推し作品の世界は案外、治安が悪いようで
頭を抱える猪野の腕をつかんだのはカラカだ。いや、袖をつまんだというのが正しいか。
連れ立って人通りの多い像の前を通り過ぎて、立ち入ったのは狭い路地。建ち並ぶ家は一部が壊れていたり、ひどく古かったり。あるいは家の残骸か、壁の一面だけが残っていたりする。
道の端に転がる砕けた石や枯れ草のせいで、ただでさえ狭い道がさらに狭まって感じる。のそのそ付いてくるモアの巨体のせいもあるかもしれない。
この鳥、わかっている。従うべき相手が誰なのか。
異世界の不思議鳥まで惹きつけてしまう自身の魅力に、猪野はちょっぴり得意な気持ち。
しかし、魅力的すぎるのも考えものだ。
細い路地に入った途端にあたりが暗く見えたのは、夜が近づいているせいだけではなさそうな雰囲気だ。か弱い乙女には不似合いでしかない。
ごみごみとした通りの端にボロ布に身を包んで寝転がる人の姿を見て、猪野は頭のなかを占める疑問を押しやった。ついでに腕をつかむカラカの手から、そっと抜け出す。あからさまに嫌そうに服をつまむのは、いかがなものかと思うのだが。
ここは猪野が大人になって、許してあげることにした。
「……考えてもわからないことは後回しで! それよりも、子どもの隠れそうな場所に心あたりはないのですか」
気づいてしまえば気になるのが道理。
だけれど猪野は理性ある大人なので、気になる気持ちにふたをしてカラカとパプラに依頼の履行を求めることにした。
内輪で盛り上がっていたふたりは気だるげに猪野をふりむく。
「え~? そんなのわかるわけねえじゃん。俺ら、子どもじゃねえんだし」
いらっとくる。
仕事をまじめにこなそうという気概のまったく感じられない物言いに、猪野はむかついた。
ギルドがないのならば、なんでも屋は個人事業主になるのではないだろうか。であれば、ひとつひとつの仕事に対する姿勢というものが評価につながるはず。
だというのに、この態度である。雇用主がご立腹したとて、当然のこと。
「おやあ、それではあなたがたに依頼した意味が消えうせるのでは? 仕方ない、ここからは私ひとりで……」
「あんたこの街のこと知ってるの。土地勘もないのに人探しなんてできるわけ?」
猪野の言葉を遮ってまで、パプラが脅しをかけるように言うものだから、笑ってしまう。苛立ちを通り越して、おかしくなった。
「わはは! はじめましての土地だろうがなんだろうが、余裕で渡り歩いて目的を達成してみせますとも!」
あなたのその自信はどこから来るの、と大学時代に聞かれたことがある。
もちろん、猪野は自身を親指で示してにっこり笑ってあげた。
「私を誰だと思ってるんですか。猪野ふらんですよ!」
「……意味わかんない」
つぶやいたパプラに「猪野ふらんの華麗なるエピソード〜胎児期から就職まで〜」を聞かせてあげようか。そう思ったのだけれど。
猪野のエピソードが披露の機会を失ったのは、となりに立つモアがうす暗い路地の奥めがけて急に駆け出したから。
おかげで、手綱を握っていた猪野は引っ張られて一緒に走るしかない。
「おわっ!?」
「急にどこ行くんだよ!」
「自由行動、迷惑」
カラカとパプラは文句を言いながらも、並走している。
なんだかんだ、やはり何でも屋は冒険者みがあるようだ。
なんて、しみじみ思う余裕は猪野にはない。
前言撤回だ。この鳥、なんにもわかってない!
