わっ、獣族だ!
近くで安宿を見つけるとスイングドアを押す。
正面のカウンターで鼻毛を抜くオヤジに3日の滞在を予約する。
「坊主、お前か転生者というのは。噂になってるぞ。気を付けるんだな。お前さんを利用しようとする者、金を奪おうとする者が狙っているからな」
「忠告ありがとうございます」
「で、3日だな、3日の宿泊で4万5千ルッツだ。前払いでな」
——このオヤジもその集りの口じゃないのか。どうやら、俺は歓迎されてないようだ。召喚者だったらよかったのか——
「二階の突き当りの部屋だ。嫌なら他を当たれ。どこでもそう変わらん」
少々高いような気もする。俺は新参者としてぼられたようだ。この調子だと30万ルッツなど瞬く間になくなるだろう。先が思いやられる。
「ちょっとオヤジ。高いんじゃねえか? 不安に託けてそれはねえんじゃねえのか」
横から口を挟んだのは頭上に耳が出ている獣族の女だ。
——わっ……本物だ——
背が高く筋肉質で好戦的な印象を受ける。
背中では長い尻尾がくねくねと蠢いている。
苛立ちを大げさに表しているに違いない。
俺は初めて見た。
これが獣族。
これが異世界なんだ。
俺はまじまじと見た。
——なんだかおもしろくなってきた——
「初めての客は仕方がねえよ」と宿の主は言いつつも「じゃあ、あんたの顔に免じて4万ルッツにしといてやる」
「せこいよ。3日なら3万ルッツでいいだろ。みんなそうだろ」
宿の主はちょっと考えて困った表情を浮かべたが、「じゃあそれでいい」と渋々折れた。
獣族の女は俺を見下ろした。
目が怖い。
猫が獲物を狙うときの目だ。
「俺、ガルディ」
「ありがとうございます。ガルディさん。助かりました。僕、アラタ……こっちの名前ではエルンスト・ラインハルトだそうです」
「エルンストか。面倒くせえからエルンでいいな。荷物置いたら降りてきな。話がある」
——うひょー、こんな場面、どこかで見たっけ——
「あるあるだ」
「なんだと?」
「なんでもありません。すぐに降りてきます」
俺はどぎまぎしながら、とりあえず言われる通りにする。
——もう、なるようになれだ——
部屋に荷物を置いてラウンジへと降りるとガルディが窓際のテーブルで手を振っている。
俺はガルディの向かいの席に着く。
「エルン、お前、転生者だとか? 本当か?」
「そうらしいです。はっきり言ってよくわかりませんが。ここでは9歳とか……」
「そんなことはどうでもいいんだ。金持ってるだろ」
後ろのテーブルの男がエルンの耳元で言った。
「その女、ヴォルフガルド族の女だから気を付けろ。坊主、お前、頭から食われちまうぞ」
「人間はまずいから食わねえんだ」とガルディ。
「まずいってことを知ってるってことは食ったことあるってことじゃねえか」
「吐き出したんだ。……これ以上、話の邪魔をするな。お前から先に食うぞ」
ガルディは牙を見せて睨みつけた。
後ろの男は顔を歪め、慌てて口を噤んだ。
ガルディは俺へと視線を戻した。
「さっき1万5千ルッツ得しただろ。俺な腹減ってんだ……なんだその目は」
「いえ……じゃあ、何か注文してください。代金は僕が後で払っておきますから」
「そうか、悪いな、催促したみたいで」
ガルディは「おい」とウエイターを呼ぶとメニューを見ながらいくつかを指さした。
「これとこれとこれ、一つの皿でいい。すべてレアで。お前もなんか頼め。俺だけ食ってると変だろ」
「じゃあ、サンドイッチお願いします」
「お前、いいとこのボンボンか?」
「いえ、違います。父はタイヤメーカーの総務課で働くサラリーマンで、母はスーパーのパートをしてました。兄が一人いて僕は次男です」
「よくわからんが」
ウエイターが戻っていくと話は本題に入った。
「それで相談なんだが。お前、俺を雇え」
「雇うって?」
「お前、これから住処や職を探すんだろ。この辺りには新参者を食い物にする連中がたくさんいるんだぞ」
「お前もだろ」とさっきの男。
「黙れ、貴様」
ガルディは男を睨みつけた。
ガルディは俺に視線を戻すと話した。
「つまり、俺は用心棒だ」
確かに用心棒がいれば心強いが、それが盗人に変身する可能性もありだ。
「どうだ?」
ちょうど料理が運ばれてきた。
一皿に山盛りの肉料理だ。よい香りが漂った。
「用心棒代はいくらですか?」
「一日、1万ルッツ。三日で3万ルッツ。めんど臭えから5万でどうだ?」
——高い。高すぎる。計算が合わない。獣族の計算方法ってどうなってるんだ?——
ガルディの話は続く。
「それくらいの金は持ってるんだろ。転生者には30万ルッツが支給されるらしいからな。金を全部取られることを考えると安いもんだ。下手をすれば命がなくなるんだぞ。ここで、転生者が三日以内に殺される確率は30パーセント。ひと月以内に殺される確率は50パーセント。一年以内に殺される確率は95パーセントだ」
——絶対嘘だ。この獣族、嘘つきだ——
「……でも、ちょっと高いような……4万ルッツなら」
「よし決まった。それでいい。もちろん飯付きだぞ」
嵌められたと思った。
最初に高い料金を提示して、それを値下げして商談成立に持ち込むわけだ。
それでも安心を買うと思えばそれでよいかとも……。
後ろの男が再び俺の耳元で言った。
「バカだなお前、そいつは肉さえ食わせればどこへでも付いてくるよ。三日も食わなけりゃ死んじまうんだから」
「余計なこと言うんじゃねえ。もう決まったんだ。決まったことは死んでも果たしてもらう」
ガルディは口いっぱいに肉を頬張りながら叫んだ。
「食うか、この肉うまいぞ」
血が滴る肉。レアではなく、生だ。
フォークの肉を俺の口元へと差し出した。
俺が口を開けると「……やらねえ」と引っ込めて大口を開けて笑った。
ガハハハハハ……
俺、最後にはこの獣族に食われるかもしれないと思った。
その夜、ガルディは俺の部屋に泊まった。
床に寝ることに慣れているので「ここでいい」と忍び込んできた。
ガルディは宿代まで浮かした。
食われるかもしれない恐怖でなかなか寝つけなかった。
ようやく寝ついたのは空が白みはじめたころ。