猪野の勘はよく当たる
「ただいま戻りました〜! って、あれ? 無人でしたか」
空も暗くなりかけたころ。猪野とポフィンは宿に戻ってきた。
街の中をああでもない、こうでもないと歩き回っているうちにずいぶんと時間が過ぎていたらしい。宿のそばにある屋台は軒並み店を閉めるところで、残り物を慌てて買って帰ってきて、今。
「てっきり、もうお戻りかと思ったのに」
無人のうす暗い部屋を見回して、猪野は首をかしげる。
ふたつあるベッドの上の掛け布団は今朝、出かける時に畳んだままの形になっていた。
ファンタジー世界の宿屋にルーム清掃サービスはないらしい。いや、この宿屋に無いだけで高級な宿ならばあるのかもしれないが。
ともかく、オウジが戻ってきた形跡はない。
「ふむ?」
「も、もしかして怒ってそのまま出て行っちゃったのかな」
「いやいや、それは無いでしょう」
ポフィンの不安を猪野はすっぱり否定した。
「なぜなら、オウジ先生がオウジ先生だからです」
「???」
大変わかりやすい答えだったのだが、ポフィンにはわからなかったらしい。ぽかんとするポフィンのため、猪野は言葉を重ねる。
「良いですか? オウジ先生は見た目こそやさぐれ感を出しておられますが、それは長い月日によるものです。ということはつまり、長く先生であり続けていることの証左! 先生と呼ばれる人というのはどういった方か、わかりますか? はい、ポフィンさん!」
手を挙げてはいないが指名する。なぜって、ここには猪野とポフィンのふたりしかいないから。
「え? ええと、えっと。色んなことを知ってる人……?」
「正解! そうです。色んなことを知っているというのはつまり、偉い人です。そんでもって、偉い人で居続けるにはちゃんとしてないと駄目なわけです!」
「ちゃんと」
「ええ、ちゃんと」
オウジキロクの著書を愛する者として、偉い人なんて言葉で語れるものではないと知っているけれど。いまこの場でオウジの作品たちについて語るわけにもいかないので、ざっくりとした言葉でまとめてしまう。
実際、作家として長く続けていくには編集とのやり取りが不可欠なため、ある程度まっとうな人でなければ務まらないのだ。作家というものは。
「そして、そんなちゃんとしている人は無断で出て行ったりしない。ということは」
「ということは?」
「宿の受付に言伝をしてあるはず!」
猪野は名推理、と自信満々に宿屋の受付に向かった。けれど。
「何もない……?」
「やっぱり、ひとりで……」
「ああ。というか、おたくの旦那は朝出たきりさ」
「旦那!」
ポフィンは不安そうに服の裾を握りしめているけれど、猪野の気持ちはにわかに浮き立った。
宿屋の主人には猪野とオウジとが夫婦に見えていたらしい。幼い少女を連れて三人一部屋に泊まっているからだろうか。あるいは転移者特典の影響で不信感を抱かれない関係だと思われているのか。
──いやいや、きっと私たちがあまりにお似合いだから勘違いしてしまったに違いない。なにせ先生と編集ですからね! それはもう、側から見てもわかるほどのベストマッチ具合なのでしょう!
自身がまだ編集の仕事などしたことのない見習いの段階であることはすっかり頭のすみに追いやって、猪野は得意満面。
ご機嫌になったところで、はたと思い出す。
「いやいや、そうじゃなくて! 朝から一度も戻っていない? ご主人が席を外した隙に通ったなどということもなく?」
転移者特典で気づかれずに受付をすり抜けたのでは、と尋ねるけれど、店主はきっぱりと首を横に振った。
「誓って、ありえない。うちの宿をそこらの安宿といっしょにしてもらっちゃ困る。ちょいと良い値段をもらってるのは、防犯に力を入れてるからさ。もちろん、俺の休憩時間には人を雇って受付に置いてる。大の大人を気づきもせずに通したなんてことがあったら、店の信用にかかわっちまう!」
「ふうむ……これは失礼しました」
店主の力説を受けて、猪野はおとなしく引き下がる。鵜呑みにしたわけではなく、猪野の勘も「この店主は嘘を言っていない」と告げていた。こういう場での猪野の勘は往々にしてあたるのである。大学の友人にもしばしば「あんたの勘は当たるのよね、野生動物かってくらいに」と褒められたものである。
その勘の告げるままに猪野はふうむと考え、ぱっと顔をあげた。
「時に店主! 預けた鳥はいま何をしてますか」
「モアか? 今はもう裏手の厩舎で休んでるが。明るいうちに働いてもらったからな、今はしっかり休んでもらってる」
「ふむふむ。では!」
しゅば、と手のひらを差し出せば店主が首をかしげる。隣のポフィンも同じく。
「巨鳥の働いた駄賃をください。私たち、ちょっと夜の散歩に出ますので!」
