第72話 瞬きの合間に
もういや、もうこりごり、最悪だわ、馬旅。
それも速足でずっとなんて、腿もお尻も腕もパンパン。
降りてもまっすぐ歩ける自信がないわ。
早く、早く帰りたいけどもう限界。
「モアディさま、少し休みませんか? お、お茶が飲みたいです」
振り返ってモアディさまにお願いしてみたけど、無言の圧にすごすごと前を向き直すしかなかった。
心なしか預けている背中が冷たくなってきたわ。
背中じゃなくて、腿やお尻を冷やしたい。
呑気にそう考えたとき、モアディさまが馬の脚を止めた。
「どうした?」
イリも馬を止めて寄ってくる。
「休憩ですか? はぁ良かった、脚が限界です」
まだ街まではあるけれど、店などなにもないただの道端だけれど、少しでも休めるならそれでもいいわ。
「ありがとうございます」
馬から降りるのに手を貸してくれるモアディさまに礼を言う。
城使いなせいか、モアディさまの方がイリより女の扱いが丁寧だ。
強引さはモアディさまだけれど、こういうときに自然に行動してくれる。
「ふぅ。あとどのくらいでつきますか?」
持たせてもらった水筒には、シスターが丁寧に入れてくれたお茶が入っていた。
お別れの挨拶をしたときに、変なこと言ってたな。
あの地方の独特のさよならなんだろうけれど、「いつも会えますように」ってちょっと変な言いまわしよね。
「イリも飲む? 美味しいお茶よ」
水筒には小ぶりの木の茶器が3つ添えられていた。
スハジャを救ったのだから、熱いおもてなしは当たり前かもしれないけれど細やかよね。
持たせてくれたのは、お茶以外にもある。
シスターたちが焼いてくれたという焼き菓子で、早くクリアリともお茶がしたいわ。
話すことがいっぱいある。
「お茶など飲んでいる場合ではない」
冷たい口調のモアディさまだけれど、馬を木に繋いでいる。
言っていることと行動が伴っていない。
「イリ、剣の手入れは?」
「あぁ、もちろんだ」
モアディさまの言葉に、一気に緊張感が出る。
イリはモアディさまのしたように、自分の馬も木に繋いだ。
「できるのか?」
「えぇ。 たっぷり注がれました」
「そうか、ならいい」
ふたりだけで完結した会話に、私は取り残される。
ぜんぶ聞こえているわけじゃないから、モアディさまのこの行動がわからない。
休むの? 休まないの?
一緒に行動しているんだから、私にもちゃんと説明をしてほしいわ。
「あの………」
どうするのか聞こうとしたら、モアディさまが手招きをする。
「はいっ」
近くに寄ったら、いきなり右腕を掴んて組んできた。
「な、なんですか!? え、イリ!?」
驚いている私の左腕を、今度はイリがガッチリと抑え込んだ。
「な、なに!?」
男ふたりがかりでは、か弱い私は振り払うことができない。
「落ちないようにしてんだ、暴れるな」
「は? 落ちない!?」
もしかして、私が馬に辟易しているからリチャードさんがやったように飛んで帰るってこと!?
そりゃもうアディさまなら、リチャードさんよりは安全に飛ばしてくれるだろうけど、それはそれですごく怖かった。
「ご、ごめんなさい。もうお尻が痛いとか言わない。馬はどうするの? ここに置いて行っちゃうの?」
「マドックが回収する」
あぁマドックさんがまた面倒事を押し付けられるのね。
帰郷したと思ったら、引き換えして馬回収なんて不憫な人。
「お願いですから、あまり高くは飛ばないでくださいね」
それにしても、なぜ急に飛んで帰ることになったの?
やっぱり私がブツブツ文句言うから?
「空を飛ぶなどしない」
モアディさまの声は、とても静かだった。
怒っているわけでも、焦っているわけでもない。
でも、そこにいつもはない緊張が含まれているのが、私にも伝わった。
組んだ腕から、冷気が伝わる。
モアディさまが魔術を発動するんだ。
「魔導空間を移動する。離れると、二度とそこから出られないからな」
「え? は、ま、くうかん!?」
聞いたこともない言葉を聞き返してしまったけど、さらりととても恐ろしいことをイリは口にしなかった!?
二度と出られないってなに!? 空を飛ぶより嫌なんですけどっ!!!
「一瞬です。怖ければ目を閉じていればいい」
「え、そういう問題ではなくて」
怖いのはそうだけれど、説明が少なすぎるのが問題で。
『闇よ この身を包み隠し給え 我々を………』
ちょっと! また人の話を最後まで聞かないんですけどっ!
詠唱に入ってしまったら、中断してはいけない。
そんなことは私だって知っている。
魔法が呪いとなって、詠唱者に跳ね返ってしまうからだ。
学園で学んだ。
魔族が出現したり、闇に引きずり込まれたり、その詠唱者の力によって変わるらしいけれど、モアディさまの力だと予想もできない大いなる闇の力で、巻き込まれて生きていられるかもわからない。
だから中断はしないけれど、これはあとで文句絶対言うんだから!
せっかくもらったお菓子、馬に乗せたまま!!!
私はぎゅっと、少しの光も通さぬほどに目を瞑る。
リチャードさんのときとは全く違う。
湿った生暖かいなにかに飲み込まれるような感覚のあと、息が吸えないような感じがした。
怖くて息を止めてしまったけれど、瞬きするぐらいのほんの一瞬だった。
纏わりついていた重い空気がなくなると、ふたりが腕を離してくれる。
「もう目を開けていいんだぞ」
見なくてもわかる、イリの笑いを含んだ声にムカムカしながら、私はゆっくり瞳を開ける。
「やっと帰れた」
何ヶ月も留守にしたわけではないのに、懐かしいと感じる。
庭に咲いていた花が、もう散っていた。
怖かったけれど、ふたりがガッチリ掴んでいてくれたし、目を閉じていて正解だった。
はなしを聞いたときは戻れなくなったらどうしようと焦ったけど、こうしてついてみると瞬間移動ってとっても便利ね。
感覚は気持ち悪いけれど、一瞬なら我慢できる。
「お疲れ様でした、送っていただき………え?」
お礼に頭を下げた瞬間、チャキっとイリが剣に手をかけた音がした。
びっくりして顔を上げると、イリが私の住む離れの方を睨むように見ている。
「え? あ、あの背中は………」
木の陰で見えていなかった扉の前に、ひとりの男の人が立っていた。
白い軍服のマント。
こちらには背中を見せているけれど、ユハスさまは剣を抜いていた。
「ユハスさま!? え? なに? ひっ………」
その剣には、純白のマントには、血がベッタリとついていた。
待っていてくれましたか? ただいま。
やっと帰ってきましたよ、クリアリに話さなきゃいけないことが………
あなたは誰派ですか? モアディさま、イリ、ユハス。全員謎だらけでどれも信じきれません、私なら。




