“ヴィシタンテ・エノールミ”(4)
ウティリザ視点
縄でしっかり木箱ごと縛った台車を押し、南地区を歩く。
南門を抜けた先に山の形をしたダンジョンがあるから、南地区の大通りは道具鍛冶通りになっている。俺たちの武器防具もこの通りで手に入れたし、父さんの肉切り包丁も何本もこの通りの店で試してきたらしい。
大通りを挟んで東側は宿場エリアになっていて、西側は山ダンジョンと湖中ダンジョンに挟まれたおかげで食品取扱店と革製品の工房が数多く並んでいる。俺の実家もその一つだし、ホージャスの実家の青果店は肉と魚ばかりの場所に商機を見出して出店した。
他の東西北もそれぞれ色のある特徴がある。それがこの、領主街だ。……ほぼ1年ぶりに帰ってきたから、変に思い耽っちまった。
「フェルティ、本当に自信に満ちてたね」
「そうだな。店が繁盛してるのもそうだし、弟子がやっと取れたのが大きかったんだろうぜ」
「僕もフェルティの自信に繋がったかなぁ」
「間違いなく、繋がってるだろうな」
今は領主からの紹介とお隣さん2人をスカウトしての3人だが、この中の誰かが習得した魔法を有効活用し、その話が広がれば、一気に希望者が集まるだろう。人間、現金なもんだからな。
道が平らな大通りから、そろそろ整備が必要になる通りに入る。ここをまっすぐ道なりに行けば、俺たちの実家だ。
「あーあ、お俺も水属性あったらなー」
「うーん、しょうがないよ。ウティリザは身体強化一本だから。そっちはお父さんもそれだし、シオンとお母さんも氷は作れなさそうだよねぇ」
「今までは、“熱属性じゃないから”で、あんまり罪悪感は無かったんだけどな……」
冒険者をやってる本当の親から預かった、青みがかった黒髪に、澄んだ空色の瞳の男の子。既に自分の才能に気づいていたアイツのサポートは出来ても、一緒に氷を作る練習は出来なかった。
4つ年の差があっても遊んだり勉強を一緒にしたり、食事やイベントでの思い出を共有することは出来た。寂しい思いはさせなかったはず。
それでも、アイツが置いて行かれた要因である魔法に関しては、その孤独感を解消することは、出来なかった。
……今までは、“フェルティと同じ熱属性じゃないから”とどこかで諦めが、フェルティ自身からも感じていたから。だから深刻には捉えていなかったんだが……。
「別に、わざと協力しないみたいなことはしてないでしょ? そんな落ち込まれても困る、ってフェルティなら言うさ」
「……そうだな。アイツはそういう、優しい男だ」
勝手に期待されて失望される辛さを知っているから、他人に過度に期待しない大切さを知っている。
あ、そうだ。
「そういやよ、フェルティにおねだりしたら揚げたての揚げ物食わせてくれることになってさ」
「揚げたて? やった!」
「それで、何揚げてほしいかをマルバと一緒に考えてくれって。揚げんのは、“ヴィシタンテ・エノールミ”の後でな」
「そっか。じゃあ明日はマルバの店に行こっか。僕、マルバの馬留カフェ、居心地よくて好きなんだ」
「分かる。揚げもんが新メニューのヒントになるといいな」
「ウティリザはもう何かリクエストしたの?」
「あぁ。デカブツの肉で頼んだ」
「あー、だからヴィシタンテの後なのね」
「そーゆーこと」
話の区切りがついて、何気なく空を見上げる。陽は沈んだ。空は薄暗く青い。──そして、また、雲が広がってきた。
「一ヶ月以内っていう発表だったけどよ。結構、雷雲のペース、早いよな」
「確かに。コレは案外、早く揚げたてが食べられるかもね」
「マルバから聞くまでは持ちこたえてくれよー」
もうすぐ降るだろう。雨に濡れないように、2人とも早歩きで帰路についた。
とある夜。ひとりの男がエノールミ湖の漁港に現れた。
左手には灯ったランタンを持ち、右肩からは釣り道具が入ったバッグを下げている。
「寝ーぼけたさーかなを釣っるっぞ~♪」
小声ながらご機嫌に歌っている彼は、月夜の下での磯釣りを楽しもうとしている、ただの領民である。
漁港の端から伸びた波止場を釣り場と決めた男は、いそいそとバッグから釣り道具を展開し、紐を取り付けたバケツを湖に投げ入れ水で満たし、釣り針の先に干した魚の身を取り付けた。
「今日は何が釣れっかなー」
男は細く短い釣り竿を掲げて糸を伸ばすと、そのまま糸を湖に垂らした。波止場の縁に腰掛けた男は、先ほど釣り針に引っ掛けた干し魚を一切れ、口に含んだ。趣味で釣りをする男のツマミでもあるらしい。
ザザン……ザザン……
風によって起こされる波が波止場にも打ち付ける。少々むわっと湿度を帯びながらも体表の熱を奪い去るには十分な風が吹き、男は夜の暗さも相まって、その心地よさに身体を任せて目を閉じてしまっていた。
──そうして、耳が違和を捉えた。
「……ん? なんか、跳ねた?」
ぼこっ……ぼこっ……
さざ波にまぎれて聞こえてきたのは、湖の水が重たく跳ねる音。弾けるような瑞々しいものではなく、ゆっくりと、大きな空気が水を持ち上げて割れたような。
月明かりに照らされる湖面をじっと見つめ観察した男は、いつもとは波の調子が違うことに気が付いた。ある一点から、波が起こっていることをその目で捉えたのだ。
「……まさかっ!?」
男は全身から血の気を引かせると、釣り糸を引き上げ、ランタンだけを持ってその場から駆けて離れた。
男は善性なエノールミ領民である。彼はこのところ、ある災害の予報がなされていたのをしっかりと把握していた。故に、すぐさまそれと結びつけた。
「ヴィ、ヴィ、“ヴィシタンテ・エノールミ”だ……!!」
彼が領兵詰所に通報したその瞬間から、領主街に緊張が走り──夜空は分厚い雲に覆われ、月明かりは遮られた。