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森を抜け、王宮の庭園に戻る頃には、空はすっかり晴れ上がっていた。
濡れた石畳が陽光を反射して、柔らかな光を放っている。
私たちが馬を降りた先には、既にサクラ様を中心に令嬢たちが集まっていた。
サクラ様は王太子殿下の姿を見つけるやいなや、ぱっと表情を明るくした。
「殿下! ご無事で……!」
サクラ様が駆け寄る。
王太子殿下も自然と手を広げ、柔らかな声で彼女を迎えた。
「サクラ、心配かけたね。もう大丈夫だよ」
「よかったです……あまりに戻りが遅いから、何かあったのかと」
サクラ様は胸を押さえ、ほっとしたように微笑む。
王太子殿下もその手を包み込み、優しく頷いた。
「ああ、少し色々あってね。でも、こうして戻れたから」
――その、穏やかな光景を見つめながら、私はそっと息を整えていた。
一方、傍らに控えていたユーリ殿下が、やや場の空気を読んだ上で静かに進み出た。
その表情は、柔らかくもどこか挑戦的な色を帯びている。
「さて……アレクシス殿下、少々お時間を」
アレクシス殿下がわずかに眉を動かし、静かに頷くと、ユーリ殿下は私の方へ視線を向けた。
「実は――こうして共に時間を過ごす中で、私もリディア嬢に惹かれてしまいました」
その場の空気が一瞬止まる。
「殿下……?」
私は思わず小さく息を飲んだ。
王太子殿下も驚いたように目を見開く。
だが、ユーリ殿下はあくまで柔らかな微笑みを崩さず続けた。
「もちろん、アレクシス殿下が既に積極的に口説いておられると伺っております。
しかし私も王族の端くれ、一歩も退くつもりはございません」
その言葉に、王宮の空気は一気に微妙な緊張感を帯びた。
私は内心で唇を噛み締める。
(……何を考えているの、この方は)
外交戦略? 政略結婚? 単なる冗談とも思えない。
けれど表向き、今の段階ではアレクシス殿下と正式な婚約を結んでいるわけではない。
そのため、アレクシス殿下も即座に遮ることはできないのだ。
私とアレクシス殿下の間に、一瞬だけ視線が交わる。
殿下の瞳は、僅かに奥底で鋭く光っていたが――それ以上の言葉は発せられなかった。
ユーリ殿下はあくまでも外交上の礼儀を守りながら、けれど確かな宣戦布告を終えたのである。
新たな盤上の火種が、静かに置かれた瞬間だった。




