歓迎会と魚出汁の潰し芋揚げと魚と芋の練り揚げ物(7).
レティセン視点
日付が変わった後から広がり始めた雲は月を、太陽を覆い隠した。厚くなった暗い雲は雨を降らし、いつ日の出を迎えたのかを分からなくさせた。窓を叩く風は、エノールミ湖をも荒らしているだろう。
8月12日。本日も恒例の領主への報告だ。
執務室の奥で、座り心地の良さそうな革張りの椅子に腰掛けるエノールミ領主。俺は広い机越しの対面に立ち、手を後ろに回している。
「噂は聞いているよ。新弟子を迎えたようだね。弟弟子の誕生、おめでとうレティセン」
「……ありがとうございます。ご存知でしたか」
「なんてことはない。我が家に配達してくれる業者から使用人が話を聞いただけ。そして、それだけ。ナバー君がどんな人となりなのか、教えてくれるかい」
噂を聞いただけ。それはどこまで本当か。なんて疑うのは、男爵位相手に擦れすぎか。
「凍らせ屋フェルティの新弟子は、ナバーという15歳の少年です。南地区のザラフォリア青果店の次男。フェルティ夫妻の実家、ガナド精肉店と隣接している縁で幼少のころから家族ぐるみの仲のようです。魔法適正は水。冒険者登録はしていますが、湖で水中ダンジョンから湧くモンスターを狩って糧を得ている、根差しタイプの冒険者です。“水中を魚のように泳ぐ天才”、と聞けば、領主様も心当たりがあるのでは」
「あぁ、そうだね。彼の噂はかねがね。エノールミ湖ダンジョンが未だ活性の中、彼の存在は領地の安全保障に大きく貢献している。生憎我が家は16歳からしか領兵を受け入れていないから、まだ様子見だったんだけど。こりゃ今日にでも唾を付けに行くかな」
やはり、才ある者は権力者に目をかけられるな。この領主は悪い人じゃない。良いように取り計らってくれるだろう。
ここまでは手元の情報の確認といったところか。領主が求めているのは、ここからだ。
「努めて観察する癖があるとの前評判通り、手本を見せると噛り付くように注目してきました。ただ観察するだけでなく、理解をしようと事前に得ていた情報とすり合わせて、自らの考察を口にしていました。また、幼馴染のフェルティ師匠だけでなく、一回り以上年の離れた私にも物怖じせず交流を試み、少々先を行く私から知識と技術を吸収するのに躊躇いがありません」
フェルティが急にキッチンに回った時は驚いたが、気まずくならなかったのはナバーが積極的に話しかけてくれたからだ。親しみを込めながら、自らの疑問を解消せんと質問し、俺の回答を聞き逃さんと集中し、人懐っこい笑みで受け応える。
水を止めるとはどんな感覚なのか。
──魔力で水同士を固く結びつけるような。カチリと、金属のように。
水を止めるイメージとは何なのか。
──冷たく、動けなくさせるような。“死”をどことなく感じている。検証の際に魔力欠乏で死にかけたからかもしれないが。
最終的に、どんな活用先を考えているか。
──詳しくは、何も。出来ることを増やし、求めてもらえる場所で求められる仕事をするだけ。
攻撃に使うにはどうするつもりか。
──師があの調子だから、うっかり平和利用だけを考えていた。これから検討しよう。
水属性で氷を作ることの意義は何か。
──水属性自体の、可能性の拡大。止まれば凍るのなら、動かせば熱湯になるのかもな。それ以前に蒸発しそうだが。
フェルティが妻のシオンさんに凍ったオレンジを贈る、その短い時間で、ナバーは待つことをせずに俺から情報と意見を引き出そうとした。最後はフェルティからも。結果、急性魔力欠乏症で倒れる未来しか見えないから、攻撃転用の訓練は師の目の前だけでやること。と念を押されたが。
「また、スカウトを受けてから時間があった為か、既に応用法にも強い興味を持っています。先を見据えた目標高い彼は、基礎が万全になれば活躍が約束されているでしょう」
「おお、C級冒険者の君がそこまで。買い被りじゃないんだね?」
「……あの少年には、それを成しえる力があります。そして、私はもう前線を退いていますが、この目で見てきた経験があります」
今の腑抜けた自分にC級の力があるとは思っていないが、見る目が衰えたとまでは卑下しない。努力と研究する天才の未来は明るいに決まっている。
その、少しの怒りが滲む思考が読み取られたのか。領主は満足そうに一度頷いて、「そうか、喜ばしいことだ」と零した。それから、何かを期待する眼差しで俺を見つめてきた。……昨日の、フェルティの様だ。
「それで、ナバー君の言う応用とはどんなものなのかい?」
「……妄想の域を出ませんので、ご容赦を」
「そうか。どんなものであれ、実用化を楽しみにしているよ」
……焦るな。まずは基本をだな。
あぁそうだ。エノールミ領に居を構える冒険者として、聞いておきたいことがあった。
「……領主様。最近ギルドでとある話題で溢れています」
「ほう、それは?」
「“そろそろ5年か”、“次は何が来るのか”、“捌きやすいのだと良いな”。“臭くなければ尚良し”……遠方から戻ってくる冒険者も増えてまいりました。私自身は長年この領土を離れていたために忘れていましたが、これは、そろそろ“あの時期”ということでよいのでしょうか」
昨日聞いた、シオンさんとナバーの兄たちが戻ってきているという話も、この件が絡んでいるに違いない。
……まぁ、俺たちは残党処理しかしないだろうが。
俺から真相を求められたエノールミ領主は、椅子の背もたれに身体を預け、深く息を吐いた。
「そうだね。もう一月もしない間に、エノールミ湖ダンジョンから、招かれざる客がやってくるだろうね」
「君も解体に駆り出されるだろうから、その時はよろしくね」と、念を押されてしまった。……久しぶりに相対する襲撃者は、なんだろうな。
結局、一撃だろうがな。