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「……殿下。これをわざわざ見せるために、私を呼び出したのですか?」
王弟殿下――アレクシスの執務室。
高窓から中庭を見下ろす位置に私は立っていた。
「実物を見た方が、状況の深刻さが伝わると思いまして」
アレクシスは静かに答え、傍らの机に手を置く。
執務室は整理整頓が行き届き、まるで計算され尽くした機能美に満ちていた。黒檀の机に並ぶ公文書も、整然と並べられた封蝋の印章も、すべてが彼の性格を映している。
視線を再び中庭へ戻す。
春の花々が咲き誇る庭園の中央で、王太子殿下と聖女サクラが楽しげに会話していた。
レオンハルト殿下は穏やかな笑みを浮かべ、サクラは無邪気な瞳で彼を見上げている。
その隣では侍女と庭師たちが距離を取りつつ控えていたが、二人の甘やかな空気に誰も割り込む者はいない。
「……随分と楽しそうでいらっしゃいますこと」
思わず皮肉が口を突いて出た。
「お花畑のようだと思いませんか?」
アレクシスもまた、わずかに眉を上げて呟く。
「王国の未来を担う王太子殿下と王妃候補が、神の加護を受け、心穏やかに愛を育んでいる。これ以上なく理想的な光景です」
「ええ、本当に理想的ですわ」
口元に微笑を浮かべるが、内心では深い嘆息を重ねる。
レオンハルト殿下は善良で理想に生きる王太子だ。
聖女サクラもまた、誰よりも純粋で、人を疑うことを知らない。
――だが、だからこそ危うい。
「このままですと……殿下」
「はい。放置すれば、いずれ派閥の思惑に飲み込まれます」
アレクシスは淡々と告げた。
「王太子殿下は聖女の名を掲げる貴族たちを信用しすぎる。彼らは己の利益のために聖女を神輿に担ぐでしょう。サクラ殿下は善意からそれを拒まない。彼女は政治の駆け引きを理解しておられない」
「そして、殿下のお兄様もまた、弟君である貴方の忠告に耳を貸すことはないでしょうね」
「兄上は、私を疑っているわけではありません。ただ――私の方針を冷徹だとお感じになっているのでしょう」
アレクシスは僅かに視線を伏せる。
「兄上に不安を抱かせないためにも、私は表から動けません。ですが裏からならば……貴女となら動けます」
「……共犯者、というわけね」
私は小さく肩を竦めた。
やれやれ、本当に困った兄弟たちだこと。
視線の先では、レオンハルト殿下がサクラの髪に小花を挿して微笑んでいる。
そのあまりの平和な光景に、私は再び皮肉が漏れた。
「ええ、殿下。確かにお花畑ですわ。……頭の中まで含めて」
アレクシスは苦笑のような微笑を浮かべた。
「だからこそ、支える役割は必要なのです」
静かな言葉に、私もまた無言で頷く。
この国の盤上で、駒はすでに並び始めていた。




