15
お茶会も無事に終盤へと差し掛かり、私は人の目を避けて中庭を歩いていた。
だが――貴族社会というものは、そう容易く静寂を許してくれない。
「まあ、リディア様」
背後から甘く絡みつく声がかかる。
振り返れば、数人の貴婦人たちが立っていた。
中心にいるのは、侯爵家令夫人アナスタシア。
かつて王弟殿下に秘かに想いを寄せていたと噂される女性だ。殿下が独身を貫いていた頃には、自身の可能性も信じていただろう。だが、今となっては既に別の男性と結婚している。
「お一人で散策とはお珍しいですわ」
「お茶会の熱気に少々酔いまして。風に当たりたくなったのです」
私は微笑で返す。
だが、アナスタシア夫人の瞳は、柔らかな笑みに隠れた鋭さを帯びていた。
「お強いのですね、リディア様は。本来なら王妃の座に就かれていた方が、こうして静かに身を引きつつも王弟殿下のお傍に。世間も色々と噂しておりますわ」
「噂など貴族の常ですわ」
「まあ……そうお強がりになられて」
夫人はわざとらしくため息をつく。
「けれど私たちから見れば、少々、疑問も浮かびますのよ。王弟殿下に、いかほどの”お力添え”をなさったのかしら、と」
背後の婦人たちがくすくすと笑う。
まるで私が何らかの打算で王弟に取り入っているとでも言いたげに。
(……あからさまですこと)
私が返答を選ぼうとした刹那――
「それ以上は無粋です、アナスタシア夫人」
低く静かな声が、場を貫いた。
その声に、空気が凍り付く。
ゆっくりと歩み寄ってきたのは、アレクシス殿下だった。
彼は黒曜石のように冷ややかでありながら、王弟に相応しい気品と威厳を纏っていた。
「王弟殿下……」
アナスタシア夫人は息を呑む。
アレクシス殿下は私の隣に自然と立ち、柔らかな微笑を浮かべた。
だが、その眼差しは鋭利な刀剣のようだった。
「貴女方が何を想像しようと構いません。しかし一つ、誤解は正しておきましょう」
殿下はゆったりと周囲を見渡す。
「私はリディア嬢の知恵を尊んでおります。彼女の冷静な判断、盤上を読む才、誇り高く礼を失わぬ佇まい――王宮において、これほど信頼できる助言者は他におりません」
その声は静かに、けれど誰の耳にもはっきりと届いていた。
「加えて、美しさもまた罪です。優雅でありながら慎み深く、少し不器用なところがまた――愛らしい」
私の心臓がわずかに跳ねる。
「そして、私はまだ正式な求婚を許されていない。よって今は”口説いている”最中です。どうか、邪魔をなさらぬよう」
最後の一言を添える頃には、貴婦人たちの間にざわめきが広がっていた。
「まあ……まあ……!」
「なんと率直で……!」
アナスタシア夫人は返す言葉を失い、苦笑を浮かべたまま一礼した。
「……ご無礼を。以後、余計な口は慎みますわ」
「賢明なご判断です」
殿下は一切の怒気を見せず、ただ完璧な微笑みで場を収めた。
貴婦人たちが去った後、私は小声で囁いた。
「……殿下、あれは少々やりすぎでは?」
「盤上整理です。それに嘘はいっていない」
聞き間違いかと思うほど、いつも通りの殿下の声音だった。見上げても、殿下はあくまで淡々としている。
だが私の胸には、先程の”愛らしい”の一言がまだ微かに残響していた。
(……本当に、困った方ですわ)
静かに胸の奥で熱を抱えつつ、私は殿下の隣を歩き始めた。