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月の墓守

作者: 村崎羯諦
掲載日:2023/09/09

『Grave on the Moon(月の墓)』

──────星の彼方、心の近く。


この世のものとは思えない永遠の安息の地をお探しですか?

あなたの愛する人のため、私たちは美しく洗練された墓地を提供いたします。


★ 手間いらず

あなたがやることは、死体をいれる棺を用意することと、私たちに連絡をすること。それだけ。

配送員が教会までお迎えにあがり、あなたの愛する人を月面までお届けいたします。


★ 経済的

地球の土地が不足している一方、月には足を伸ばしてゆっくりとくつろげるだけの土地が多く残されています。

月の重力は弱いですが、月の贅沢を地に足の着いた価格でお楽しみください。


★ 永遠の存在

あなたの愛する人に会うため、頻繁にお墓を訪れる必要はなくなります。

なぜなら、あなたが夜空を眺めるたびに、大切な思い出が蘇るのですから。


★ 無料見積もり

永遠がどれほど手頃な価格で手に入るか、私たちに気軽にご相談ください。

見積もりは無料です。


星空の下で眠ることができるのに、なぜわざわざ狭い地球上に落ち着かなければならないのでしょうか?


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e-mail: XXXXX@XXX.XXX






*****






 僕は宙を見上げる。指定時刻から数十分ほど遅れてようやく、今日届く予定だったロケットが棺を乗せてやってくるのが見えた。僕は重たい腰を上げ、大きく伸びをし、身体に血を巡らせるために深く深く息を吸った。


 人間が居住可能な土地に開発されて以降宇宙服なしでも過ごすことができるようにはなったけれど、今でも地球と比べると月の酸素は薄い。少しでも激しい運動をすると地球でいう喘息みたいな症状が出るし、遮るものがない地上では、昼は砂漠のように暑くて、夜は冷蔵庫の中みたいに寒い。仕事とはいえ、月に住むなんてどうかしてる。みんな口を揃えてそういうが、僕自身はこの月での生活が気に入っていた。なぜなら、僕がいる、このアストラフィーガン区画には、僕の他には死んだ人間しかいないから。そして、僕は死んだ人間が好きだ。なぜなら、死んだ人間は僕を殴ったり、罵ったりしないから。


 砂の海を泳ぐように月面を進み、時折遮るものが何もない空を見て、深いため息をつく。数年前にコストダウンされて制御装置の性能がガタ落ちした無人ロケットは、指定着陸地点から数百メートル離れた場所に落下していた。僕はロケットハッチ入口横のコンピュータに認証コードを入力し、中から死体が収められた棺を取り出す。棺を吐き出し、そのまま自動運転で再び地球へと飛び立つ準備を始めるロケットの横で、僕は棺の表面に掘られた『シャーロット』と書かれた文字をそっと指でなぞった。


「かわいそうに、シャーロット。昔はママ、ママと両手を伸ばして駆け寄ってきた可愛い子供達が、老いて醜くなってしまった君の皺だらけの手を払いのけ、死んだ後には誰もいない月へと追いやるんだから。でも、気にする必要はないさ。ここのお墓に眠ってるのは、君と同じように孤独で可哀想な人たちばかりなんだ。地球ではどうして自分がこんなに不幸なんだんと嘆いていたかもしれないけど、不幸な人に囲まれてさえいれば、きっと気持ちは軽くなるさ」


 個人情報保護の都合上、月の墓守である僕に伝えられるのは、棺の表面に描かれたその人の名前だけ。この棺の中に入っている人間が男の骨なのか、女の骨なのか、老人の骨なのか、子供の骨なのかもわからない。だから、僕は勝手に棺の中で眠っている人の人生を想像する。想像して、哀れんで、大変だったねと話しかける。頭がおかしくなってるとは思ってない。誰もいないこの月の上では、おかしいかおかしくないかを比べる誰かすらいなかったから。 


