親子のようなひととき
「俺の知っている世界と違っている。百年経ったからといって、存在したはずの人物がいなくなることはないだろう」
宿の部屋についたオウジは、ベッドに腰かけた。
受付で買ってきた火のついたろうそくをベッドヘッドそばの燭台に置く。
たよりない火でも壁まで照らせるほど、部屋は狭かった。
ベッドがほんの少しの間をあけてふたつ並んでいる。それでいっぱいになってしまう程度の部屋だ。
猪野も向かい合うようにしてもうひとつのベッドに座り、足の間にポフィンを招いてぬいぐるみのように抱き込んだ。あったかくてやわらかい体に、思わず頭部へ顔を埋めて吸ってしまう。
「や、やめてください……」
「良いではないか、良いではないか〜」
ポフィンは恥ずかしいのか、頭をおさえて小さくなる。けれど猪野の腕から逃げ出さないのだから、本気で嫌がってるわけではないはずだ。たぶん。
ちなみにポフィンは全身をまるっと拭き上げたので、きれいなものだ。
湯どころか水でさえ有料だと言われた時は驚いたが、清潔を買うのだと思えば私物を売った金を出すことなど惜しくなかった。むしろ仕事用の鞄を抱えてきた自分を褒めてやりたいほどだ。
オウジもポケットというポケットにいろいろなものを入れていたので、しばらく資金に困ることはなさそうだ。
ポフィンときゃっきゃいちゃいちゃしていた猪野だが、オウジからの冷ややかな視線に気がついて居住いを正す。
「え──、ごほんっ。賢者がいなかった、なんて言葉ありえないと。私もそう思いますよ。ですが、宿屋のご夫婦も賢者のことについて『知らない』とおっしゃっていました。これで聖女と勇者についても知らないというのであれば、単純にこの街にまで彼らの偉業が伝わっていないと思えるんですが」
現代日本、いや地球であれば情報は瞬く間に世界中に広がり、長く歴史のなかで語られる。
けれどそれは文明が発達し、言葉や道具が進化をした結果だ。
猪野の見たところ、この花紋の舞台となった世界はそこまで発展はしていない。移動手段として用いられるのは巨鳥モアが主であり、街中で見かけた大部分の人は徒歩での移動を行っていた。
建造物も高いものでせいぜいが二階建て。待ち行く人々の衣服を見るに、貧富の差もずいぶんとあるようだ。
イメージとしては中世のヨーロッパあたりが近いのだろうか。猪野は西洋史に詳しくないから、漫画や小説の知識から推量しているだけだけれど。
「ああ。聖女と勇者について聞いたら、快く話してくれた。その内容も俺の見てきたものと大差なかった」
「でしたね。幼なじみの聖女ランギと勇者ウェニア。共に五枚花弁の紋を持っていた。聖女は癒しの力に秀でて、勇者は守りの力に秀でていたっていうのも、小説の花紋と同じです。ふたりの性格については、ちょっと思うところがありましたけど……」
「聖女がたおやかで、勇者が誠実ってやつか」
苦笑するオウジに、猪野は「ええ」と頷いた。脳内で思い浮かべるのは、小説で読んだふたりの姿。
「聖女ランギは冒頭で勇者ウェニアを引きずりながら、魔物の巣食う森に突撃をかけてましたよね? たおやかとは一体……」
「まあ、偉人の性格が後世に正しく伝わらないのはよくあることだろう。日本の歴史でも戦国武将やら剣豪やらが、創作に良いように使われていたしな」
「それはまあ、そうですが」
理解はできる。後世に伝わるのは行いばかりで、個人の感情を書き留めて残すなんてそうあることではない。
だけれども、花紋で主役級の三人は猪野の推しなのだ。
三人がそれぞれの個性でもって時にまとまり、時にけんかをしながらも魔王を倒すストーリーに夢中になった身としては、誤った人物像しか知られていないことが悔しかった。
「だって、だって、彼らは三人で魔王を倒したんですよ? 賢者は魔王の最後の攻撃から勇者と聖女を庇って、それでようやく平和が訪れたっていうのに……!」
一番の功労者といっていいのは賢者だと、猪野は思っている。もちろん聖女の癒しと勇者の守りあって、魔王のそばに辿り着けたのは間違いない。
けれど誰よりも真剣に人々を救うことを考えたのは賢者だったはずだ。
