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先の騒動が収束して、会場はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
しかし――油断した隙を突くように、思わぬ火種が転がり込んでくる。
「リディア」
その声が耳に届いた瞬間、私は小さく身を強張らせた。
振り返ると、王太子殿下が柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
隣にはもちろん、聖女サクラの姿もある。
「久しぶりだね。元気にしていたか?」
王太子は、あくまで悪意なく微笑んでいる。
だが――この言葉は場に居合わせた貴族たちの耳に、見事に火種として突き刺さった。
(……殿下。今のは悪手ですわ)
呼び捨て。
しかも、「久しぶり」という無邪気な一言は――
【婚約破棄後、顔を合わせるのも嫌だった】
――そんな印象を与えかねない。
周囲の令嬢たちがざわめき始める。
反対派はもちろん、礼賛派の貴婦人たちすら目を伏せて微妙な空気を漂わせる。
(殿下は本当に……お人好しというか、天然というか)
私は苦笑交じりに内心で溜息を吐いたが――次の瞬間。
「王太子殿下」
静かに、だがはっきりとした声が場を制した。
アレクシス殿下が、優雅な微笑を浮かべながら一歩前に進む。
「以前もお願い申し上げたかと存じます。婚約者でもない令嬢に、過度に親しげなお声がけはお控えいただきたい」
会場内に一瞬、息を呑む気配が広がる。
さすがの王太子も、一拍遅れて「あ……」と口を開きかけた。
「もちろん、殿下のお心に悪意がないことは存じております。ですが、我が身としては、リディア嬢に近付くものには、つい不安になってしまいますゆえ。ご容赦を」
あくまで柔らかな口調。
それでいて、場の空気は完全に「溺愛する王弟が、恋人を守るために軽く嫉妬した構図」へと塗り替えられていく。
貴族たちの間に、小さな微笑と囁きが広がり始めた。
「まあ、王弟殿下ったら……」
「リディア嬢もさぞお幸せでしょうね」
「本当にお似合いのお二人だこと」
王太子は気まずそうに微笑を返し、
「すまない、気を付けるよ」
とだけ答えた。
サクラは何が起きたのか完全に把握しきれていない様子で、小さく首を傾げている。
私はそっと小声で囁いた。
「……殿下、演技が板についていらっしゃいますわ」
「盤上整理ですから」
また、その言葉だ。
だが今回は――ほんの僅かに、胸が妙な熱を帯びたのを自覚してしまった。
(……ほんとうに。殿下の策は、油断がなりませんわ)
こうして三つ目の火種も、見事に収束していくのだった。