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光が、宮廷の天蓋から降り注いでいた。
金糸をふんだんに織り込んだ天幕は、まるで太陽の祝福を受ける祭壇のように眩しい。純白の大理石は磨き上げられ、足音ひとつ立てぬほど滑らかに輝いている。壁面には歴代王家の紋章が彫り込まれ、膨大な年月の権威を静かに主張していた。
ここは王宮最大の謁見の間。今日、その舞台に私――リディア・アルセイン公爵令嬢は立っていた。
冷えた空気が肌を撫でる。初夏の陽光とは裏腹に、ここに満ちるのは政治の冷たい匂いだった。
王太子殿下の声音は、実に晴れやかだった。
「聖女召喚の件に伴い、この度の婚約を白紙に戻す決定と相成りました」
その宣言に、静まり返っていた廷臣たちがざわめきを上げる。抑えきれぬ好奇の視線が、まるで品定めするかのように私を貫いてきた。
(ああ、ようやく口にしたのね、殿下)
心の中で呟く私は、ただ一歩前に出て、優雅に一礼する。
「御英断にございます、殿下。妾などより、神の加護を受けし聖女様の方が、王妃としてふさわしゅうございますでしょう」
唇に浮かべた微笑は、きっと完璧に整えられていたはずだ。
私はそう生きてきた。常に、王妃となるべく相応しい器として振る舞ってきた。それが今日、こうして婚約破棄という結末を迎えたことに対しても、眉ひとつ動かしてはならないのだ。
廷臣の間に交錯する思惑は実に騒がしい。驚愕、安堵、侮蔑、憐憫。これ見よがしに口元を歪める者さえいた。
(さて、次はどんな噂が流れるのかしら。悪女? 疫病神? いずれにせよ、娯楽には事欠かないでしょうね)
私は視線をゆっくりと持ち上げた。王太子殿下――レオンハルト殿下は、まるで大義を果たした賢王のような顔をして、清々しい笑みを浮かべていた。
(……ええ、殿下は本当にお優しい方ですこと。これで国内の派閥抗争も一掃できる、とでもお思いでしょうね)
その隣には、聖女サクラが控えている。
異世界より召喚された神の加護を持つ少女は、緊張と誇らしさをない交ぜにした表情を浮かべていた。
絹のように輝く黒髪に、薄紅の唇。透き通るような白い肌は柔らかな光を反射して、まるで神像のように神秘的だ。
(……まさしく、絵に描いたような聖女ね。利用されるには、これ以上ない適任者だわ)
そんな彼女に向けられる廷臣たちの眼差しは、熱を帯びていた。神の寵愛を得た聖女こそが、これからの王国を導く希望だとでも言いたげに。
その熱狂の渦の中で、たった一人だけ――冷たい静寂のような視線が私に注がれていた。
王弟殿下。アレクシス・グランディール。
漆黒の礼服に身を包んだ彼は、まるで彫像のように動かず佇んでいる。王家随一の知略家と名高い彼の瞳は、暗紫色に深く沈み、ただ静かに私を見つめていた。
(……何をご覧になっているのかしら、殿下)
私は微笑を保ちながら、心の中だけで問いかける。
王弟殿下は、私の一挙手一投足を計るように観察していた。
(利用価値があるとでも? それとも、ただの観察?)
彼が何を思っているのかは分からない。
けれど、私がこれから否応なく彼の視線の先に置かれることになるのだろう、という確信だけはあった。
静かに始まった。
王宮の盤上で、新たな駒が配置される音が、確かに響いた。
アルファポリスで掲載しているのですが、最近の流行は複数媒体への掲載ということで、小説家になろうにも掲載始めました。ゆるゆるっと移してきますので、よろしくお願いいたします。