「私が引っ張ってるように見えますか!? この、鳥が! 私を引っ張ってるんですっ。ちょ、止めて! 止めてぇ!」
「手ぇ離しゃ良いのに」
「手綱が食い込んで取れないんですよ! いたたた! いたっ、助けて!」
「めんどくさ。切る?」
「ノー! ノー! 切らない、切りません! だってそれ私のでも切れるやつでしょ!? 腰の剣をしまってぇ!」
静かな路地裏が一気に大騒ぎ。
落ちている物や寝転ぶ人を踏まないよう、ドタバタと進んでいけば、カーブした道の向こう側が見える。
そこは大人と子ども。大小ふたつの人影があった。
「おわわ、そこの方々! よけて、よけていただきたい!」
現地民にぶつかってしまう、と叫んだ猪野だったけれど。ぶつかるより先にモアが脚を止めた。ふたつの人影の目の前で。
跳ねずに済んだ、とひと安心。
子どものほうを気にするようにうろつく巨鳥に「危ないんですが? なにを考えてるんですか」と軽くパンチをいれたところで。
「うん? あれれ」
現地民の親子、と認識していたふたり組をまじまじと見て、驚いた。
「あっ、先生!」
ふたりのうち片方はオウジだった。
顔を上げたオウジは猪野を見て「ああ」と軽く頷く。
「無事だったんだな」
「それはむしろこちらの台詞ですけど……それより! 私が、この私がオウジ先生を現地人と見間違えそうになるなんて! オウジキロクの一のファンであるこの猪野ふらんともあろうものがっ」
ショックだった。
それはもうショックだった。
猪野のオウジキロクファン歴は人生の半分より長い。デビュー作と出会ったのは小学生のとき。
それから干支がぐるりとまわりこの年まで、一番の推しと崇めささやかな情報も余すことなく拾い続けてきたというのに。
その推しの姿をほんのいっときとはいえ、見間違いかけるなんて。
「ああ、そりゃ仕様だ」
「は? 仕様?」
何を言い出したのか、と猪野が口を挟むより先に、動いたのはカラカとパプラだ。
「あー、子どもいたじゃん」
「それ親? 親がいたんなら早く言いなよ」
青年たちが指差す先には、オウジが手を握る子ども。
よくよく見てみれば、なるほどその姿は猪野が捜索を依頼した子どもの恰好によく似ている。
「あれ、ほんとだ。なぜ私は気づかなかったんでしょう。オウジ先生の存在といい、子どものことといい……」
「そりゃお前の目が節穴なんだろ〜」
「なんでもいいけど、目的を達成したから報酬ちょうだい」
ケラケラ笑われるのも腹が立つが、無表情で手のひらを突き出されるのも腹が立つ。
「ほお〜? 子どもを見つけたのはこの鳥さんですけど。助けを求める私を笑いながら追いかけてただけのあなた方か、報酬を得られるとでも?」
「うっ、それはそうだけどよ」
「案内はした。結果として先にモアが見つけただけで」
あからさまに勢いをなくすカラカはともかく、地味に食い下がってくるパプラはちょっと面白い。そんなにこの数百円のペンが欲しいのか。異世界あるある、有効すぎやしないだろうか。
そんなことを考えながら、猪野は青年たちの働きを振り返る。
普通にこのふたりが居なくてもなんとかなった気はするが、約束は約束だ。
「はい、はい。猪野ふらんは約束を守るタイプですので。取っておき、キラキラボールペンをどうぞ」
差し出すが早いか、カラカがボールペンをかすめとる。やはりこの世界、平和の国日本の民には馴染みにくい素行の悪さ。
「よっしゃ! 臨時報酬ゲット〜! どうする、パプラ」
「すぐ金に変える、一択」
「だよな! うーっし、今夜は良い酒飲んじゃうぜ。楽して飲む酒はたまんねえ!」
「機会があったらまた金づるにしてやっても良いよ」
「おう、そうそう。またなんかあったら声かけろよ。面倒でねえ仕事なら、いつでも請け負うぜ! もちろん、対価は弾んでくれよな」
人のことを金づる呼ばわりしたのはパプラだ。なんて遠慮がないのか。
元々しおらしさなど皆無だった二人組だが、いよいよ本性を隠す気もなくなったらしい。言うだけ言って、猪野たちへの興味を無くしたのだろう。二人はさっさと表通りに戻っていった。
現代日本ならさぞ生きづらいだろう。けれどここは異世界なので、それもありなのだろう。
推し作品の世界が意外とシビアだったのはまあ、思うところが無いでもないけれど。
そこは公式設定なので、黙って受け入れるのがファンのあるべき姿だと思うので。
それよりも、猪野にはしなければならないことがあった。
「……先生、オウジキロク先生! 私は確かに先生のファンなのです、信じてください! 先ほどはどうしてか先生のお姿に気づけなかった、いえ、気づいてはいたけれど先生とは認識できなかったですが……今後はそんなことのないように努めますので! 不甲斐ないファンをお許しくださいっ」
オウジの足元に膝をついて許しを乞う。
子どもと鳥が引き気味にこっちを見ているが、知ったことか。
いま大切なのは、推しの反応ただひとつ。
「……はあ。これを言うのはなんとなく癪だが、あんたは悪くない。俺に気づかなかったのは『仕様』だ」
「仕様???」
何をおっしゃる、オウジ先生。猪野はオウジの顔をまじまじと見上げていた。




