19
王宮の練習用ホールに、柔らかな音楽が響いていた。
天窓から注ぐ陽光が床の大理石を照らし、まるで舞台照明のように煌めいている。
「右足を引いて、一拍遅れてから回りましょう。はい、もう一度」
私は優しく声をかけながら、サクラの手を取った。
ダンスは初歩から教えているが、サクラは真面目で覚えが早い。
「えっと、こう、ですか?」
「ええ、だいぶ上達なさいましたわ。あとは姿勢をもう少しだけ伸ばして」
男女両方のパートを踊れる私は、相手役も兼ねてステップを導く。
サクラは時折、照れたように笑いながら必死に足の運びを揃えていく。
「リディアさん、すごいです。どっちの役もできるなんて……」
「貴族社会では、ある程度は必要になりますのよ。外交晩餐会などでは、急に相手役がいなくなることもございますから」
そう微笑んで答えながら、私は軽やかにサクラを回転させる。
(……ずいぶん柔らかく動けるようになりましたわね)
その様子を、少し離れた柱陰からアレクシス殿下が静かに見守っていた。
彼は執務の合間、偶然通りかかったらしいが、視線は珍しく長く留まっている。
(……美しい)
そう思った自分に、アレクシスは一瞬、微かな違和感を覚えた。
仕事上の評価ではなく、ただ――美しい、と思っていた。
髪を揺らして微笑む彼女の姿は、王宮の光景の中でも際立って映えていた。
(……困ったものだ)
微かに唇の端を上げると、彼は物音を立てぬまま静かにその場を離れた。
* * *
ひとしきり練習が終わり、私はサクラに冷たいハーブティーを手渡した。
「お疲れ様ですわ。随分と様になってきましたわよ」
「ありがとうございます、リディアさん」
サクラは少し呼吸を整えながら、ふと表情を曇らせた。
「……あの、リディアさん」
「何かしら?」
「この間のお茶会で、少しだけ……王太子殿下とリディアさんのこと、聞きました。婚約破棄のこと……本当に、申し訳なくて」
サクラはうつむき、小さく拳を握りしめる。
「私が召喚されなければ、リディアさんは王妃になっていたのにって……思ってしまって」
私はその言葉に、静かに微笑んだ。
「サクラ様」
「はい……」
「王太子殿下との婚約は、あくまで“役割”に過ぎませんでしたの。恋愛感情などは最初から無かったのですわ」
「え……」
「先日、侍女にも指摘されて気づきましたの。私はずっと、役割として婚約者であり、王妃候補であることをこなしていただけ」
私はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ですから、サクラ様が気になさる必要はございません。むしろ、今はこうして新たな道を歩んでおりますわ」
「……リディアさん」
サクラの瞳が潤む。
「本当に……素敵です。だから、私も頑張ります!」
私は静かに彼女の手を取った。
「ええ。サクラ様なら、きっと立派に務めを果たされますわ」
陽光が窓越しに差し込む中、
静かに心の波紋が――少しずつ、穏やかに広がっていった。