もう一つの記憶
いや、そこからの記憶も蘇った。
雲に包まれたエンタシスの柱に囲まれた神殿のようなところであの爺ぃさんに会った。
——何だここは。この爺ぃさんはだれだ? あっ、わかった。カメ仙人だ——
爺さんは禿げ頭を光らせながら長い白髭をまさぐった。
ハテナマークのような長い杖をトントンと突きながら言った。
「わしは神様じゃ」
——自分に様を付けるとは、なんとも怪しい爺ぃだ。詐欺師かもしれん。神様詐欺かもしれん……だが、俺から搾り取れるものなどもはやないはずだが——
「詐欺師ではない。いいか、わしはお前の心の声も聞こえる。余計なことは考えん方がいい。心証が悪くなるぞ」
——何が心証だ。心証が悪くなってどうなる?——
そこで俺はその爺ぃさんから正式に死んだことを告げられた。
——死んだ? 俺が……するとここは天国?——
「天国ではない。途中といったところか」
「途中……?」 しかし、すぐに怒りが込み上げた。「俺は23ですよ。この年で、殺すなんてひどいじゃないですか」
「仕方あるまい。運命じゃ」
「そんな言葉でごまかされませんよ」
「わしがお前の運命を変えたとでもいいたいのか。運命とはお前自身の成り行きなんじゃ。神とて生物一個一個に干渉できるものではない。すべては相互関係による成り行きじゃて」
「でも、このままじゃ死んでも死に切れんのだけど。せめてポイントだけでも使い切りたいんだけど。必死に溜めたポイントなんだよ」
「なんじゃポイントとは……まあ、その気持ちがあるのならそれを糧にするがよい」
「どういう意味ですか?」
「これからお前にはちょっと働いてもらおうと思うておる。そのまま異世界へ転生してもらう。そこでじゃ……」
「ちょっと待って、爺ぃさん」
「わしは神様じゃ」
「異世界転生? 働く?」
「そうじゃ」
「異世界転生というのはなんとなくわかるけど、働いてもらうというのは?」
「働くのは当然じゃ。だれでも働く」
「誰でも働くのは当然なのにあえて言うのはおかしくないですか、神様」
「ああ、なるほど。もっともじゃな……とにかく、働いてもらう。探してもらいたい物があるのじゃ。あまり先のことは知らん方がいいと思うので詳しくは言えんが……」
「そんないい加減な……。だったらお断りします」
「そうじゃろうな。で、何も知らんでは働けんじゃろ、ということでちょっとだけ話すが、探してもらいたいというのは……」
「探してもらいたいというのは?」
「それはじゃな……」 神様は某司会者張りに溜を作った。「それはじゃな……『罪業の柩』じゃ」
「ザイゴウのヒツギ? 棺桶ですか。死体が入ってる?」
「詳しくは言えんが、……これからお前が行く世界を根底から覆す箱じゃ」
「わけがわからんのですけど。それだけでは探しようがないでしょ。どこにあるんですか」
「それがわからんから探せといっておる。わかっておったらお前になぞ頼むか」
——なんかムカつく。頼んでおいてその言い方はなんだ——
「どんな物ですか? 形とか、色とか、大きさとか……」
「さあ、分からん。……実はよく覚えておらんのじゃ。古い記憶じゃからな」
神様は口を尖らせると大仰に首を振る。
「それじゃあ、探しようがないでしょ」
「お前の手に鍵が握られておるじゃろ。それが教えてくれる」
「鍵?」
いつの間にか、俺の手に鍵が握られていた。
「これがその柩の鍵?」
「そうじゃ」
「たったそれだけで探せと?……だいたいあんたは神様でしょ。それくらいのことは自分できるでしょ。お断りさせていただきます。……やっぱり、僕を元の世界へ返してください」
「それは無理じゃな。……だから、言ったじゃろ。運命には干渉せんとな。しかもお前さんの肉体は既に荼毘に付されておって骨になっておる。一枚の書類だけが日本の親もとへ帰っておる頃じゃ。親御さんは悲しんでおったぞ。……ここでのお前の体は記憶によるわしの一時的な創作にすぎん。元の世界に戻ればただの霊魂じゃ」
「だだだ荼毘とかほほほほ骨とかれれれ霊魂とか……」
俺は呆然としながら爺ぃの顔を見つめていたが、しばらくして我に返った。
「バカな……霊魂でもいい。元の世界へ返せ。この詐欺爺ぃめ」
「霊魂はやがて消滅するが、それでも良いか?」
「消滅……」
「お前、前の世界で生きていて、これからいいことがあったと思うか? 刑務所か野垂れ死にか……」
「神様がそんなこと言っていいのか。努力すれば道は開けるもんだ」
「お前、努力したことがあるのか?」
神は徹底的に侮辱の手段を行使するつもりらしい。
俺のプライドを切り刻んで貶めて這い上がれなくして、そこでちょっと手を差し伸べる気だ。
神のすることか?
