夜更けの食事
語り手→芋虫
イ→芋虫
チ→チェシャ猫
「夜更けの食事」
妻はアップルパイを焼くのが上手かった。
元々裏の世界で生きている俺のような人間とは違って、真っ直ぐな、綺麗な目をした人だった。
正しいと思うことは正しいと言い、正しくないと思うことは正しくないとキッパリ言う。そんな高潔さに、俺は惚れていた。
チ「タバコって、そんなに美味しい?」
声を掛けられて、ふと我に返る。
数日前拾った、被検体のガキだ。
イ「お前の焼くパイよりはうまい」
チ「ひどいなぁ、卵の殻にだって栄養はあるんだよ?」
イ「お前はもう少し食に頓着を持て」
チ「おっさんの焼くパイだって酷いじゃん」
イ「お前のよりはマシだ」
妻と子が亡くなって15年、今でも忘れた日は無い。息子が生きてたら、ちょうどコイツと同じ年頃だろうか。
・・・妻が生きていたら、子供の前で煙草を吸うべきじゃないと俺を叱るのだろう。
煙草を吸わない貴方の方が素敵だと、その妻の言葉を聞きたいが為に、たまに煙草を吸っていた。
ただそれだけの為の煙草だった。
チ「おっさん、これなんの写真?」
イ「家族写真だ」
チ「これが奥さん?若いね」
イ「年の差婚だ」
チ「へぇー、じゃあ今、奥さんはどこに」
イ「いないさ、もう何処にも」
チ「それは、気の毒に」
イ「思ってもないことを言う必要は無い」
チ「・・・はは、奥さんが抱えてるのは、どっち?」
イ「息子だ」
チ「ふーん、息子も死んだの?」
イ「あぁ、空襲で焼けたよ、妻と一緒に」
チ「どうして情報屋に?」
イ「さて、どうだかな」
チ「俺みたいなリスクの塊を避けなかったのは何故?」
イ「俺みたいなおっさんについてきたのは何でだ?」
チ「おっさんが1番世間に詳しそうだったから」
イ「それで十分だろ」
チ「善良なおっさんですこと」
イ「俺は善良さ、お前が俺に害をなさない限りな」
チ「くたびれたおっさんをいじめたりしないよ、恩は感じてるし」
イ「期待はしないでおくよ」
被験体の実験も戦争も、全部馬鹿馬鹿しい。
こいつら被験体をみて、何にも感じないといえば嘘になる。
子供のくせに人が目の前で死んで眉ひとつ動かさない、飢えれば平然と人の肉を食らおうとする。
尋常じゃない回復力、筋力、異能力、やろうと思えば何百もの人間を殺すことができるだろう。
子供が勝手な国の選択で傷つくのは見ていられない、だけど、こいつらをただの子供として見るのはハイリスクだ。こいつは兵器として十分だ。近頃じゃこいつのような成功作の被験体がちらほら出てきている。
だが・・・そう簡単に割り切れるほど、俺も強くは無い。
人ならざる力を人が有しても、ろくな結果にはならないだろう。
・・・そういえば、近頃、古くからの友人の様子がおかしい・・・施設の事故にあった頃から、どうもあいつらしくない。被験体の成功例が出てきて、無理をしていないといいが。研究員なんて仕事、優しいあいつには向いていない。
イ「はぁ・・・」
チ「ため息は幸せが逃げるって本に書いてあったよ」
イ「さっさと寝ろ、明日も働いてもらうからな」
チ「食事と寝床分くらいなら働くよ」
こんな地獄でも、諦めて命を落とせば、きっと妻に叱られる。
妻ほど真っ当には生きられないだろうが、俺はこの命が終わる時まで、気長に生きよう。
バケツから声
「夜更けの食事」
語り手:芋虫
これは、原作のアリスから7年前のお話