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厚い雲が王都上空を覆い始め、午後の光が静かに翳っていく。
王宮の奥庭では、予定通りの社交茶会が開かれていた。
招かれているのは、聖女サクラ様。そして私――リディア。
王太子殿下やアレクシス殿下は、今まさに狩猟大会で森へ入っている最中だ。
「サクラ様、このお菓子はいかがです? 王都でも特に評判の品ですのよ」
「わあ……ありがとうございます。とっても美味しそうです!」
サクラ様は柔らかな笑顔を浮かべ、貴族令嬢たちの勧めに素直に応じていた。
それはこの王宮で努力を重ねる彼女らしい優しさでもある。だが――その隙を突こうとする者も、当然いる。
「異世界より召喚されながら、こうして王太子殿下の許嫁に……まさに神の祝福、奇跡ですわね」
「ええ、本当に。ですが、貴族社会は慣れぬことも多くて……」
サクラ様が少し困ったように微笑む。
すると、別の令嬢がわざとらしく言葉を差し挟んだ。
「まあ。ですが王妃の座というのは、それはもう重責ですもの。王宮の礼儀作法も、膨大な知識も必要ですわ。異国の方には――さぞ、お荷が重いでしょうね」
一瞬、場の空気が微かに淀む。
私はカップを置き、静かに微笑みを浮かべた。
「そのために、私がサクラ様を日々お手伝いしておりますわ。おかげさまで、吸収も早くていらっしゃる。むしろ、生まれた頃から貴族に在る我々が怠けぬよう心せねば、と学ばされます」
「……まあ……」
一拍の沈黙。
仕掛けた令嬢は、柔らかく反論を封じられた格好になり、視線を逸らした。
(……本当にわかりやすいこと)
軽い溜息を胸の奥で飲み込む。
この程度の牽制ならば慣れたものだ。
「リディア様……ありがとうございます」
そっと小声で囁いてきたサクラ様に微笑み返した瞬間――
通信機能のあるアクセサリーが、ごくわずかに振動した。
私は表情を崩さぬまま、控えめに手を添え耳を傾ける。
《リディア。小規模だが刺客を捕縛。ユーリ殿下を狙った形跡。天候悪化により狩猟小屋へ避難中。現状は無事》
アレクシス殿下の落ち着いた声。
情報は冷静そのものだが――無事の報せに、胸の奥がほんの僅かに緩む。
(殿下が無事なら、よし……けれど)
事態が起きたことは事実だ。
それが単なる偶発か、仕掛けられた盤上の一手か――警戒を解くわけにはいかない。
私はカップを持ち直し、また穏やかな笑みを浮かべた。
盤上は静かに、けれど確実に動き始めていた。




