最中だった。


「レティシアお嬢様、無事にお届けしました。こちらは商会長からの贈り物です」


「あら、パティスリーココの焼き菓子詰め合わせだわ。みんなでいただきましょう!マイラ、これを持って行ってちょうだい!」


 マイラと呼ばれた侍女見習いらしき少女はすぐにやって来て、菓子の箱を受け取り、お嬢様にそっと告げる。


「お嬢様、こちらの方は今日からいらしたんですよね?ご挨拶はしたんですか?」


「はっ!私ってば、ろくな挨拶もせずに申し訳ありません!!改めまして、レティシア・レインと申します。今日からどうぞよろしくお願いします」


 どうやらこの邸では、使用人と主人の距離感が随分近いようだ。こういう雰囲気は嫌いじゃない。


「ユージア・ルクスです。初日からお嬢様のお役に立てて光栄です。どんな用件でも構いませんから、何でもお申し付けください」


「その御言葉、社交辞令ではなく本気で受け取っても困りませんか?」


「レイン侯爵が反対なさるようなことでなければ、いくらでも」


「ふふっ、頼もしいですわ。王族の護衛任務ほどのやりがいは無いかと思いますけど、忙しさではきっと負けませんから、覚悟しておいてくださいませ。ユージアと呼んでもいいかしら?」


「勿論です、レティシアお嬢様」


 嬉しそうに微笑むお嬢様の笑顔は、とても眩しかった。


 ◇◇◇


 それから五年の月日が流れ、忙しくも充実した日々を送っている。勤め始めてから三年目の節目には、レティシアお嬢様の口から直接、こことは異なる世界で生まれ育った前世の記憶を持っていることを打ち明けられた。前世のお嬢様の享年が今の自分よりも随分年上で驚いたのと同時に、重大な秘密を共有していただけたことに喜びを感じた。


「ユージアさん、頼まれたものが届きました!」


 お嬢様を部屋に送り届けて自室に向かっていると、従僕のフランに声を掛けられた。


「あぁ、早くて助かるよ。ありがとう」


「これもお嬢様の人脈と人望のなせる業ですよ」


「そうだな。ひと段落したら一気にカタをつけるとおっしゃっていたから、段取りしておくとしよう」


「はいっ!」


 フランから受け取った書類には、セオドア様の異母兄の悪事の数々が記されていた。父であるソールズ子爵の主治医を買収しマトモな治療をさせていないこと、自身に任せられている領地の事業で不正を行っていること、とある伯爵夫人と不倫関係にあることなど、多彩な悪事が細部までしっかり記録されている。これだけあれば、異母兄を排斥してセオドア様を次期子爵にすることは容易いだろう。


 ユージア自身は、愛する者を自分の手で守り切れないどころか、異母兄に嵌められたとはいえのこのこと縁談の場に顔を出してお嬢様の手を煩わせたセオドア様に対し思うところがあるが、お嬢様が手助けすると決めたなら従うまでだ。そこに自分の感情は必要ない。


 たとえ自分が、誰よりも一番傍でお嬢様を支え続けたいと思っていても。

 あの笑顔を誰にも渡したくないと、心から思っていたとしても。


「お嬢様には、若くて将来有望な婿が必要なんだ。レイン侯爵がいい人を見付けてきてくれると良いんだが……」


 お嬢様が自分に求めている役割は、優秀な従者だとわかっている。分不相応な想いには蓋をして、いつでも頼ってもらえるよう自分を磨き続けようと、もう何度目かわからない決意を新たにした。


 ◇◇◇


 それから三年後。

 傍から見ると想い合っているようにしか見えない主従であるところのレティシア・レイン侯爵令嬢と、その従者のユージア・ルクスは、レイン侯爵領でひっそりと結婚式を執り行った。


 お互い想い合っていることに気付くのに一年掛かった上に、互いに遠慮があってなかなか交際へ発展しなかったけれど、レティシアの専属秘書になったエリンナ・ソールズ子爵夫人が『二人をなんとしてでも幸せにしてみせる!』と奮起し、無事に今日の良き日を迎えることができた。これには2人の関係を見守っていたレイン侯爵家使用人一同も大喜びで、愛娘の幸せな結婚を誰より望んでいたレイン侯爵もご満悦だった。


 そして、挙式にはレティシアが名付け親になったソールズ子爵夫妻の第一子ユーフェミナも、大喜びで参列した。


「レティさま、おめでとう!きれいだよ!」


「ありがとう。ユーフェもピンク色のドレス、とっても可愛いわ」


「うんっ!レインシルクのドレスなのよ!!」


「ふふっ、ありがとう。無事に結婚もできたし、ますます頑張って領地を発展させるから、応援してちょうだい!」


 のちにレイン女侯爵となったレティシアは、幅広い知識と柔軟な発想で、自領だけでなく国へも多大な貢献を果たした。その傍らには常に夫が寄り添っていたという。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
人のお世話焼いてたら巡り巡って自分にも福が。まさに情けは人の為ならず。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