違和感と由々しき事態
猪野はふたりの青年に連れられて街を歩く。モアは懐いてくれたのか、猪野の横についてきた。
石畳の敷かれた街並みは、ヨーロッパのものに近いだろうか。煉瓦で組まれた建物は高くとも二階建てまでで、そのせいか空が広く見える。
いまは暗くなりはじめているせいで、広く見えたところでありがたみはあまりないけれど。
「さあて、行き場のない子どもが逃げ込む場所に連れてってください!」
真っ暗になる前に、とさっそく道案内を頼めば、カラカとパプラは顔を寄せ合ってひそひそ話。
「カラカ、なんかすごくやる気出ないんだけど」
「俺も俺も。でもなあ、あのキラキラの棒は欲しいんだよな。危なくもねえし、いい小遣い稼ぎになるし」
「それはそうだけど、なんかあいつむかつく」
「わかる〜」
ケラケラと笑う声にを振り向いて、猪野はにっこり。
「おや、おふたりはこのペンが不要でしたか。だったら他の方に頼みましょう」
「はあ? やらないとか言ってないけど」
ペンの魅力か、天邪鬼な性格なのか。
あっさり釣れた二人と連れ立って歩きながら、小門を離れて街の中へと向かっていく。
人の姿は多いが、東京ほどじゃない。
それでも道が狭く感じるのは、ほとんどの人が徒歩で移動しているせいだろう。実際に道が狭いのもある。
自動車はなく、モアが引く荷車が時々通るくらい。
──うう〜ん、異世界の香りっ!
子ども探しは急務だけれど、せっかくの異世界を味わうことも猪野は忘れない。なにせここは推し作品の世界なので。
もちろん、その間も建物の隙間や人ごみの中に子どもの姿がないか、目を配りつつ。
──もしかしたら気が咎めて、戻ってきているかもしれないし。話しかけられずにそわそわしている可能性も無きにしも非ず。
現地の青年たちに聞かれたらまた鼻で笑われそうだ、と思いながらも猪野はかすかな期待を手放さない。
世界がどうであろうと、人を信じるのは猪野の勝手なので。
「そういえばおふたりはなんの仕事をされているのです?」
放っておくとふたりだけで話し始めようとするので、会話に割り込む。
「はあ? 知らねえで俺らに依頼したのかよ」
「ほんと意味わかんない」
白い目のお手本がふたりぶん。顔がいいので許しましょう。
「大きい門のところで小門に行け、って言われて来たらおふたりがいたので。てっきり街の管理系のお仕事の人か、その下請け的な方達なのかと」
「あー、下請けは間違いじゃねえな。俺たち何でも屋だから、小門のとこに来るやつがいたら開けてやれって言われてここにいたわけだし」
「ほう! 何でも屋」
猪野の好奇心がわくっと浮き立つ。
──異世界の何でも屋ということは、つまり冒険者的なものなのでは? 花紋の世界では冒険者ギルドなどは描写されていなかったけれど、先生が遭遇していなかっただけの可能性もあるのではっ。
「何でも屋さんということはつまり、おふたりはけっこう強い?」
「うーん、どうだろうな?」
「基準がわからない」
自信満々に「強い」「俺たち最強!」なんて言ってくるかと思いきや、そうではなかった。
カラカは首をかしげ、パプラは肩をすくめている。
「基準ですか。うーん」
何でも屋の強さの定義はなんだろう。
冒険者ギルドがあるならば、ランク付けがあるのだろうけれど。
と考えて、猪野は気づいた。
「あります、あります! めちゃくちゃわかりやすい基準が。聖女ランギや勇者ウェニアや賢者ハーウが最上級として、ご自分たちはどのあたりになるんですか」
花紋のなかで描かれた物語は、オウジの見たものだと聞いたばかり。
それすなわち、この世界で実際に起きた出来事だというわけで。
──彼にとっては実在の偉人。例えるならば野球界のオオタニさん。将棋界のフジイ名人。スケート界のハニュウ選手! これほどわかりやすい例えが出せる異世界人も、そうそうおりますまい……!
