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お茶会の準備は着々と進み、サクラの貴族社会デビューも間近に迫っていた。
だが、その裏では反対派が静かに牙を研いでいる。
その日も私はアレクシスと共に執務室からサロンの様子を窺っていた。
絹のカーテン越しに、今日も礼儀作法の稽古を受けるサクラの姿が見える。
「……また始まりましたわね」
私は思わず溜息をつく。
その隣でアレクシスもわずかに目を細めていた。
教師役の侯爵夫人は、今日も執拗に揚げ足を取り続けている。
だが今日は、それ以上だった。
「サクラ殿下、そもそも貴女がいらしたせいで――」
突然、夫人が声を潜め、鋭く告げた。
「リディア様は王太子妃の座を奪われたのですわ」
サクラは目を瞬かせる。
初めて突きつけられた現実に、動揺を隠せない。
「え……私、そんなつもりは……」
「貴女のつもりなど関係ありませんわ。異邦から突然現れ、神の加護を盾に王宮に入り込み、長年努力を重ねてきたリディア様を追いやった。貴族社会では、そう語られております」
サクラの肩が小さく震えた。
「ま、待ってください……私は、リディアさんと争うつもりなんて……!」
「お気持ちなど関係ございませんわ。結果が全てです」
冷たい声が突き刺さる。
私は思わず身を乗り出しかけた。口を開きかけた私の肩に、アレクシスの手が軽く置かれる。
「待ちなさい」
「……殿下?」
「今は介入すべきではありません」
「でも――!」
「これは彼女にとっても必要な現実です。いずれ知るべきことなら、今知った方がいい」
その声音はあくまで冷静だったが、決して冷酷ではなかった。
視線を戻すと、夫人はなおも言葉を重ねていた。
「貴族の多くは、王家の無能さを嘆いておりますわ。リディア様のような才女を蔑ろにし、聖女という不確かな存在に依存する愚かさを」
「り、リディアさんは……そんなに、すごい人なの?」
サクラは困惑した面持ちで呟いた。
「努力と才能で、王妃の座に相応しいと皆が認めていた方。ですが王家は、それを無視したのですわ」
私は思わず眉を顰めた。
(皆が、認めていた……?)
何を言っているのだろう。
私は王太子の婚約者だっただけ。政略の都合に従い、期待される役割を黙々とこなしてきただけのはずだ。
誰かに本心から評価されていたなど――思い至ったこともなかった。
(私に、人望があった?)
不思議な感覚が胸に渦巻く。
アレクシスは黙って私を見つめていた。
その眼差しに、僅かな戸惑いが混じっている。
「……貴女は、自覚がないのだな」
「……何が、ですの?」
「貴女がどれほど他者に評価されていたか、だ」
私は言葉に詰まった。
そんなこと、考えたこともなかったのだ。
私はただ役目を果たしてきただけで――それ以上でも以下でもないと思っていた。
「……皮肉ですわね。殿下がそんなことを仰るとは」
「皮肉ではなく、事実です」
アレクシスは静かに答えた。
サロンの中では、サクラが涙ぐみながら必死に首を振っていた。
「違います……私、そんなこと……」
「ならば今からでも贖罪なさることですわね。せいぜい貴族社会に相応しい作法を完璧に身につけ、王太子殿下に恥をかかせぬよう励んでくださいませ」
夫人は冷たく言い放ち、やがて稽古を終えると悠然と部屋を後にした。
サクラは項垂れたまま、立ち尽くしていた。
私は再び、アレクシスに目を向ける。
「……本当に、このまま放置して良いのですの?」
「今は、な」
短く返した彼の表情は、珍しくわずかに険しかった。
「必要な現実は受け止めさせねばならないが――必要以上の負荷は与えぬ方がいい」
「……つまり、頃合いを見て手を差し伸べろと?」
「さすが、話が早い」
私は小さく溜息をつき、遠くのサクラを見つめた。
本当に――お花畑は、世話が焼ける。