驚く店主に「あの人が戻ったら『私たちは夜のデートに出た』と伝えてください」と頼んで、猪野とポフィンは宿を出た。
さくさく巨鳥を厩舎から連れ出し、その背にポフィンをひょいと乗せる。
「えっと、ほんとにお散歩いくの?」
少女に会えてうれしそうな巨鳥の背で、ポフィンが戸惑いの顔をしている。
「いいえ、先生を探しに行きます。どうやら先生のピンチなようですので」
真っ当な社会人が連絡もなしに行方をくらませたのなら、それはすなわちのっぴきならない状況にあるということ。
この異世界におけるピンチがどんなものなのか猪野は知らないが、きっと電車が遅延しただとか、携帯電話の充電が切れただとかのレベルではないのだと思う。
「あたしも、行っていいの?」
「はい。今日はたくさん歩いたから、疲れてるでしょう? 本当は宿で待っていて、と言いたいところですが……」
一日、街を巡った猪野とポフィンの足はくたくた。できることなら少女は宿で休ませてやりたかったが、ここは安全な日本ではない。
ならば、ひとりで置いていくことはできなかった。猪野としては苦渋の選択だったのだが、ポフィンはうれしそうに笑う。
「あたし、がんばる! 先生のこと見つけるよ!」
「おお! やる気が眩しいっ。良いですよ、良いですよ。すばらしい! ポジティブにいけば大体良い方向にいくというものっ」
うむうむ、と頷いた猪野は巨鳥に目配せした。
──万が一のときは、彼女を乗っけて逃げなさいね。
視線に込めた意味を理解したのかどうか。異世界の鳥は意外に長いまつ毛を伏せて、頷くように長い首を上下させた。
猪野はその鳥の腰をばっしと叩く。
「よーっし! そうと決まれば行きましょう!」
「わあ、もう行き先わかってるの?」
少女から向けられる尊敬の眼差しが心地よい。なので猪野はにっこりと笑って答えた。
「いいえ!」
「えっ?」
「わからないので、わかりそうな人たちに聞きにいきましょう!」
※※※
暗さが増すとともに静けさに包まれていく宿のそばを離れ、向かう先は賑やかな一画。
空はすっかり暗くなったけれど、街を包み込む闇もなんのその。明るく照らし出されたそこは、飲屋街だ。
すこし踏み込んだ先に見える、肌も露わなお姉さんだのお兄さんだのをそっとスルー。後ろに続く良い子のポフィンが気づく前に、そそくさと歩を進める。
そして五軒目の飲み屋を覗き込んだ猪野は、目当ての人物を見つけて声を上げた。
「ああ、いましたいました。おーい!」
振り向いた大勢の酔っ払いのなか、猪野を目にして顔をしかめたのがふたり。薄情なことに、ふたりそろって顔を背ける。
もちろん見逃さなかった猪野は、大声で彼らの名を呼んだ。こういう時はためらった者が負けるのだ。
「カラカさーん! パプラさーん! 猪野です、あなたの猪野ふらんが来ましたよ〜!」
「「ちっ」」
「わはは! ツンデレのツンをありがとうございます。ふたりに会いにきました。お店から出てきてくださいよ!」
大声で言うも、彼らは振り向かない。けれども周囲の酔っ払いたちが放っておかなかった。
「おいおい、兄ちゃんたち呼ばれてんぞー!」
「なんだ、若い姉ちゃんに呼ばれてうらやましいじゃねえか」
「行かねえならおじさんが行っちゃおうかな〜」
酔っ払いとはどこの世界でもノリが良いものらしい。猪野はしめた、と赤ら顔の男たちに視線を投げた。
「や〜、おじさんたちと飲むのも楽しいでしょうけど。今日はそこの二人と約束があるんですよ」
「そうかそうか、それじゃあ仕方ねえなあ」
「おら、兄ちゃん! 女の子にあれだけ言わせて、しらばっくれようってか?」
「早く行ってやれよ、色男共!」
やんややんやの大騒ぎ。酔っ払いを味方につければ、こっちのものだ。
「……はああああああぁ……」
「ちっっっっ!」
盛大なため息と、大音量の舌打ち。
渋々、嫌々、不承不承、席を立った青年たちは残った酒をあおり 、店から出てきた。
「なんで俺らの居場所がわかった」
「簡単な話。遊ぶお金が入った、けどお二人が知らない人と気を抜いて過ごすとも思えない。だったらお姉さんのいない飲み屋にいるだろうな、と。あとは勘です」
少女の手前、オブラートに包んで伝えれば返ってきたのは再びの舌打ち。ポフィンはびくっと肩を振るわせたが、猪野はよくもまあそれほど良い音が鳴るものだ、と感心するだけだ。舌打ちで物理ダメージは入らない。
「……で?」
大層、それはもう不機嫌丸出しの顔で問うカラカに、猪野はにっこり。
「人探しの依頼です。力を貸してください」
貸してくれますよね? という響きを込めて言えば、パプラがそれはそれは渋い顔を披露してくれた。