自信満々、猪野は胸を張ったのだけれど。
返ってきたのはしかめ面×二。
終始気だるげで表情の変化に乏しかったパプラでさえ、明らかに顔をしかめている。ここまでで一番の変化といっていいだろう。
「おっとぉ? その顔はどういう感情で?」
「そりゃお前、聖女と勇者に変な名前並べるからだろ」
「変な?」
賢者ハーウのことか、と問うまでもなく、パプラが嫌そうに前方を指さした。
「見なよ。聖女と勇者の像」
「おおお! これが……いや、この方々があの!」
示された先の広場には確かに、像がある。
天を向いて立つ女性と男性の像。猪野は吸い寄せられるようにふらふらと近づいた。
気分は聖地巡礼だ。
塑像なのか彫刻なのか判断はつかないが、技術があまり高くないのか。人物のおおまかなシルエットはわかるものの、顔の作りや服装の細部はうまく読み取れない。
それでも猪野の脳裏には、寄り添う二人の姿に小説で描かれていたあんなシーンやこんなシーンがどっとあふれてきて。
「え? 二人?」
不意に我に返った。
猪野の記憶のなかでは、花紋の英雄は三人いた。
聖女と勇者と賢者の三人だ。
幼馴染みの三人が、世界を襲う悪しき竜を力を合わせて倒す話。
それぞれの葛藤や悲喜交々が描かれた物語は、それはそれは感動する結末を迎えるものだったのだけれど。
「髪の長い女性と腰に剣を下げた男性ということは、ランギとウェニア。ええ、ええ、これは書籍の表紙でも描かれていたから間違いない。となると、いないのはやはり賢者ハーウ……」
「だーかーらー。そいつの名を出すんじゃねえっての」
「しかも賢者ってなに?」
現地人二人は不満そう。
猪野は状況が飲み込めず、おろおろとうろたえる。
「え、なにとは。だって、だって、英雄は三人でしょう?」
「ちげえだろ」
「英雄は二人」
即答されて言葉に詰まる。
──なぜ? なぜ? 覚え間違い? いいや、そんなことはない。そんなことはあり得ない。だって私はノートにまとめたのだから。三人の英雄それぞれの名前に始まって、刻まれた花びらの枚数、家族構成、好きなものに嫌いなもの。得意なことや奇跡を起こすための呪文に口癖まで、読み取れる限りの情報をノートにまとめていたのだから!
ノートにまとめた情報が間違っているのだとしたら。
そんな思いが猪野の胸に湧き上がるけれど、すぐに否定した。
──それならそもそも、この世界に既視感を覚えるはずがない。ここに来てから見ているものは、どれも確かに花紋の中で読んだ世界。妄想が多分に入ってるとはいえ、それは間違いない。
だったら、なにを間違えているのか。
──先生は「ノンフィクション作家だ」と言っていた。「俺は見たものを書いただけ」だとも。
オウジの記憶が間違っているとは思わない。オウジの発言にフェイクがあったとも思わない。
猪野は推しを疑うような神経を持ち合わせていないのだ。
ゆえに、疑うのはそれ以外の箇所。
──だったら何が違うのか。何が……。
考えて、猪野がたどり着いたのは。
──歴史が変わっている可能性があるのでは?
ひらめきと共に二体の像を見上げた。
顔の起伏が浅く、衣服の作りも大雑把な像。それは技術の低さによるものだろうと思っていたけれど。
これがもしも、経年劣化によるものならば。
「……つかぬことを伺いますが、英雄たちが活躍したのって何年前です?」
「ああ、何年前ぇ? 急に歴史の話かあ? そんなん知らねえよ。腹の足しにもなりゃしねえ」
「百年とちょっと」
「って、答えられるのかよ。パプラ」
「歴史を知っとくと小金持ちの機嫌が取りやすい」
「あ〜ね! あるある、わかるわ〜」
「わかるって言えるほど歴史知ってた?」
「お、こりゃ辛辣だ」
漫才のようなやり取りを繰り広げる青年たちのそばで、猪野は告げられた言葉を噛み締める。
──英雄たちの時代は百年以上、前……先生が花紋を書いてから十数年しか経っていないのに。この世界と地球とじゃ、時間の流れが違うっていうこと? それじゃあ、それじゃあ……花紋の英雄たちには、会えないってこと!?