それなのに、後世では彼の偉業が語られていないどころか、その名を出そうとするだけでなぜか忌避されてしまうなんて。
「……まあ、許しがたいよな。しかしなんにせよ、情報を得なけりゃならねえ」
ぶすくれる猪野の心を代弁するかのように、オウジが言う。
飄々とした表情は変わらないものの、その瞳には静かな熱が燃えている。
当然だ。オウジは賢者たちの冒険をその目で見て、書き記した本人なのだから。
その働きが正しく評価されてないことへの苛立ちは、いちファン以上のものだろう。
「情報を得るって、どうするんですか? 今のところ聞こうとした四人の大人は、みんな喋りたがらなかったですけど。あ、もしや百年前に盛大な恩を着せた相手でもいるのでは? 末代まで先生に感謝を捧げることを約束した家があったりなんて」
「しねえな。転移特典の力で俺は誰からも個人としては認識されてねえんだよ」
「でしたね」
余計なことを言った、と猪野は反省した。ポフィンの頭にあごを埋めて、ふと気づく。
だったら、何でも屋のふたりは猪野個人を認識していない状態だったのだろうか? そうとは思えなかった。
そっけなさはあったが、あれは彼らの性格の問題な気がする。
だとすると、猪野自身に転移特典の認識されずらさが付与されているわけではないのだろうか?
いやしかし、言語は問題なくわかるようになっているわけだし……。
むうん、と考え込む猪野をよそに、オウジはベッドに横になった。
「明日やることもできたんだ。さっさと寝るぞ」
「むっ、先生! 組み分けはこれでよろしいのですか!?」
「はあ?」
ひと部屋なのは経費削減のため。それは納得できる。
問題はふたつあるベッドだ。
「先生はなめらかにおひとりで寝ようとしてますけど。ここには三人の人間がいるんですよ。私と同衾するという選択肢もあるんでは?」
「いや、ねえだろ」
「即答!」
あちゃあ、と猪野は額に手を当てる。
「あ、あの! あたし、床で寝るので!」
腕の中、声を上げたポフィンに猪野は改めて「あちゃあ」と言った。
推し作家とのお泊まりに興奮しすぎて、子どもの精神を慮るのを忘れていたようだ。
猪野は表情をきりっと引き締めた。腕の中のポフィンからは見えないだろうけど、そこは気持ちの問題だ。
「いえ、今のは大人の男女としてのお誘いをかけただけなので。ベッドの取り合いをしたわけじゃないから、ポフィンは気にしないように」
「それもどうなんだ」
「で、でも……」
気にするな、と伝えてもポフィンはうつむきがちに言葉を濁す。
オウジが何か言っているが、今は構っている暇がない。
そわそわするポフィンの肩をぎゅっと抱き込んで、頭に頬を押し付ける。
「良いですか、ポフィン。あなたはまだ子ども。子どもは大人に守られるべきなんです。だから余計なことは気にせずに、ぬくぬくの布団を味わうべきなのです!」
きっぱりはっきり言い切った。
それでもポフィンは納得できないようで「でも……」と暗い声でつぶやいている。
「わかりました。それでは、ポフィンを猪野ふらんの抱き枕に任命します!」
「え」
「拒否権はありません。ほら、ぎゅーってしちゃいますからね。オウジ先生が今更うらやましがったって、私はこっちのベッドでポフィンといちゃいちゃするんですからね〜」
「えええ?」
言ってわからない子には行動で示すしかない。
戸惑いの声をあげるポフィンを抱きしめ、猪野はベッドに寝転がった。
オウジは隣のベッドから呆れた視線を向けてくるので、猪野はふふんと笑ってみせる。
「先生も一緒に寝たかったら、ベッドくっつけて差し上げても良いんですよ?」
「いらねえよ。さっさと寝ろ。もう火、消すぞ」
言って、オウジは枕元にあったろうそくを吹き消したのだろう。あっと言う間に部屋は闇に包まれて、オウジの顔も見えなくなる。
けれどあきれ混じりの声音はずいぶん優しい響きを持っていた。
その余韻を楽しみながら、猪野は「くふふ」と笑う。
腕のなかでもぞ、と身動ぐぬくもりにささやいた。
「おやすみ、ポフィン」
「……おやすみなさい」




