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謁見の間での婚約破棄から数日後、私は王宮の一室に閉じ込められていた。
表向きは「心身の静養」、要するに謹慎処分である。
まあ、形式的なものだろう。世間体も大事にする王家の配慮。
それに今は、私自身も外に顔を出す気には到底なれなかった。
レースのカーテン越しに差し込む陽光が、静かに揺れている。庭園には春の花々が咲き乱れ、優雅な香りが漂っていた。
それはあまりに美しく整えられていて、まるで絵画のような虚構めいた美しさだ。
「……皮肉なものね」
誰に向けるでもなく呟く。
王妃の座から滑り落ちた女にしては、実に平和な光景だこと。
そんな折、控えの侍女が静かに告げた。
「お客様がお見えです。王弟殿下でございます」
一瞬だけ、思考が止まった。
王弟殿下――アレクシス。
「通して」
声が震えないよう注意して命じた。まさか、こんなにも早くお出ましになるとは。
扉が開き、彼が現れる。
変わらず黒を基調とした礼服に身を包み、まるで漆黒の彫像のように整った立ち姿だった。
「お久しゅうございます、リディア嬢」
「わざわざお見舞いに? 殿下にしては随分とご親切ですわね」
人の感情、機微を理解しない冷徹王弟殿下と巷で呼ばれているのはよく知っている。
そんな私の皮肉の効いたご挨拶に、アレクシスは淡く微笑む。
「わざわざご足労いただくとは。殿下も随分とご心配を」
「形式的な処分に過ぎませんから、気にする必要はありませんよ。……もっとも、この状況を放置しておくのも得策ではないと考えまして」
アレクシスはゆったりと腰掛ける。その仕草一つに無駄がない。
冷徹でいて、妙に人を安心させる一定の静けさが彼にはある。
「ご用件をどうぞ。察するに、ただの見舞いではないのでしょう?」
私の言葉に、王弟殿下はわずかに目を細めた。
「聡明ですね、リディア嬢。やはり噂に違わぬ才覚をお持ちだ」
「お褒めいただき光栄ですわ。……さて、殿下。私にどんなお役目を?」
「共犯者になっていただきたいのです」
その言葉に、思わず眉が跳ね上がりそうになるのを押さえた。
「まあ、物騒な響きですこと」
「正直な表現の方が貴女には伝わりやすいでしょう」
アレクシスは微笑とも無表情ともつかぬ顔をして続ける。
まったく、この男は。皮肉の切れ味が悪いのか、皮肉を受け流しているのか。
けれど――嫌いではない。
「理由をお聞かせくださる?」
「今後、聖女礼賛派は更に勢力を伸ばします。王太子殿下は善良に過ぎ、利用される危険が高い。放置すれば国の均衡は崩壊する。私一人では全てを捌き切れません。貴女の才覚が必要です」
「なるほど。私が”都合の良い立場”になったから、と」
「ええ。表の権力から離れた今の貴女は、柔軟に動ける」
私は静かに唇を歪めた。
本当に合理的な話ばかりしてくれる。
「……ふふ、ずいぶんと魅力的なお誘いね。でも殿下ほどの方なら、こういうとき、もう少し甘い言葉を添えるものではなくて?」
「貴女はそういった甘言を求める方ではないと認識しています」
やっぱりこの男、全然可愛げがないわ。
そのとき、控えめにノックが鳴った。
扉が静かに開き、母が入室してくる。
「失礼致します、殿下。娘の様子を拝見しに参りました」
母は礼儀正しく優雅に頭を下げた。もちろん、先ほどの会話は何も知らない。
「殿下にお越しいただき、まことに光栄にございます。娘の将来を案じてくださるお気持ち、母として深く感謝申し上げますわ」
アレクシスはほんの僅かに表情を和らげた。
「いえ、以前よりリディア嬢には好意を抱いておりましたゆえ。僭越ながら、この機にと思い立ち、参上致しました」
私は思わず「は?」と言いそうになり、咳払いを一つして微笑んだ。
アレクシスの言葉を聞いた母は「まあまあ」と華やかな声を出して喜んで、あとはお若いお2人でなんてよくあるセリフとともに退出して行った。
「アレクシス殿下、私はあくまで――共犯者になるだけですから」
アレクシスは静かに目を細める。
「今は、それで十分です」
その声に微かな愉悦が滲んでいるのを――私は、あえて気付かぬふりをした。