「いつか目が覚めて努力するようになるかもしないじゃないか」
「ないない」
「お前、疫病神だろ。爺ぃ」
「やめんか、弁えろ。もしこのまま受け入れれば、次の世界では新しい肉体をくれてやるぞ。前よりイケメンだぞ。モテるぞ」
「イケメン? モテる?」
「そうじゃ。モ・テ・る・ぞ」
痛いところを突かれた。
彼女に振られたことがきっかけでここにいるわけだ。
この爺ぃはそれをちゃんと知っているんだ。
爺ぃは薄ら笑った。
絶対俺をバカにしている。
そんなことで俺の心が揺らぐものか。
「お前には特別な能力を与えてやるといっておるのじゃ。決して損な話ではないと思うが」
俺の心の天秤は呆気なく傾いた。もちろん異世界の方に。
「死んだ者にはすべてそうするんですか?」
「そうではない。お前さんは特別じゃ。好きで傭兵になったわけではなかろう。騙されて……騙されたのはお前さんの自己責任でもあるが、それでも、今までろくなことがなかったじゃろ。本来ならうまくバランスを取った人生を構成するもんだが、ちょっと手違いがあってな。運命の脚本家がぼんくらでな……まあ、わしが責任を取っての配慮でもある。それにお前は無垢じゃ。扱いやすいというのも理由じゃな」
「手違い? 配慮? 無垢? バカで扱いやすいということか」
「わかりやすくいえば……そうじゃ」
——否定できないのが悔しい——
「でも、そんな不公平な人生で無垢な人間って僕だけじゃないはず」
「そうじゃな、なぜお前か? 特に何のとりえもない、努力家でもないお前になぜか……それはな、7人の魂を背負ったからじゃ。お前は傭兵として赴任し、トラックの運転を任されたわけじゃ。そこでお前は道を間違えた。本来の行くべき道を間違え、右へ行くところを左へ進んだ。右と左もわからんとは情けない。右へ行けばよかったんじゃが……そこで敵の攻撃に遭遇し、仲間であった7人全員を死亡させた。その魂を背負ったわけじゃ。道を間違えなければ今でも生きておる。愚かじゃな。その贖罪のため、その分まで生きて働かんといかん。もちろんわしも手助けをする。わしはお前に様々な力を与えよう……」
「チート能力ですか?」
「さあ、そこまでは保証できん。努力次第じゃ」
「死んだ他の人たちは?」
「それぞれ個別の道を歩んでおる。大半はお前さんを恨んでおるようじゃな」
「つまり罰ということですか?」
「罰というほどのものではない。自らが選んだ運命、過失が大半じゃからな。言い換えれば、人間への罰じゃやな。お前さんは人間代表というわけじゃ」
「わかったようなわからないような。避けようがないのなら、だったら、死んだ時より若い肉体がいいんですけど」
「いくつくらいじゃ?」
「16くらいかな……」
このころが一番多感な時期だ。
不遇な時期をやり直したい。
イケメンとなってもう一度この時代を満喫したい。
そう思って何が悪い。
「そして、……ブロンドヘヤーで青い目、甘いルックスで身長が180センチ。ナニも大きく、精力絶倫で……」
「開き直った途端欲深くなったな。……すべてを叶えてやれるかはわからん。できるだ意に添うようにしてやるが、その世界でもっとも有効に使える肉体が与えられる。いくつかの候補はもう選んである……どちらにしても、あちらへ行けば今の記憶は消えるが。ふふふふふ」
「なんだって?」
「いや、なんでもない」
——この神、どうも胡散臭い。なにか企んでいやがる——
しかし、ここまで来たのなら拒否できそうにない。
受け入れるしかないようだ。