「そうだよ、シャーロット。ここには僕しかいないんだ。驚いただろう? 昔は月に最低三人はいたらしいんだけど、人件費の削減で一人だけで十分だって判断されたらしい。ここには遊びに行く場所もなければ、僕に話しかけてくる人間もいない。墓を掘って、棺を埋める以外、何もすることがない。もちろんこれもお仕事だから、高いとは決して言えないけど、給料は出ている。でもね、何せここにはお金を使う場所がないから、貯まる一方なんだ。これだけのお金をいったいなんに使えばいいのかも、全く思いつかないし、そもそも考えようって気持ちにもならないんだ」


 指定された区域まで棺を引きずっていく。そして、それからお墓を掘るために作られた機械に必要な情報を入力し、開始ボタンをゆっくりと押す。機械は少しだけそのままゆっくりと時間をかけて正確な広さと深さの穴を掘っていく。その後、僕はその穴に棺を納める。それから、再び機械のボタンを押して、穴に収められた棺に砂がかけられていくのをただ黙って見届ける。


 機械が砂をかけるたび、月のか弱い重力に逆らって砂埃が舞い上がり、僕の視界全体にベージュ色の靄がかかる。少しずつ、時間をかけてみえなくなっていく棺を見ながら、俺は「おやすみ、シャーロット」と別れの言葉をかける。棺が見えなくなったところで、僕は機械のスイッチを切る。機械の駆動音が小さくなっていって、周囲が再び静寂に包まれていく。俺はシャーロットのお墓に十字架を立て、それから宙を見上げた。ちょうど僕の真正面には青々とした地球が昇っていた。砂埃の向こう側に、見えたその地球は、反吐が出るくらいに綺麗だった。






*****






 僕の兄貴が死んだ。地球から転送されてきたのはそんな簡潔なメッセージ。そして、そのメッセージの下にはこんな文章が続いていた。


『身寄りもいなかったので、墓は月に作ることになった』


 差出人はかろうじて名前を覚えているくらいの遠い親戚で、彼(ひょっとしたら彼女かもしれない)は、僕が月で墓守をしていることを知らない。それなのに、どうしてこんなことが起こり得るんだろう。それはまるで、逃げるように地球から月へやってきた僕を、まるで兄貴が追いかけてきているみたいに思えた。


「久しぶりだね、兄貴。兄貴も僕が月にいるなんて知らなかったよね。きっと兄貴は驚いてるだろうけど、僕はその何十倍も驚いてる。何せ、もう一生会うことはないだろうと思っていた兄貴と、こんな場所で会うなんて思いもしなかったから。あ恩知らずと罵ってくれてもいいし、昔みたいに殺してやるといいながら首を絞めてもらってもいい。でも、ここは月なんだ。死人は死人らしく、おとなしく墓に入ってて欲しい」


 久しぶりに会った兄貴は棺に入れられていた。棺を開けて中を確認することはできなかったけれど、それでも目の前に兄貴がいるという事実だけは疑いようがなかった。棺に掘られた兄貴の名前をそっと指でなぞりながら、僕は兄貴に語りかける。


「嘘かと思うかもしれないけど、兄貴には感謝してるんだよ。もちろん今でも大嫌いだし、心から憎しみを抱いてる。もちろん、親父とお袋が事故で死んで、その後兄貴が僕のために全てを捨てて養ってくれたことはわかってる。夢だった大学も諦めたことも、愛し合っていたリズと別れたことも、プライドを傷つけられながら埃臭くてトイレの匂いがするレストランで働き続けたのだって、すべては僕を養うため」


 僕は兄貴の棺を引きずりながら月の上を歩いていく。砂浜のように白くて細かい砂の上に、僕の足跡と棺が引きずられた軌跡ができていく。宇宙は静かで、月は広かった。僕の目の前にはちょうど地球が上っていて、星は休むことなく輝き続けていた。墓地につき、指定された区画の前で機械のスイッチを入れる。機械の駆動音と共に土埃が舞い始める。僕は兄貴に棺の上に腰掛けて、機械によって墓が掘られていくのをじっと見届ける。


「感情が邪魔をするんだよ、兄貴。どうして、どうして神様はこんなもんを作ったんだろうな? 兄貴のしてくれたことにただ感謝して、過去にあったことを全て水に流せば、それで済むはずなのにさ」


