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アレクシスの執務室は、相変わらず静けさに包まれていた。
机上には次々と積み上がる書状の山。国内の派閥争い、財政、外交、聖女礼賛派の動向――どれも決して軽んじられぬ案件ばかりだ。
その中で、珍しく彼は書類から目を離し、窓の外に視線を向けていた。
淡い春光の中、庭園を散策する廷臣たちの姿が小さく揺れている。
「……まったく、あれほど口説いても手応えがないとはな」
ぼそりと漏らした独白に、室内で控えていた侍従ルネが眉を跳ね上げた。
「殿下、今――口説いてと仰いましたか?」
「他にどう表現すべきだ?」
アレクシスは珍しく苦笑を浮かべた。
冷徹と評されるこの男にしては、珍しい表情だった。
「贈り物をし、称賛を重ね、礼儀の範囲内で好意も示している。貴族社会の常識に照らせば、これは十分”求婚の布石”と捉えられてもおかしくあるまい」
「……随分と回りくどいやり方で」
「直接言えば、彼女はもっと後退るだろう」
「なるほど。相手がリディア嬢となれば、確かに」
ルネは肩を竦めつつも、どこか愉快そうに笑った。
「それにしても……殿下がここまで熱心にご令嬢に迫っても、全く”その気”になられないとは。殿下の御威光も、まだまだ及ばぬ相手がいたものですな」
「まったくだ」
アレクシスは小さく息を吐いた。
自嘲にも似た声音だったが、その奥には微かな愉悦も滲んでいた。
「正直なところ、リディア嬢は自分の価値をあまりに低く見積もりすぎている」
「……おや?」
「彼女は自分をただの駒と思っている。だから私の行動も、全て打算の延長と受け取る。まるで自分が好意を向けられる存在であるはずがない、と言わんばかりに」
ルネは苦笑した。
「まあ、殿下の求愛方法も若干わかりづらいのでしょう」
「策士の性だ。……だが、今はむしろそこが面白い」
「ほう。随分と楽しそうで何よりです」
ルネの揶揄を受け、アレクシスは僅かに片眉を上げた。
「……ルネ。もしこれ以上深入りしたら、私は貴族たちではなく、彼女の侍女あたりに刺されるやもしれんな」
「それは十分にあり得ましょうな。なにせ、王宮侍女の皆様は既にリディア嬢の擁護派でございますし」
二人はふ、と笑いを交わす。
アレクシスの執務室に流れる空気は、僅かに柔らかさを帯びていた。
「いずれにせよ――」
アレクシスは再び窓の外を見つめる。
「今は国内の盤上整理が先だ。だが……盤上を整えた先で、私自身の感情がどこへ向かうのか。正直、興味がある」
「おやおや。殿下も随分とお優しくなられましたな」
「それは、どうかな」
彼の表情は静かだった。
だが、以前にはなかった微かな熱を帯びていた。




