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王都の中央宮廷にて、大規模なお茶会が開かれることになった。
来る舞踏会の前哨戦とも言える催しである。要人の夫人方や令嬢たちが集う場は、王宮の裏舞台として常に火花が散っている。ましてや、聖女サクラが初めて正式に顔を出す場とあれば、なおのことだ。
もちろん、貴族社会の洗礼を受けたことのない聖女サクラにとっては、極めて高い壁となる。
「サクラ様、お茶はこう、静かに一度で注ぎきってはなりませんわ。量を調整して三度に分けるのが正式ですのよ」
「え? あ、はい……えっと、こんな感じで……?」
「まあまあ。手首の角度が違いますわ。ああ、ポットの注ぎ口は水平に保たねば。肩に力が入っておりますわよ?」
教師役を務めているのは、侯爵家の夫人――礼賛派に与していない貴族、つまり聖女反対派の古株だ。
王宮における礼儀作法の権威などと持て囃されているが、こうして嫌味と意地悪を巧妙に織り交ぜるのが実に上手い。
私はアレクシスに伴われ、その光景を離れたサロンの奥から静かに見下ろしていた。
絹織物のカーテン越しに揺れる光とともに、サクラの戸惑う表情がよく見える。
「……また、ずいぶんと露骨なことを」
思わず小さく溜息が漏れた。
「これが貴族社会です。彼女も早々に学ぶ必要があるでしょう」
アレクシスは淡々と告げる。
その声に、同情も苛立ちもなく、ただ冷静な現実認識だけがあった。
サクラは持ち前の純粋さで、教師の指導に必死で応じている。だが、正確な作法など身につくはずもない。
細かな所作の揚げ足を取られ、次第に表情が曇っていく様子は、見ていてさすがに胸が痛んだ。
(……まあ、予想はしていたけれど)
聖女の権威を削ごうとする反対派にとって、最も効果的なのは「無知を晒させる」ことだ。
こうして礼儀作法の失敗を積み重ねさせ、噂として広める。それだけで十分、彼女の立場は揺らぐ。
「殿下、あのまま放置しては拙いですわ」
私が静かに進言すると、アレクシスは僅かに頷いた。
「ええ。介入しましょう。ただし、時機は見計らいます」
「承知しました」
私はサロンを後にし、正面から会場に入る。
そして、適切なタイミングを見計らって声を上げた。
「まあ、サクラ様。お稽古の最中でいらしたのですね?」
「リ、リディアさん……!」
安堵と緊張の混ざった声で呼ばれる。
私はにこやかに微笑み、教師役の夫人へと目を向けた。
「侯爵夫人、御指南いただき感謝致します。ですが、あまりに細かな作法は、初学者には難しゅうございますでしょう。何事も段階が大切かと存じます」
「……さようでございますわね」
夫人は穏やかに微笑んだ。だがその奥に浮かぶ不快感は隠しきれていない。
「初学者ゆえの未熟も、皆様には微笑ましく映ることでしょう。失敗を咎めるのは、大人のたしなみとは申せませんわ」
言外に、「これ以上追い詰めるのは礼を失してますよ」と釘を刺す。
夫人は苦々しく笑みを浮かべたまま、一礼して退いた。
サクラは小声で「ありがとうございます」と囁いてきた。
私は軽く微笑み返す。
(本当に、悪意の概念が薄い方ですこと)
だがそれが、逆にこの国にとっては最も危うい。
後方ではアレクシスが静かに見守っていた。
目が合うと、彼は僅かに首を傾げて呟く。
「さすがです、リディア嬢」
「殿下の指示通りに動いただけですわ」
「……謙遜を」
皮肉にもならない皮肉を返すその声音に、私も小さく肩をすくめる。
「これで反対派も、一手は封じられましたわね」
「一手だけでは済まぬでしょうが。これからも仕掛けてくるでしょう」
「ええ。その度に、私たちが盤上を整えれば良いのです」
私たちは再び、静かに視線を交わす。
中庭に咲く花々は、美しく、だがいかにも脆い。
その花を守るのは、裏方の役目だ。




