異世界転移の仕様
疑問への答えを求めた猪野をオウジは制し、移動を促した。
「暗くなりきる前に宿をとるべきだ」
その主張は、まったくその通り。なぜってここは安全な日本じゃない。治安の悪い異国で、知らない町に不慣れな者ばかり集まってうろついていて、良いことなんてあるはずがない。猪野はまだ海外を旅行したことがないので、異国のことは伝聞からの想像でしかないけれど。
「おおせのままに!」
「あの、あの、あたし……」
異世界の先駆者が、なにより推しが言うのだから従うべし。
いざ進まん、としたとき。オウジの手から逃れようと、子どもが身をよじるのが見えた。子どもの手助けをするかのように、モアがオウジにくちばしを向けるのも。
逃しちゃだめだ、と猪野は痩せた体に抱えられたノートごと、子どもを抱き上げた。
「きゃあ!」
「お、意外とずっしり。あなた、名前は? 年齢と出身、好きな物語もあったら教えてください」
「え、え?」
戸惑う子どもにオウジが呆れた様子で目を細める。モアはおどろいたように目を丸くして、動きを止めていた。
「質問が多すぎるだろ。ノートを取り返してそれで終い、じゃねえのか?」
「いえいえ、これも何かの縁ですから。名乗らないなら勝手に呼び名を付けますよ。チューリップちゃん」
「チュ? え、ええ?」
子どもはあわあわと猪野とオウジを見る。手に取るようにわかる戸惑いに、オウジが嘆息する。
「はやいとこ名乗っとけ、こいつはしつこいぞ」
「おや、私のことをご理解いただけてる!」
うれしくって猪野の声が弾む。推しに認知されるとは、なんと胸が弾むことか!
猪野がにんまり笑ったその隙を逃すものかとばかりに、腕の中の子どもが「あのっ!」と顔をあげた。
「あたし、ポフィリです!」
「そうですか、はじめまして、ポフィリ。私は猪野ふらん。あなたが持っているのは私の大切なノートなので、返していただいても?」
「……はい。ごめん、なさい」
しゅんとうなだれながらも抱えたノートを差し出す姿に、猪野はこっそりほっと息を吐く。
だって、人のものを盗んだことなどない。だからポフィリが抵抗したならば、どう対応すべきかわからなかった。
けれど運良く素直に謝罪をしてくれたので、猪野は安心してポフィリの頬に自分の頬をおしつけた。後ろからモアが猪野の襟首をくちばしで挟んで引っ張っているが、今は構っている暇がない。
「過ちを認めて謝罪できる! 素晴らしい。まだ幼いのに……幼い、ですよね? いくつです?」
「ええと」
問いに応えてポフィリが指を立てる。右手の指を五本、左手の指を二本。
「七つですか。この猪野ふらんの生涯の三分の一にも満たない命! それなのに反省ができるとは、素晴らしい! 猪野ふらんが反省を覚えたのは、もっと後でしたよ」
「基準が自分なのかよ」
「それはもちろん。なぜなら私の視点の主は、私でしかあり得ませんから!」
「さようで」
猪野はポフィリをおろして隣に立たせる。小さな頭は猪野の胸に届くかどうか。
なんとなくぽふりとひとなでしてから中腰になり、視線を合わせる。
「ポフィリ、あなたがいっしょに旅してきた面々のなかに頼れる相手はいますか?」
頼る相手がいるのならばその人のもとに戻したい。けれど、少女の強張った表情を見るに難しいのだろう。
「あなたにはおそらく親御さんがいないのだろう、と何でも屋さんたちが言っていましたが、事実ですか?」
びく、と少女の肩が揺れた。薄暗いなかでもよく見える大きな瞳がうるりと濡れる。
ああこれはきっと聞くべきでないことだった。
猪野のなかの良識が騒ぐ。けれど、問いを引っ込めることはせずオウジに目を向ける。
「というわけで、この子も旅の仲間に加えます」
「どういうわけだ」
「もちろん、信用に足る相手に預けるまでのことなので」
やがて元の世界に戻る猪野たちが、いつまでも連れ歩くことはできないことくらいわかっている。けれども、保護する者を持たない子どもを放り出すことはできない。
罪悪感もなく盗みを働き生き抜ける者ならばともかく、ノートひとつを震えながら奪い、すぐさま売り払うこともできずに路地裏をさまよっていたような子どもなら、なおさら。
その思いがオウジにも伝わったのか。あるいは、この世界を知る彼だからこそ想像を巡らせたのか。
白髪をぐしゃりとかき乱して、ため息をつく。
「まあ、子連れのほうが街中で動きやすい。認識されにくいだけじゃなく、観測する目がゆるくなるはずだ。しかし夫婦と子どもって設定にするのは、あんたに失礼か」
「なにをおっしゃいます、大歓迎ですが!?」
食い気味に言えばオウジがたじろぐ。
「いや、年が離れすぎてるだろ」
「干支の一周や二周、気にする猪野ふらんではありませんとも」
「さすがに二周はしてねえだろうよ」
思わず、といった調子で突っ込まれて猪野は勝機を見た。
「じゃあ問題ありませんね? 私が母で、オウジ先生が父。ポフィンはかわいいわが子です!」
「え、わ、わあ!」
突如できたわが子を抱きしめれば、驚きの声があがる。そこに弾んだ響きを感じたのは、猪野の願望だけではないはずだ。
「はあ……じゃあ、もうそれで良い。期間限定だがな」
「う、うれしい!」
ため息をつくオウジと目をきらめかせるポフィン。
親子としてふるまうことが確定したわけである。仲間に入れろ、とばかりにモアが首をつっこんできたので「あなたにはペットのポジションをあげましょう」と告げる。羽を広げてばたついているから、舞を舞えるほど喜んだのだな、と猪野はうれしくなった。頭を突かれているのは、親愛の行為だと思っておこう。