 棺を墓に入れ、僕は兄貴の名前が掘られた十字架に立てる。深く息を吸うと土埃で喉が痛くなる。記憶の中の兄貴は半分以上、泣いているか、怒っているか、頭かがおかしくなっているかだった。


 僕たちが二人暮らしを始めてからちょうど一年が経ったくらいの頃。孤独だった僕は近所で捨てられていた犬を拾ってきて、兄貴に内緒で家の後ろでこっそり飼い始めた。でも、一週間も経たないうちに、それが兄貴にバレて、僕はいまだに傷の跡が残ってるくらいに、身体中をボコボコにされた。殴られ、蹴られ、つねられ、叩かれ、俺の人生を返してくれと泣きながら言われた。僕は痛くて、悲しくて、兄貴を憎んだ。どうして自分だけがって、本気で思った。一日でもこの地獄から、目の前の悪魔から逃げたいって、強く強く決意した。


「でもさ、不思議なもんだよな、兄貴。一緒にいる時は嫌なこととしか憎しみしか感じないのに、地球と月くらいに離れていると、楽しかったこととか幸せなことばっかり思い出しちゃうんだ」


 兄貴が月の埋葬されてからも、僕の墓守としての日常は続いた。地球から届けられる棺をロケットから取り出す。取り出した棺に話しかけながら、墓場まで持っていく。機械のスイッチを入れる。掘られた穴に棺を埋める。その繰り返し。もちろん今までと同じように埋められている人間に話しかけたし、そこに大きな変化があるわけではなかった。それでも、ふと気がつけば僕の足は兄貴の墓へ向かって、その墓の前でただじっと立ち尽くすようになっていた。


 一緒に住んでいた時、兄貴はよく眠れずにいる俺のためにその場で考えたお話を語ってくれた。学も教養もなかったから教訓や含蓄もなかったし、結末はいつだって都合が良くて、矛盾だらけだった。美しくて大嫌いな地球を誰もいない月の上で見ていて思い出すのは、なぜかその時の記憶。その度に、もっとああしておけばよかったとか、別の道もあったんじゃなかったとか、そんなことばかり考えてしまう。嫌いだけという感情だって本物なんだから、たとえ過去に戻れたとしても、きっと同じことを繰り返してしまうはずなのに。


 心の中に巣食う感謝と罪悪感が、兄貴に対する感情を僕をかき乱す。そして、そんな僕をまるでどこかで見ていたみたいに、地球から、例の遠い親戚からの転送メッセージが届く。


『君の兄が死ぬ前に言っていたらしい伝言を知らせる。すべては状況と確率のせい。()()()()()()()


 僕は兄貴の名前が彫られた十字架そっと手を置く。きっと親父とお袋が死んだり、兄貴がいろんなことを諦めることがなかったら、きっと僕たちはどこにでもいる兄弟にみたいに仲良くなれたんだろう。ただ、僕たちの人生がたまたまこんなだったからというだけ。結果はどうであれ、僕たちは自分たちの人生を生きて、決断してきた。そのことは、きっと神様にだって責める資格はないんだろう。


 僕は兄貴の墓の前で座り、いつものように宙を見上げた。静寂は深く、皮膚の内側へと染み込んでいくような気がする。地球は相変わらず大きくて、泣きたくなるほどに美しかった。この誰もいない月の上では、たくさん孤独な人たちが眠っている。だけど、その上では無数の星々と青い地球が真っ黒な宇宙を背景に光り輝いてくれていた。


「あのね、兄貴。報告しておきたいことがあるんだ。この仕事を始めてからずっと使い道に困っていた貯金を使ってさ、兄貴の隣の区画に自分の墓を買ったんだ。まだ当分死ぬことはないだろうけど、昔みたいに隣で眠て、くだらない話を聞かせて欲しい。生きている間は人生が邪魔してうまくいかなかっただけ。きっと僕たち、死んでからの方がずっと仲良くなれるはずだから」

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