13
一つ目の騒ぎが収束して間もなく、次の火種はすぐに現れた。
「――殿下」
アレクシスが僅かに声を落とす。
彼の視線の先、貴族の若手グループの一角で空気がざわめいている。
中央に立っていたのは、伯爵家の嫡男エドモン・カリス卿。
まだ二十代半ばの青年貴族だ。武門の家系にして、正統派貴族社会の誇りを重んじる典型的人材である。
「……嫌な予感がしますわね」
私は小声で呟いた。
案の定、エドモン卿はわずかに声を上げ始めた。
「リディア様がいなければ、本来ここで王妃の座に立たれていたはずです。異邦の聖女様に、そのお役目が果たせると本気でお考えですか?」
周囲の空気が一瞬で硬直する。
まさかの公然たる発言に、貴婦人たちが息を呑んだ。
(……やめなさいませよ)
内心で私は頭を抱えた。
エドモン卿は私に敬意を抱きすぎるあまり、ここまで踏み込んでしまったのだろう。
「聖女様は努力なさっている。ですが、この世界の厳しさを理解しておいでとは到底思えません」
サクラは困惑の色を浮かべ、視線を揺らしていた。
当然だ。こんな真正面からの批判は、事前に教えられていない。
周囲では反対派が面白がり、礼賛派が苛立ち始める。
空気が崩れる、その寸前――
「エドモン卿」
静かに、しかしよく通る声が場を制した。
アレクシス殿下が一歩前に進む。
その声に、青年貴族はわずかに身を強張らせた。
「貴殿の忠誠心と憂慮には感謝する。だが――公の場での発言としては僭越が過ぎる」
「……しかし、殿下」
「私とリディア嬢の間柄は貴族社会でも広く知られていよう。であれば、貴殿が彼女を思うのは余計なお世話に過ぎぬ。そうではないか?」
柔らかく、けれど容赦のない論理が突き刺さる。
エドモン卿は苦渋の表情で口を噤んだ。
「聖女様は、王太子殿下の御心に選ばれたお方だ。我々がその正当性に軽々に口を挟むべきではない。王宮の均衡は、それを前提に組み上がっている」
「……畏まりました」
青年は低く頭を下げ、退いた。
その背中に、アレクシスは穏やかに告げる。
「忠義の心は大切にせよ。ただし、それは正しく使うべきだ」
再び場の空気が静まっていく。
私はそっと息を吐いた。
「……殿下。見事な火消しでしたわ」
「盤上整理です」
アレクシスは僅かに微笑を浮かべた。
(……盤上整理、ね。本当にお得意ですこと)
会場は再び穏やかな社交の色を取り戻していった。
だが、こうした火種はまだ消えきったわけではない――。