看板並ぶ街にて
私がこの町に来た理由はすでに霞んで思い出せない。だから自分の名誉のための復讐だったり家族を守るための正義でもない、適当な理由だったのはなんとなくわかる。その癖に毎日毎日訪れては何かを置いて行って不思議なものだ。弱い動機なら弱い行動があるべきだろうに。
ただこういうのはよくある性格だった。僕は計画なしに遊びに行く質であって、いやもっとひどい、駅を一つ一つ降りてここが遊べるかどうか確かめるほどであって、この町もそうして見つけたものだった。
目的というよりは気持ちが先にあって、それを叶える場所はどこでもよかったのだろう。そこでしか叶わないとしてもどこでもよかったのだろう。やはり不思議なものだ。
正直、町の第一印象は良くなかった。モニター越しに存在は耳に触って、近づくたびに噂が目立って、心配は少なからずあったのだが、駅を出て同じ色の看板ばかりを目に通したとき、抱えた心配の種は嫌悪の花を咲かせていた。
同じものしか置いていない町はつまらない。だから自分と合わないのなら嫌悪を抱いた――――わけではない、本質的にはそうではない。何故この町が存続しているのかが酷く異様で、その非自然的なあり様から来る強い混乱に不快を覚えたからだ。
ならばすぐにそんな町、去るべきだろう。だのに私はこの不快感を払拭しようと駅の外に走った。空腹の犬がいい匂いに釣られて駆ける格好で、私は臭い駅前から離れた、その感情もあった。
そうして小さな空き地まで辿り着くと、私はすぐに胸から何かを吐き出し、それを気のままに組み立てると、逆さまの看板を立てていた。薄黒いメタリックの外観の家だ。
私はそれだけ置いて、町を去っては、次の日にはまた家を彩った。品を増やし、味を机に置いた。また次の日も、次の週も、次の年も――――、
このようにして私がこの町で右往左往するようになった。気づけば空き地はチョコレートの家や時計仕掛けの博物館に変わっていた。一体、どれほど建てたのだろうか。考えながら作っていたとはいえ、気の向くままにやっていたような気がする。けれども私の嫌悪は未だに隅にあっては、行き来する駅にて膨張し心を切り裂こうとしてくるのだ。
時に必死となり、時に打ちひしがれながらも、いくつも町に何かを置いてきた。置き続けてきた。けれどもこうして――――廃墟ばかりに心象される私の家々――――やり切れない胸の内が今にあって、私は駅前の看板を読まずして嗚咽するほどに気迷っている。ながらも身体は勝手に動こうとする、まるで切れた蛸の足のようだ。
こうも町を行き交って私は何を望んでいるのか。いつの間にか抱いた理想の首に死神は鎌をあてて、私に問いかけるのだ。「なぜ街に行くのか」と何度も。
きっと初めての頃は迷わず答えられていたものが、今の末になってどうにも心が引きつってわからなくなってしまった。
この現代において町は様々。人を集めて何かをする部分は同じであっても、林檎か蜜か粉か、何を渡し合うのかが違う。隣りの町では血を渡して、日々の楽を分けて貰ったり、あちらの町では数枚の金貨と引き換えに、耳を貸してもらうらしい。
この町の場合は、模造品と名誉、あるいは夢なのだろうか。ここの人は寂しさ紛れに嘘を吐き垂れるか、小遣い稼ぎしているように思える。少なくとも駅前の人間はそうして諂っているように私には見える。
最初からそうだったのだろう。駅前は変わらず、外も変わらず、この町はそういう街だったのだ。何を期待する必要があったのか――――青空、駅前を通り過ぎる鳩の群れは今日も止まらず。
時間はかかっても金は掛からない。名はばらけても金は小銭程度だろう。この街になにを求めるのか。何を求めてきたのか、私は通り過ぎていく人々――――若き心抱いて嬉しみ浮かべる――――を冷めた目で眺めていた。
「金にならないのなら、外で廃墟になるだけならば、何の意味があるのだろう。ここにあるのは精々、淡い夢を偽る人間臭を詰めた欲望と崩れ去るだけの瓦礫の山だというのに」