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礼儀作法の稽古が続く中、私は聖女サクラの練習を陰ながら見守っていた。
今日の課題は、カップの持ち方と客人への挨拶の所作。
教師役を務める侯爵家の婦人は、以前よりさらに細かな指導を重ねているようだった。だが――。
「サクラ様。カップは小指を立てて持つのが上品ですのよ」
「えっ、小指を……?」
その瞬間、私は思わず眉を顰めた。
(……それは、明らかに嘘)
現代では既に廃れた悪いマナー。むしろ小指を立てるのは、成り上がりや無教養の象徴とされる所作だ。
こんな初歩の嘘を教え込むなど――意図は明白だった。
「……これは看過できませんわね」
私が静かに呟くと、隣で控えていたアレクシスが目線だけで問いかけてくる。
「何か?」
「ええ。サクラ様に、悪意をもって誤った作法を教え込んでおりますわ」
私の説明に、アレクシスの瞳が僅かに細まる。
「証拠は?」
「録音も証人も不要ですわ。あの指導自体が既に証拠です」
私は歩み出た。
サクラが困惑の色を浮かべているところへ、穏やかな笑顔で割り込む。
「まあ、サクラ様。稽古中に失礼いたしますわ」
「リディアさん……!」
「侯爵夫人。小指を立てる所作は、確かに二世代前までは一部で行われておりましたが、現代では礼を失する仕草とされておりますわ」
「……まあ。私の記憶違いでしたかしら」
侯爵夫人は涼しげに微笑むが、目の奥にわずかな狼狽が滲んでいた。
「ご多忙のところ恐縮ですが、今後のご指導はわたくしどもが引き継がせていただきますわ」
それは、上品に包んだ追放宣言だった。
侯爵夫人はなおも抵抗しかけたが、背後から歩み寄ったアレクシスの姿を目にして沈黙する。
「侯爵夫人。王弟である私からも、今後は当方の手配に任せていただきたく」
「……畏まりましたわ」
夫人は深々と頭を下げ、悔しさを押し隠して去っていった。
事後処理を終えたあと、私たちは執務室に戻り、再び準備の確認に取り掛かっていた。
「殿下、次のお茶会の手配状況で一つ問題が」
侍従が差し出した報告書に、アレクシスの眉がわずかに動く。
「茶葉の在庫が不足している?」
「はい。王都の高級茶葉は先日大量に買い占められておりまして、予定数量が確保できておりません」
「誰の仕業かは?」
「記録上は複数の商会経由ですが、背後には反対派の資金が流れている可能性が高いかと」
(……嫌らしい手ですわね)
私は小さく溜息を吐いた。
茶葉の品質は、貴族のお茶会では体面に直結する。粗悪な茶を出せば、「王宮のお茶会は質が落ちた」と噂になり、聖女の威信にも傷が付く。
「……新たな妨害策というわけですのね」
「ええ。だが、慌てる必要はありません」
アレクシスは淡々と告げた。
「別ルートからの調達を手配する。貴族社会は盤上、商会は裏の盤上。どちらも動かねばならぬ」
「共犯者として、わたくしも動きますわ」
私は静かに微笑んだ。
盤上はまだまだ動き続ける。
だがそれを整えるのが、私たちの役目だった。




