情報を求めて〈side オウジ〉
街の中央には宙から水が落ちてくる。
いや、水の落ちる箇所を中心にして街が作り上げられているというべきだろう。事実、前回の転移時にオウジが見た村や町はどこも、水を囲むように作られていた。
この街も例外ではないらしい。中央に近づくごとに街並みは整備され、行きかう人の数が減っていく。ごみごみした雰囲気が無くなっていくのだ。
進むごとに人々の身に着けるものは洗練され、建ち並ぶ建物もグレードが上がっていくのが目で見てわかった。
身もふたもない言い方をするならば、建物にも衣服にも明らかに金がかかっている。
──あの編集は嫌がりそうだけどな、こういう言い方。
オウジがふとそんなことを思ったのは、三度目の着替えを終えたときだった。
まったくもって面倒だ。今身に着けている衣服を買うために、隠し持っていた地球産の小物類は大部分、手放さざるを得なかった。
度重なる突然の転移に対応するため、ポケットというポケットに換金できそうな物を放り込んでおく癖のおかげで助かったのは事実。それを「備えておいてよかった」と思えるような性格であればよかったが、オウジの胸に浮かぶのは「いい加減、地に足つけて暮らしてえなあ」というぼやきがほとんど。
それでも今は、手持ちの物をすべて換金してでも街の中央を目指さねばならない。
なぜならこの世界で書物を読もうと思ったら、有力者の家が保管している歴史書を頼るほかないから。
前回、この世界に転移してきたオウジはその事実を知って大層驚いたものだが。
──百年も経てばいくらか文明が進むと思ったが、何も変わっちゃいねえ。あいつらが命懸けで平和をもたらしたはずなのに、ここの人間は何をやってんだ?
苛立ちとともに街を歩きながら観察しても、書物を扱う店は見当たらなかった。
当然、図書館などというものはなく、売ってもいなければ貸出もしていないものは読みようがない。
──水が少ないせいで紙を作る技術が生まれないのか? いや、始まりは動物の毛皮だって良いんだろうから、必要とあれば代替品を思いつくだろう、普通。
魔王が倒されて百年。なぜこの世界は発展していないのか。
気になりながらも進んでいけば、やがてオウジは高い壁に出くわした。
壁だ。見上げるほどの壁は、レンガを積み上げて作ったのだろう。成人男性の平均身長は超えているオウジが手を伸ばしたところで、よじのぼれそうもない高さでそびえていた。
──どこか入れそうな場所はねえのか。
もう宙水はすぐそばに見えている。おそらくこの壁が最後の関門だ。
どうにか越えられないものかと、無闇と立派な壁に沿って歩く。歩く。歩く。
──随分とまあ、手入れがされてるこって。
結論から言えば侵入できる箇所はなかった。
壁に綻びはなく、出入り口である大きな門の周囲には警備らしき人々が配置されている。そこの出入りは頻繁ではなく、門を潜る人はまばらなため、素知らぬ顔をして紛れ込むのも難しそうだ。
──となると、ここしかねえな。
オウジが目をつけたのは、大きな門ではなくそこから離れた箇所にある小さな扉。
壁の三方に配置されたそれは、勝手口とでも呼ぶべきか。門に比べればシンプルな扉にも、当然のように鍵がかかっている。
──三つもあんだから、一つぐらい鍵かけ忘れとけよな。
八つ当たりのように思うオウジには、鍵開けなどという芸当はできない。扉を破壊するような力も持たない。
特別な力など持たないオウジにできることは、鍵を開けられる人物を待つことだけ。
物陰に隠れて、待つことしばし。
通りかかったのは三人の使用人らしき人々。門に向かう彼らは揃いのシャツとズボンを身につけている。
──悪くない。襟付きシャツにズボンと、ジャケット。俺の格好と大差ないな。
自身を見下ろしてから、オウジはするりと物陰から滑り出た。堂々と、むしろ普段より背筋を伸ばして扉に向かって歩み寄る。
「お疲れさまです」
扉の近くで三人組と鉢合わせた。ゆるく笑みを浮かべておだやかに挨拶をすれば、彼らはそろってオウジに目を向けて。
「ああ、お疲れさまです」
三人のうち、ひとりが返事を寄越した。一番、警戒心の薄そうなへらりとした青年だ。
誰か、似たような背格好の親しくない相手と勘違いしたのだろう。
しめた、とオウジは上がりそうになる口角を意識して落ち着けさせる。
あくまで穏やかに、他の二人にも視線をやれば彼らはオウジの全身にちらりと目をやる。
「君は……?」
「どこの班だったかな……」
──まずい、班分けがあるのか。もしや班行動が義務か? 気づかれるか……?
