12
「……来ましたわね」
アレクシスの隣で、私は静かに呟いた。
お茶会の中盤。緊張感はやや緩みつつあるものの、火種はあちこちに転がっている。
そんな中――ついに最初のトラブルが起こった。
中央の長テーブル付近で、若い伯爵令嬢が手元を滑らせ、豪奢なティーカップを床に落としてしまったのだ。
カップは見事に割れ、紅茶が絨毯に広がっていく。
「まあ!」
「おやまあ……」
貴婦人たちの驚きと好奇の視線が、一斉に集まる。
伯爵令嬢の顔は真っ青だ。
だが――その隣に控えていたのは、先日までサクラの教育係を務めていた侯爵夫人。つまり、私たちから排除された旧反対派の一員。
(なるほど。事故に見せかけた小細工、ですわね)
侯爵夫人は穏やかな顔を保ちつつ、すでに令嬢を小声で追い詰め始めていた。
「まぁ大変。若い方は落ち着きが足りませんわね。サクラ様もさぞお困りでしょう?」
ちらりと、聖女サクラの方へ目を向ける。
案の定、サクラは慌てた顔でオロオロしていた。
(ここで聖女殿下が拙い対応をすれば――“やはり王妃には未熟”という印象をさらに植え付ける狙いですわ)
すかさず私は軽やかに歩み出る。
「まぁまぁ、侯爵夫人」
微笑を浮かべつつ、私は令嬢の肩に手を添えた。
「お怪我がなくて何よりですわ。こちらはすぐ侍従が新たな絨毯を用意致しますので、どうぞお気になさらず」
合図とともに侍従が動く。
予備の敷物と入れ替えが進められ、周囲の騒ぎは自然に収まっていく。
さらに私は続ける。
「失敗は誰にでもございますわ。ですが、サクラ様が事前に”多少の粗相は慌てず微笑んで受け流しましょう”とお稽古で教えてくださいましたの」
「え……あ、はいっ、そうです!」
サクラがすぐに頷く。
侯爵夫人の口元がわずかに引き攣ったのを、私は見逃さなかった。
「サクラ様のお心の広さには、皆様も感心されますでしょう?」
「ええ、さすが聖女殿下ですわね」
貴婦人たちの視線が再びサクラへと戻る。
用意された一斉の賛辞が、場の空気を穏やかに包み直していく。
私はそっと息を吐く。
小さな火種は、無事に鎮火された。
「見事な采配です」
隣から低く囁くアレクシスの声が聞こえた。
「慣れておりますわ。王宮の舞台裏はいつだって、こういう駆け引きの連続ですもの」
「――残念ながら」
二人で交わす苦笑は、どこかいつもより軽やかだった。