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転移先は推しの作品世界〜経験したことしか書けない作家なんて……いるんですか!?〜  作者: exa(疋田あたる)


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3/3

はろー、異世界

感想や活動報告へのコメントがうれしすぎて書けたので、更新します

 遠くの空から水がこぼれ落ちる。

 空に湧く水、宙水。その落ちる先には街がある。

 なぜならこの世界に雨は降らない。川もない。けれど生命には水が必要で、空から落ちる水だけが命をつなぐものとなるのだ。

 そのため、遠くからでも見えるほど豊富な宙水の下には、必ず人が集まり街が作られる。


 というのが『花紋』で語られる、世界の(ことわり)だ。


「街、ここからじゃ結構あるんですかね。いつまで経っても道をが続いていて、まだ見えてきませんが」


 夜が来れば魔物が動き出す。これもまた『花紋』では公然の理。

 オウジと猪野は空が暗くなる前に街へ向かおうと、宙水を目指して歩いていた。


「平らに見えても土地は隆起してたり、陥没してることがある。近いと思った場所が案外遠かったりするのは、ざらだ。その点、この世界は宙水さえ見失わなけりゃ何とかなるから、まあ難易度は低い方だ」

「はえー、さすがは異世界慣れした先生です!」


 尊敬を込めて讃えた猪野に、オウジがちろりと流し目をくれる。


「わからねえのは、なんであんたが一緒に来てるんだってことだ」

「ん? 先生が異世界に来る瞬間にそばにいたからじゃないんですか? ほら、巻き込まれ召喚ってよくあるじゃないですか」

「物語の中なら、な」


 含みのある言い方に猪野は察する。


「先生のそばにいた人が一緒に転移しちゃったこと、ないんですか?」

「ない」

「というのは、そばに人がいる時に転移が発動したことがないというわけじゃなく?」

「……初めての転移は、十六歳の夏だった。目の前には両親がいて、俺の足元に突然さっきの光が湧き上がって」

「魔法陣みたいなやつですね」

「そうだ。そして、俺だけがこの世界にいた」

「花紋の、世界に」


 十六歳といえばまだ高校生だ。

 高校生のころの猪野は、ラノベや漫画を読み漁っては友だちや部活の仲間と感想を言い合ったりお互いの好きな作品を推しあったり。自分のためだけに時間を使って、楽しいばかりの日々を過ごしていた。


 そんな年頃で、オウジは知らない場所に放り出されたのだ。

 理すら違う世界にまだ子どもと言っても良い年でひとりきり。

 どんなにか動揺しただろう。どんなにか怖かっただろう。


 ──その先生の体験を読んでいるから、私はいまこの世界に居ても取り乱さずにいられるんだろうなあ。


 猪野がしみじみとありがたみを感じている横で、オウジは無精髭の生えたあごをさする。


「あの時よりもお互いの距離が近い? いや、あのとき親父の手は俺に触れていた。なのに異世界に行ったのは俺ひとり。それに今回は手が触れ合っていたわけでもないから、距離は関係ない」

「立ち位置はどうですか? さっきのあの光の図形。魔法陣みたいなものの中央に立っていれば、転移しちゃうとか」

「いや……」


 目を閉じたオウジは、過去の記憶を確かめているのだろう。難しい顔をして言葉を探すように口を開く。

 渋い見た目によく似合いの表情は文豪めいていて、空欄のままの著者近影欄にぴったりなのでは、と猪野は閃いた。

 

 ──スマホのカメラで撮っても良いかな。


 許可を得ようとする前に、オウジが口を開く。


「光の輪の中央に立っていたというのなら、確か俺の母親が真ん中に近い箇所に立っていたはずだ。さっきのあんたよりも余程近かったと思う……なんだ、スマホなんか出して」


 許可が得られたら即撮影! という気概で猪野はスマホを手にしていた。けれどいざスマホを取り出してみれば、気になったのはその表示。


「わ、異世界ってほんとに『圏外』になるんですね!」

「あ? ああ、そりゃそうだろ。電波が届くわけねえからな」

「ふむふむ、ところで先生。お写真よろしいですか?」

「はあ?」


 向けられたのは怪訝そうな顔。


「なんでだよ」

「先生の著者近影、空欄じゃないですか」

「ああ……まあな」

「もったいないと思うんです!」


 猪野は拳を固く握った。


「お写真じゃなくても構わないんです。イラストを載せる方もいらっしゃいますし、著作の表紙を載せる傾向もありますが。先生はぜっっっったいに! ご自身のお姿を載せたほうが良いっ」

 

 熱く訴える。


「先生の容姿、ぜったい一部の人にはうけます。私は推します。写真を元にイラスト描いてもらっても良いですし、加工して顔だけぼやけさせても良いですし!」


 だから写真を撮らせてほしい、という思いを込めてじっと見つめれば。

 オウジが先に視線をそらし、ため息をつく。


「……はあ、顔がはっきりしないなら別に良い」

「っし! ありがとうございますっ」


 うっきうきで一枚、二枚、それから三枚。


「おい、何枚も撮る必要はないだろう」

「何をおっしゃいます。本によってちょっとずつ変えるためじゃないですか。先生、写真を送ってくださいと言われてご自分で撮るタイプです?」

「……好きにしてくれ」


 許可が出た。

 猪野は今がチャンスと写真を撮りまくる。


「ああ、良いですね! この横顔、知性があふれ出てるじゃないですか! いやしかし、斜めからもまた良いっ。思慮深げな表情が先生の魅力を引き立てているじゃないですか。でもでも、やはり真正面も譲れませんね。神秘的な白髪、物憂げな瞳! 若いばかりでない大人の魅力が詰まった最高の一枚では!?」


