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プロローグ

 パンッ、パンッ!


 領主が手を打ち鳴らし、シェフを呼ぶ。メイドが開けた扉の奥から、台車を押すシェフが現れ、計3台が続々と入ってくる。

 丸い銀の蓋を被せられた皿が俺の前に置かれる。妻のシオンちゃん、領主、夫人、お嬢様の前にも皿が置かれると、領主に自分で開けるように言われた。人を揶揄うこと、驚かせることが趣味な悪い人からの指示に良い気はしないが、正直持ってみたかったから、素直に蓋の持ち手を掴んだ。

 小さな領の、市井とも距離が近い領主とはいえ、男爵だ。貴族の言う“珍しい料理”。いったい何が出てくるのか。一つ息をついて、蓋をカパッと開ける。


「おお……?」


 蓋の中から現れたのは、白い皿の中央に鎮座する、茶色の、四角い何か。香ばしい香りがする。よく火が通されてるのは分かるが、焼き目らしいものは無い。

 なんだ? 話に聞くコートレットじゃないのか? あれもパン粉をまぶした肉なんかを、フライパンで焼きながら、多めのバターを回しかけて仕上げる料理だったはず。でも、これは……?


「これはエノールミ赤毛牛のカツ。パン粉を衣にしたものを、()()()()()()()()()()料理だ」

「たっぷりの油? アゲた?」


 油というのはもしや、モンスターや動物の肉の脂を抽出したものではなく?

 目を見開き絶句する俺を見て自慢げな領主は、更に笑みを深めた。


「もちろん、先程までマリネ液やスープにも使われていた、オリーブオイルさ。この手のひらサイズの牛肉が5つ、すっかり浸かるほどの油でじっくりと、オーブンで焼くように揚げたのさ」

「……」

「それはまた……。珍しいを超えて、平民の私たちには凄まじい贅沢ですね」


 目眩がしてる俺の代わりに受け答えしてくれるシオンちゃん。彼女は牛のカツとやらを目の前にして、笑顔だ。豪快なものが好きだものな、シオンちゃんは。


「さぁ、召し上がれ」

「いただきます。……フェルティくん、ほら」

「あ、あぁ。いただきます」


 皿にはカツの他に、千切りにした生のキャベツと玉ねぎを合わせたサラダが、カツの周りにはトマトソースが丸く添えられている。絵画みたいだ。

 ……冷める前に、いただこう。なるべく皿の音を立てないように、ナイフとフォークで切り分けた。


「──!」


 なるほど、これがカツ。サクッとした手応えと散った衣の欠片が、軽やかさを覚えさせる。断面は、おや、ステーキと同じくらいには赤みが残ってる。オーブンでじっくりは嘘じゃね? しかし、滲んだ肉汁が灯りに照らされてきらめいている。美味そうだ。

 まずは、何もつけずにいただこう。


「……おぉ!」


 な、なんだこれはーーッ!?

 切った時から感じていたサクサク感が、口の中でも小気味いい! 噛むたびに肉の中に閉じ込められていたジューシーな肉汁が溢れ、熱い旨みが口の中に広がる! ソースなしでもこれなのだ。下味の塩や、そもそもの肉が質の良いものなのだろう。そうだ、赤毛牛は赤身が旨い高級牛じゃないか!


 次は真っ赤なソースをつけて。──うん! トマトの旨みとスパイスの刺激、オイルの深みが足されて、更に旨くなった!

 これが、これが“カツ”か!


「素晴らしいだろう、この料理は」

「はい。油の海に浸かったはずなのに、油漬けのような油っぽさなどとは無縁で。トマトソースとの相性も抜群ですね」


 俺の感想に領主は「そうだろう、そうだろう」と深く何度も頷いて、カトラリーを皿の上でハの字に置いた。えっ。


 笑みを深めた領主は組んだ手に顔を寄せ、獲物を狙うかのような目付きで俺を見た。興奮していた体が、スッと冷えた。


「どうだい? 我が家専属凍らせ屋になれば、毎週、夕食会に招待しよう」

「なっ……?!」

「揚げ物の世界は、奥深いぞ?」


 こ、この贅沢な揚げ料理を、毎週だって?!

 いや待て、落ち着け。俺の喜びはなんだ?


「フ、フフフ……。わ、私のよ、喜びは、シオンちゃんとの2人きりの夕食ですので」

「おや、素敵じゃないか」


 そうだぞ、だから引け!


「ではこうしよう。月に一度、揚げ油を持たせよう」

「ぐっ!?」

「シオンから、2人で料理をして楽しんでいると聞いたわ。そうね、最初の3ヶ月はシェフを派遣しましょう」


 うぐっ、領主夫人まで説得に回ってきた!? って、揚げ油ってなんだ!? どれだけの量を一度に使うんだ?! それってどんだけ費用がかかるんだ!? レクチャーしてくれるのは助かる、だが……!

 お、俺は、シオンちゃんとの穏やかな時間を守る義務が!


「お、お話は大変、魅力的ですが……!」

「領主様」

「えっ」


 固い意志で勧誘を断ろうとした俺の右隣から、シオンちゃんが声を揚げた。夕焼け色の瞳は真剣そのもので──な、なんとも言えねぇ感情が!


「なんだい、シオンくん」

「納品頻度の変更や、報酬の増額度合いはおいくらでしょう」

「そうだね。今の週1回、金曜日に、第2・第4の月曜日を加える形で。増量もしてもらおう。報酬は5割増しでどうだい?」

「2倍で」

「揚げ油の分、引かせておくれ」

「8割増し」

「……シェフを派遣する間は5割、それ以外は7割増しでどうだろう」

「フェルティくんの弟子を募集することに、更なるご協力を」

「引き受けよう」

「ありがとうございます。良い取引でした」

「こちらこそ」


 少々怖い顔で交渉してた領主とシオンちゃんが、立ち上がって、俺の後ろで握手する。それを夫人とお嬢様が拍手でお祝いし、張り詰めていた空気は和やかなものに戻った。


「フェルティ、これからもよろしく頼むよ」

「あ、はい」

「しっかりしてね、フェルティくん。取れた弟子が成長するまでの辛抱よ」

「う、うん……」


 いや、まぁ。ウチの店はシオンちゃんがオーナーだしな。決定権はシオンちゃんにあるけども。


 シオンちゃん、俺との、2人っきりの時間はいいのぉ……?


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