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宴が始まってしばらく経った頃、楽団の音色が緩やかに高まり、大広間の中心に視線が集まっていった。
晩餐のあとの最初の舞踏――外交上の重要な儀式として、皆が固唾を呑んで見守る時間だった。
「では、参りましょうか、リディア嬢」
ユーリ殿下が優雅に手を差し出す。
私は静かにその手を取り、ゆったりと舞踏の中央へと歩み出した。
視線を感じる。
貴族たちの注目、囁き、探るような視線――すべてが、今宵の盤上の駒として私に向けられている。
王太子殿下はサクラ様を伴い、もう一組の主役として舞踏の輪に加わっていた。
微笑みを交わしながら、二組のペアが優雅に踊り始める。
ユーリ殿下のリードは驚くほど柔らかで、けれど一切の無駄がなかった。
さすがは戦場の国で育っただけあって、所作一つひとつに揺るがぬ重心が宿っている。
「美しい……本当に、リディア嬢。こうして貴女を腕に抱くたび、私の決意は揺らがぬものとなっていきます」
その囁きに、私は一瞬だけ目を伏せた。
(……やはり、口説きの手を緩めるつもりはないのですね)
けれど表情は崩さず、微笑みを浮かべたまま踊り続ける。
「身に余るお言葉ですわ」
楽団が旋律を高める中、私はふと視線を上げた。
その先、静かに壇上からこちらを見つめるアレクシス殿下の姿が目に入る。
殿下の表情はいつも通り静かだった。
けれど――ほんのわずかに、その眼差しの奥に緊張を含んでいるのが感じ取れた。
(殿下……何かを――警戒されている?)
胸の奥が、じわりと締め付けられる。
だが、それが何に向けられた警戒なのか、私にはまだ分からない。
ただ、この夜の先に何かが待っている――そんな予感だけが、静かに胸に広がっていく。
舞踏は終盤へと進み、最後のターンが訪れる。
ユーリ殿下は私の手を取ったまま、柔らかく微笑んだ。
「……今宵が私にとって、決定的な夜となることを願っております」
「……殿下?」
私が問う前に、楽団が華やかな終曲を奏で、拍手が場内に満ちた。
ファーストダンスは終わり、しかし――
本当の盤上は、ここから始まるのだった。