「それじゃあ、まずは宿だな。換金して宿とるから、お前ら余計なこと言わずについて来いよ」
「らじゃっ」
「はい!」
「くえぇ」
良い返事をして、オウジについていく。するとオウジはふらりと店へ入って行き、金銭を手に出てきたかと思えば宿の情報まで手に入れていた。そうしてあっという間に三人と一羽は今夜の宿を手に入れた。
「物語ならここで一悶着あって良いのですが」
あまりにもあっさりと難なく宿泊先を抑えたオウジの手腕に「さすがは経験者です」とひとしきりほめた。猪野は褒められて伸びるタイプなので、他人のことも自分のことも積極的にほめていくスタイルなのだ。
「無一文に慣れてるなんざ、自慢にもならねえよ」
だというのにオウジから返ってきた答えはこれだ。
「ほめ上手だな」と言ってくれなかった点は物足りないが、斜に構えた成人男性というのもまた好ましいものなので、今後に期待だ。
そして宿をおさえて、今。
素泊まりの宿のすぐそばにある食事処の片隅で、猪野とオウジそれからポフィンはテーブルを囲んで座っていた。モアは馬房ならぬ鳥房で休憩中だ。
腰を落ち着け、注文も終えて、ポフィンは先に届いたホットミルクらしき飲み物に夢中。子どもらしくて大変よろしい。
ならば今こそ問うとき、と猪野はテーブルにひじをついて両手を組む。口元を隠すように構えたら、神妙な顔を作って、いざ。
「それで、仕様の話だったな」
「おや、先生から話しはじめるわけですね? こちらが促すまでもなく」
「なんのことだ?」
「いえいえ、お構いなく。どうぞ続けていただいて」
オウジは不思議そうに首をひねりながらも続けた。
「あー、なんだ。そう仕様だ。あんたが俺を認識しづらかったのは、仕様だ。異世界の仕様というべきか、転移者の仕様というべきかはわからんが、どこの異世界に行ってもそう。俺は現地の人間のなかで埋没するらしい」
「埋没……」
「わかりづらいか。その場にいて不自然じゃない存在だ、という印象を与える。といえば伝わるか? その他大勢にまぎれて、いるのはわかるが個としての認識が弱まるというか」
「あー、ああ。なるほど、それならわかります!」
オウジの説明を聞いて、猪野は先ほどの感覚を思い出していた。
薄暗い通りに立っていたオウジと子ども。目にした瞬間「ああ、親子か」と考えたことを覚えている。逃げた子どもを探していたはずなのに、だ。
おかしいだろう。
普通ならば「逃げたあの子どもじゃないか?」と思うところだ。猪野が平和ぼけしていて考えが及ばなかったのなら、まだわかる。なにせ生まれも育ちも平和な島国だと、自負している。
けれど現地の者であるなんでも屋の青年たちまで、猪野が言い出すまで気づかなかったのは明らかにおかしい。
おかしいということにすら違和感を抱かないまま、彼らは報酬をもらって立ち去っていったけれど。
「なるほど、オウジ先生はものすっごく! 現地に溶け込む能力をお持ちなんですね?」
「ああ。まあ、これまでの経験からの推測でしかねえが、おおよそ間違ってはいないと思っている」
推測でしかない、という点はすぐに理解できた。
「確かに。転移の前に神様だとか上位存在から『転移特典があるよ!』なんて言われませんでしたもんね」
謎の存在からの説明は創作物における転移あるあるのひとつだけれど、そんな時間がもたれた覚えは猪野にもさっぱりない。それについてオウジが言及しなかったことから、彼の転移はいつも説明ゼロからのスタートなのだろう。そう思うと、オウジのこれまでの苦労がますますしのばれる。転移者なのに主役級じゃなくてモブ扱いなんて、まったくひどい話である。
「なるほどなるほど。でしたら、私が先生に気づかなかったのは仕方ないこと! いやあ、良かった良かった。推しを認識しそびれるなんて、あるまじきことですからねっ」
ほっと一安心した猪野は、折よく届いた料理に目を向けた。
何かの煮込み料理なのだろう。赤みの強い茶色のスープに様々な形の具材が浮き沈み。ほこほこと湯気をあげている様は、なんとも食欲をそそる。
小ぶりな鍋ごと配膳されたそれにはまあるい木の椀が添えられていた。椀の数は卓につく人数と同じ三。つまりは各自で注ぎ分けて食べるスタイルなのだろう。
「さあて、たっぷり食べたい方はどなたです? 止めないともりもりに盛っちゃいますよ!」
現地メシを前に堪能しないなんて失礼なことは、作品ファンとしてあるまじきことなので。
「他人事みたいに言ってるが、あんたにも仕様は適用されてるはずだ」
「おおっと、それは猪野ふらんの存在感が希薄になっていると? 先生が私のことを空気のように身近で大切な存在だと思っているわけではなく?」
なんでそうなる、と遠い目をしたオウジが盛り付けた碗を受け取りながら言う。
「まずもって言葉が通じてるだろうが。それも仕様のひとつだ」
「あ、なるほど」
確かに、異世界なのに言葉が通じていた。
小説の中で花紋の世界を知っていたために、気づかなかった。
自身もまたオウジと同じ異世界転移者特典を得ているのだ、と猪野はにんまり。
「んふ、先生とおそろいですね!」
「そりゃよかったな」
あしらい方がこなれてきて、それもまた親しみが増すようで猪野はにこにことすくいあげた肉の塊をポフィンの器に入れるのだった。