青年よりも年かさの二人は、オウジの姿にわずかに違和感を覚えているらしかった。
オウジの顔に覚えがない、と思っているのかもしれない。
笑い飛ばすべきだろうか、とオウジは思案する。
──「忘れちゃったんですか」とか言うべきか? いや、それで所属やら名前を聞かれるほうが困るな。どうすべきか……。
緊張で心臓がぎゅっと痛む。
人に紛れて街や村、店などに入り込んできたことは過去の異世界転移でも何度かあった。
けれどここまできっちりと囲われた空間に入り込んだことは無かったから、異世界転移特典がどこまで通用するのか。オウジにもわかってはいなかった。
──名前の話は避けたい……制服を汚して遅刻したとかなんとか、話題を変えるべきか? いや、でもこいつらの服もそっくり同じってわけじゃないし、制服があるかもわかんねえな……だが、まさかこの塀の内側で働く全員の顔を覚えているなんてことはないはず。変に言い訳するよりは黙ってたほうが……。
一か八か、オウジは沈黙を選んだ。
引き攣りそうな顔を必死で取り繕い、穏やかな表情と落ち着いた視線で男たちを見る。
ほんの数秒の沈黙が、心臓を焼き焦がしそうなほどちりちりと痛い。
「なーに言ってるんですか。この人、あれでしょ。プハさんとこの班にいたじゃないですか。おれ見たことありますもん」
沈黙を破ったのは、青年の明るい声だった。
途端に、二人の男たちの目から警戒が消える。
「ああ、そう言えばそうだ。見たことがある」
「そーそー! なんか、どっかの班が人足りなくなって、三人ともバラバラのとこに住んでるのに班にさせられてるって」
大きくうなずく青年の肯定で、男たちの顔に同情がにじんだ。
「災難ですねえ。とばっちりじゃないですか」
「早いとこ再編されると良いな」
「ええ、本当に」
男たちの言葉に乗っかって、オウジは困ったような微笑みを浮かべた。
それでいよいよその『プハ班』の誰かだと思い込んでもらえたのだろう。男のうち、一番年かさのほうが懐から鍵を取り出した。
「まあ、ここの仕事は定期的に、急にやめてしまう人がいるのですけどね。それぞれの事情があるのでしょうけど、それにしたって再編の時間がとれるよう、早めに申し出ることくらいできるでしょうに……」
鍵を開けながらぼやく男に、他の二人も「挨拶くらいすべきだ」「行方不明になったわけじゃあるまいしね〜」などと口々に言う。
そうしている間に鍵が開いた。
扉をくぐる三人に続いて、オウジも当然のような顔をして壁の内側へ。
「じゃ、俺らはこっちなんで!」
どうやって別行動をとろうか。悩む間も無く、青年が明るく手を上げた。
立ち止まった彼の先には二人の男が進んでいる。壁を入ってすぐ、左手のほうが彼らの仕事場らしい。
「ええ、ではまた」
ならば俺は右方向だろう、とあたりをつけて会釈する。肩ごしに振り返った男たちが目礼を返してきたので、間違っていなかったらしい。
去っていく三人と別れて、適当な建物の影に立ったオウジは空を見上げた。
きらめく宙水が宙水がうんと近くに見える。けれど、オウジが空を見上げたのは星のようなそれが珍しかったからではない。
「なんだ、ありゃ……大砲か?」
思わずつぶやいたオウジの視線の先。黒く長い筒が伸びていた。それも一つ二つではない。立派な屋敷群を囲むように、空の四方八方に向けていくつもそびえている。
「あんなもん、前回は無かったぞ」
ここが前回の転移時に訪れた街がどうかはわからないが、少なくともああいった遠距離武器の類は見かけなかった。
この世界での武器といえば、剣や弓のような原始的なものと、花の紋様による魔術である。
「どこと戦争するつもりだよ」
ついついぼやいてしまうのは、前回の転移の最後に「この世界はこれから平和に発展していくだろう」と信じていたからだ。
オウジが魔王との戦いを見届けた勇者、聖女そして賢者たちの三人もそれを望んでいた。
だというのに。
「発展したのが武器だけとか、最悪だな……」
苦い気持ちを込めてつぶやいていたせいで、注意が疎かになっていたのだろう。
「おやあ? おかしな生き物がいますねえ!」
妙に弾んだ女の声が聞こえて、オウジは慌てて振り返る。
そこに立っていたのはゴーグルをつけた、白衣の女。さっき見た使用人らしき男たちとは、明らかに服装が違う。
──ここの貴族家の人間か? まずいな……喋ってボロが出る前に、退散するか。
オウジは胸中を悟られないよう、神妙な顔で頭を下げた。
「仕事がございますので、失礼を」
便利な言い訳を皆まで言うことはできなかった。
突然、体にバチッと走った痛みのせいでオウジは崩れ落ちていたから。
「!? っ!!?」
体が動かない。しびれたような感覚が遠くにあって、声さえも上げられなかった。
横向きに倒れたおかげで女の姿が視界の端に映ることを不幸中の幸いと言って良いのか否か。
何か短い筒のようなものを持った女が、オウジのそばにしゃがみこむ。
「捕獲、捕獲〜。いやあ、こんな不可思議な素材が飛び込んでくるなんて! 小分けにして色々試してみたいなあ。どこまでバラして大丈夫かねえ? んっふふ、腕が鳴るね〜」
うれしそうに覗き込んでくる女に害意は見えなかった。
だからこそ、オウジはぞっとする。
──こいつ、俺のことを完全にモルモットだと思ってやがる……。
逃げなければ。
そう思うだけで精一杯。オウジの体は動かせないまま、意識が途切れた。




