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敗北続きて審判となる

 音が鳴る、音が鳴る。蒸し暑い日曜の体育館、そこにあるのはドリブルの音、水を扇ぐ音、床に叩きつけられるバレーボールの音、小さく隠れたピンポン玉の転がる音、大きく割られたはみ出た音――――落とした玉がネットを潜り抜け、バスケ部の女子に踏まれた。

 最初は割って怒られるのが怖かったが、今となってはそれを踏んでか転んで怪我するかされるほうが怖い。あとは割れたときの尖った音と視線。


 しかしそんなのはすぐに消え去った。割った玉の数など覚えていない。人によってはそれが打った玉の数のほうが多いから気にも留めない物だろうが、きっと彼にとっては忙しいから忘れるのだろう。真面目ゆえの忙しさだ。


 もとより彼らには欲望などなかった。怠惰なものがあるのは違いないように見えたが、どうだろう。ともかく彼らは特に興味のない顧問に『やる気がない』と説教されても、反省の色はなかった。そういう年頃ゆえの反感か、あるいは窓ガラス割りたがる好奇心か。すぐにふざけるばかりだった。

 年上だから偉いのか、けれども自分たちがただ嫌な言葉が嫌なだけ。そもそも何が正しくて違うかなど、周りの人間の数でしか決められないか、それっぽいことを言うダメらしい大人を信じるかだった。

 

 「きっと日本は資本主義だから勝敗に強く拘る」

 「でも卓球が一番強いのは中国だぞ」

 「てんあんもん――――スマッシュ!」


 いつもはふざけていた彼らだったが、最後の大会が近づくといつもよりは静かになっていた気もした。儚からずそこに悔しさや熱望があったのだろうか。決して叶わないと知っていながら、罪悪感と無力感を隠すためか、いつもの大会後の早く帰れるという安楽感では埋まらないと悟ったか。

 けれどもそれは大きく関係はなかった。誰よりも真面目で、けれども誰よりも弱い彼にとっては。団体に意味などなかった。


 現実は現実のままだろう。どれほど渇望しようと、どれほど夢を見ようと、どれほど正しい理念を掲げたとしても、摂理に則って起こるのみ。すなわち天才であっても努力したものには勝てはしない。そして負けたものは天才であっても凡才となる。またそれに拘れば盲目となる。

 かつては互角であった対戦相手も軽くあしらわれ、碌に対策のない脳無しはすぐに審判をするのみである。

 最後の大会となっても彼がする仕事は一回だけの敗北と、一回だけの審判。しかし今回となっては幾たびの傍観だろうか、玉が揺らぐほどに泣き崩れて紙を捲っていた。

 現実は現実のまま、理性では抗えない感情は勝手に彼を泣かせた。あるはずのない敗北による劣等感と悔しさと、拭いきれない三年の焦燥感――――負けて悔しいのなど当たり前だったのだ。抑えられることもなく。


 そうしてそれより彼は負け続け、今となっては戦う機会すら恐れ、ずっと審判となっては苦言を空に浮かべるばかりである。実に滑稽である、本能はそう殴りつけては、彼の腹を痛めては眠らせる。

 ただそこに悔しさは無い。むしろ消え褪せてしまった、いや、どこかに埋めてしまったのだろう。その記憶あるならば摂理として悔しさに潰れてしまうから。その間の記憶はもはや無い。


 彼の言っていることは正しいのかもしれない。『才能と環境で人生が恵まれるのか決まる、全ての人間は機械と変わらず、また動物以上に意味はない。またそこには快楽しかない』と、彼は何度も思い浮かべては通り過ぎる車の群れを窓から眺める。

 大概人生を楽しんでいるのは恵まれた人間だけだ。産まれた時から才能がある人間だけだ。凡人は資本家に飼われて生きるしかない、奴隷と変わらない。そして勝者は支配することが許される。実に動物らしい。

 ここまでみすぼらしくなって、汚らわしくなって、彼は自身の考えを改めることは消してないだろう。正しいことを信じる、それこそが人間的ではないか。

 では彼は窓の奥、友と歩きながら自転車を押す学ランに同じく摂理を言えるだろうか。


 所詮、学生は馬鹿に過ぎない。大人からすれば妥当である。意味も分からぬ行動、理に適わない言動と執念、他人と比べては怖がる弱さ。また不安。

 誰かは髪を染めては弱気な子を殴り、誰かは寂しさ恐れ球を蹴り、誰かは早い帰路に目を付けられぬようにと玉を打った。最初はそうであっただろう。なのになぜ泣いているのか、そこまで劣等を抱いたのか。そもそも初めから間違っていた。


 ある日の帰路であった。彼は笑っていた。すでに何度も負けていた。けれども楽しく下らない話を友達として夕陽を歩いていた。

 寒い季節となれば日もなく、暗い場所を一人歩く時もあっただろう。だのにそこに恐れはなかった、肌寒さはあっても、不良よりも恐ろしい影に怯えることは一度もなかっただろう。


 余るところ敗北感など大したことなかったのだ。少なくとも彼にとってはどうでもよかった。なぜならそれよりも多くの楽しみがあったのだから。

 目薬を差さなくてはならなくなった大人となって、今もなお忘れなかったのは、たまに思い出しては悔しむのは、負け続けたところよりも今は無くなった声だろう。乾いた目にはひどく傷む。



 大会の後、私は自転車のカギを無くし、二人の友と交代で自転車を担いだ。その中には一番卓球の上手い友もいた。帰る方向が一緒というだけで、彼は提案してきた。正直、アホかと思った。私は親に連絡するか、家まで一度帰って控えの鍵を取ってくるかが普通だと知っていたからだ。

 たがその日、交代で担いでいった。かなり重かったのを覚えている。動かない自転車の後輪をあげて、引きずっていった。入り組んだ道、横断歩道、急な上り下り坂まで。

 無事に僕の家まで自転車を運んで、彼らに「ありがとう」と言って、解散した。

 思えば提案してきた彼が最も自転車を持っていた気もする。僕はひ弱だったから。けれどきっと僕がそうであったから、今も忘れぬ記憶があるのだろう。


 優れていたか、劣っていたか。私にとってそんなのはどうでもよかった。初めからそうであった。

 こうして残っているのは勝敗の快楽よりも、ただ優しく楽しかった、どうでもいい日々のほうだったからだ。

 ならば彼は自転車を押す子に言う事は無いだろう。何も。


――――でも強かったら彼の審判ができたのか。一番近くで見れたのか。

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