お役所の手続き
役所は公園を出てすぐだ。
レンガ造りの建物に入ると奥の暗い小さな部屋へと通された。
粗末な椅子に座らされると、男が向かいに設えられた机に着くなりおもむろに話始めた。
「最近は少なくなってね、3年ぶりかな……まず君の名前から聞こうか」
「俺……僕は……」
精神と肉体が噛み合ってないせいか脳が混乱する。
しかも名前もすぐには出てこなかった。
「思い出せんかね? そういうこともある。短い期間にいろいろなことがあったわけだ。意識が混乱したり、記憶が飛んだりする。ゆっくり思い出すといい」
口調は穏やかだが、なんだか面倒くさそうだ。
「名前は……ああ、確か、妻吹アラタ」
「そう……アラタ君ね。どこから来たのかね?」
「たぶん、東京……」
「トウキョウね……トウキョウというとチューゴクだったっけ? ちがうなカンコク? ブラジル?」
「日本です」
「ああ、ニホンね。……ということはニホン人ね。いろいろな国から来るからね、わかんなくなっちゃうんだ。ハハハ……で、なんでここに来たかわかる?」
「いえ、それが……」
「そう、別にいいよ、大したことじゃないから。これは自然現象の一種だから、深く考えることじゃない。台風に遭って落雷を受けて地震が起こって地割れに落っこちたみたいなもんだ」
「よくわからないんですが」
「よくわからなくていいんだ。誰にもわからない……その体にもすぐに慣れるよ……質問はここまでね。そしてね、ここへ来た者はね、この世界の名前が与えられるから、ちょっと待っててね。名前は市長が決めることになってるから。そうそう、鏡見た? 子供にしてはなかなかのイケメンだよ。ラッキーだよ。10年後が楽しみだね」
男は俺を一人残すと部屋を出ていった。
俺は近くにあった鏡を見た。
ブロンドさらさらヘアーの少年が映っていた。
これが俺?
年齢は、爺さんが言ったように8歳か9歳ってところか。
何となく面影はあるもののほとんどヨーロッパ系の面立ちだ。
——アラタ。俺は妻吹アラタだった——
何気なく出た名前だったが、今、はっきりと思い出した。
俺は死んだのだ。あの爆発で。
俺は東京在住の23歳。
近県の出身で、生まれてから高校まで地元で暮らした。
内気な性格だった。
一人で本を読んだり、プラモデルを造ったり、ゲームをやったり、ラノベの世界に浸ったりするのが好きで、中学卒業すると地元の三流高校へ入学するも、いじめられるのが怖くてほとんど通学した記憶がない。
実際にいじめられたかどうかはわからないが。
それでも卒業できたのが不思議だ。
先生がプリントを届けてくれたり、レポートの提出で単位をくれたらしい。
先生のおかげだ。
先生ありがとう。
そんなことどうでもいいのだが……
その後、就職が決まって東京へ出てきて一人暮らしを始めた。
仕事は大手某通販サイトのピッキング作業だ。
指示書に記載された商品を探し出して、箱詰めし、出荷する仕事だ。
一。
あれほど広い倉庫を駆け回る作業とは思わなかった。
商品は数十万種類とあるのだ。気分が悪くなって3度倒れた。
「君には向いてない」と言われる前に辞表を提出した。
俺にもプライドがある。
「こんなとこ辞めてやる」と小さな声で怒鳴った。
主任は「はいはい」といって笑顔で辞表を受け取った。
その後はアルバイトを転々とした。
リフォーム業者の手伝い。交通誘導、居酒屋の洗い場、いずれも半年と持たなかった。
さらに転々とし、そして直近でコンビニ店員。
コンビニで働いているとき、3歳年下のハルカと出会った。
彼女も地方から出てきて一人暮らしをしていた。
同病相憐れむのたとえがあるように気が合った。と思っていた。
そこで、俺は彼女に正式に付き合いを申し込んだ。
「お、俺と付き合ってく……」
「冗談でしょ。調子に乗らないでよ。このちんちくりんブサイク」
そうだ、俺はちんちくりんブサイクだ。だった。
なぜ世の中はこれほどまでに不公平なのか。
その言葉を最後に、彼女はアルバイトに来なくなった。
俺は、店のストロング酎ハイ500ミリリットル5本をかっぱらって帰宅し、やけ酒を煽った。
全部、飲み干した。
さすがに死ぬかと思ったが生きていた。
翌日、店長からクビの宣告を受けた。
当然だ。
その翌日からアルバイトを探す日々が始まった。
そして見つけた時給7万円。
電話をするとすぐに話がまとまった。
集合場所は成田空港。俺は外国へ連れていかれたわけだ。
そのとき、実は薄々そんな気がしていた。
あれだけニュースで騒がれていたらどんな鈍い人間でも気付くというものだ。
だが、ちょっと違った。
俺が連れていかれたのは戦場だった。
某国と某国の戦争に傭兵として駆り出されたのだ。
一週間の基礎訓練の後、トラックの運転を命じられ最前線へ向かうように指示された。
しかし、途中、敵国のドローン爆弾によって俺の体は49個の肉片に分かれることになった。
一瞬のことで痛み苦しみは感じなかった。これは幸いだったが、同乗していた仲間7人も同じ運命をたどった。
記憶はそこまで。