 右から左から正面から。考えつく限りの角度で写真を撮る猪野から目を逸らして、オウジが歩き出す。


「ああ! 風に流れるお髪もまた、たまらないっ。どうぞ、そのまま歩き続けていただいて!」

「……はあ」


 眉間のしわが深くなって、シャッター音が止まらない。


「……わからないことは、もうひとつ」

「ん、なんですか?」


 オウジの言葉に猪野は顔を上げた。

 難しい表情のオウジもまた、味わい深いのでノールックでパシャリ。


「これまでの転移で巻き込まれた奴はいなかった。それと、もうひとつ。この世界にもう一度来たのも、これが初めてだ」

「えっ」


 先生の初めてをもらっちゃった。

 ついうっかりキュンとしてしまう猪野だったけれど。

 こほん、と気を取り直してしかめ面を作る。


「というのは、花紋の世界に来たのは過去に一度きりということですか? あの物語、半年ほどの期間について書かれていましたけど。この世界で見聞きしたことにインスピレーションを受けて、書かれたとか?」

「いや、半年過ごした」

「半年……帰りたくなりたかったり、しなかったんですか」


 多感な年頃だ。親と喧嘩でもして帰りづらかったのだろうか、と猪野は思ったのだけれど。

 はっ、とオウジが鼻で笑う。


「帰りたかったさ。だが、帰れなかった。知らない世界に行くのも帰るのも、俺の意思なんざ反映されねえ。突然連れて来られて放り出されて、いつ帰れるかもわからないまま、なぜ連れて来られたのかもわからないまま過ごして、ある日突然、また戻されるんだからな」

「それ、は……」


 言葉が出て来なかった。

 猪野はてっきり、オウジには異世界から帰る能力があるのだとばかり、思っていた。

 なぜって、彼は四作の書籍を出しているから。そのどれもが異なる世界での物語だ。だからオウジは行くタイミングが選べないだけだと思っていた。

 けれど、違った。


「それは、毎回そうなのですか。不意に異世界に行き、いつ帰れるかもわからないということを、もう四度も……?」

「ああ。今回を入れれば五回目になる」


 オウジはあっさりと頷くけれど。

 猪野はたまらなかった。たまらず、ぼとりと涙が落ちる。

 両の目からこぼれる雫に気づいたオウジがギョッと目を丸くした。


「お、おい? なに泣いて……」

「誰が涙をこらえられるでしょう! オウジ少年の胸の内に思いをはせれば、全米でさえ大号泣しますが!」


 泣きながら力強く言い切ればオウジは「お、おう?」とのけぞり気味にうなずく。


 ──大っぴらに嘆いてみせず、他人事のような姿勢をとってみせるところも推せますが!


 推しに不憫属性があったのだということは、猪野の胸のなかにだけ刻んでおいた。

 そして、猪野は気がつく。


「ということは、私たちはいつ帰れるかわからないわけですか?」

「ああ、そうだ。忌々しいがな、またあの光が現れるのを待つしかねえ」


 吐き捨てるように言うオウジは、嫌悪を隠しもしない。

 猪野としても、推し作品の世界に来られたことを素直に喜べなくなっていた。なぜって、オウジキロクの著書はオウジ本人の苦悩の上に成り立っていたのだから。


 ──作家が苦しんで書いた物語ほど読者を喜ばすとは聞くけれど。それでも、この苦しみは違うでしょ……。


 猪野が涙をぬぐい苦い気持ちを噛み締めている横で、オウジがふと顔を上げた。

 

「ああ、そうだ。転移特典ってほどでもねえが、ひとつあったな」

「それは聞き逃せませんがっ。なんです、なんです?」

「存在感が薄くなる」

「んん? それは、つまり?」

「あー、なんて言やいいんだ。例えばだなあ」


 白髪をかき乱しつつ辺りを見回したオウジが「ああ」と何かを見つけた。


「ああいうことは起こらねえ」

「あれは……人の集団? あっ、後ろから魔物が!」


 オウジの視線を追って振り向けば、こちらへ向かってくる人々の姿がある。

 花紋の世界でおなじみの乗り物である巨鳥を引き連れた人の集団の後ろに、すこし距離を置いて黒いものが見えた。

 質量をもった不定形の黒い影。それが、花紋における魔物の姿だ。

 闇からこぼれるように現れて襲い掛かる魔物の描写に、何度背中を泡立てたことか。


 その恐ろしい魔物が、まだ遠方とはいえ真っ直ぐに猪野とオウジの方へ向かってきている。

 

「せ、先生! 逃げましょう!」


 逃げるだろう。ふつうは。

 物語のなかでしか魔物を知らない猪野でも、蠢く黒いものが恐ろしいと本能でわかった。

 それなのに。


「……いや、ちょっと待ってくれ」

 

 集団と街それぞれに目をやったオウジは待ったをかける。


「すこし、確かめたいことがある」

 


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