太宰治SHOW『田山花袋「蒲団」』
「言ふだけのことを言つて聞くだけのことを聞く。その先きは何うにもならない。人間がどうにもならないやうに何うにもならない。(田山花袋『くつは虫』)」
味のしなくなったガム。捨て置かれるモノの代名詞とも言える、恋人の噛み捨てたそのゴミを、後生大事にしている事実を私だけが知るのならば、彼女を見る目もまた全然違っていたはずだ。それこそ後生大事にしただろう。
秘密の明文化程野暮なことは無い。
『ファニーゲーム』という映画がある。映画というものに大して明るくも無い私にも、好きな映画を尋ねてくる訪問者の一人や二人は在るのだ。所謂「胸糞映画」に分類されるそれがリメイクまでされ、ひねくれ者なりお尋ね者を今も魅了し続けるのは何故か。彼らは、ネタバレになるので詳細は控えるが、最後に明かされるそれを“秘密”と受け取ったのではないか。少なくとも私はそうである。だからこそ、「わかる人にだけわかればいい」等とナルシシズムたっぷりにほくそ笑み、“好きな映画”を使い分けることに独りカタルシスを覚えるのである。
諸君。私に映画の話をしてくれるな。おいそれは『パルプ・フィクション』じゃない! 『アメリ』だ!
閑話休題。花袋クンの『蒲団』である。正直同情を禁じ得ない。彼は『田舎教師』ではなかったのだから。藤村クンを『破戒』するならこれしかない。『蒲団』一択である。そのチャキチャキ都会の申し子っぷりは東横キッズも吃驚を禁じ得ない。
布団に伏せるのも悪くないではないか。黴でも生えるのなら素晴らしいことだ。
近来。ベッドの下に広がるは暗闇ばかりである。ベッドの下なくしてベッドの上は存在しない。闇ありき。跳梁跋扈する影の世ではメンヘラも陰キャも手を繋いで陽キャを煽っている。水木しげるも吃驚を禁じ得ない。
とうとうサケも戻らねばならぬ時が来てしまったようだ。だけどもう少し待ってほしい。探さねばならぬ。僕はメロスでありたいのだ。そのほかのことは、だから、川の流れのように。