もう、逃げられない
その姿を見た瞬間、ミリーナは思い出した。
自分がかつて魔王の娘であったことを。そして、父諸共勇者に殺されてしまったことを。
この国では珍しい真っ黒な髪に、金と銀のオッドアイ。人形みたいに整い過ぎた美貌には薄い笑みが常に貼り付いており、女性的な魅力を兼ね備えた鍛え上げられた肉体は芸術品のよう。
彼女の名前はリンデル。ブルマール王国に四家しかない公爵家の一つ、サンタリア公爵家のご令嬢である。
王子様よりも王子様然としたその姿は、貴族令嬢たちからキャーキャーと黄色い歓声を向けられる程のもの。
ミリーナよりも二つ上の三年生であり、去年の冬に起きた大規模な魔物たちの大侵攻――大きくなり過ぎた魔物の群れが本来の生息地を出て、人の住まう場所へと押し寄せてくること――をたった一人で終息させた、魔法と剣術どちらにも優れた天才。
その功績により、卒業と同時に子爵位と小さいながらも領地を賜ると聞いている。
さらには国の花形職とも言える宮廷魔導師にならないかと、国王直々に打診も来ているそうだ。
前の時もそうだったけれど、ついつい見惚れてしまう程の麗しき男装の麗人でありながらこの優良物件ぶり。
この国では同性婚も認められているため、ご令息たちだけでなく彼女の美貌にやられたご令嬢たちからのラブコールも凄まじい。
ミリーナも何も思い出さなければ呑気に凄い人だなぁと、その麗しき姿に見惚れていただろう。
しかし、今は見惚れてなんていられない。そんなことをしてうっかり見つかりでもしたら、大変なことになりかねない。
かつて己を殺した勇者と全く同じ姿を見つめながら、ミリーナはガタガタと震えた。
(勇者じゃん!? 勇者いるじゃん!?)
おかしい。人間は魔族と違ってそんなに長命ではないはずだし、そもそも勇者は公爵令嬢ではなくただの平民だったはず。
もしかして勇者は人間の寿命すら超越しやがるやべえ生き物なのだろうか。いやいや、そんなはずはない。勇者だって人間だ。長くても百年前後しか生きられない。……はずである。
じゃあ他人の空似……なわけがない。生存本能が全力で「逃げて!! 超逃げて!!」と叫ぶレベルの、あの圧倒的なまでの強者のオーラはかつて父とミリーナを殺した勇者のものだ。
そもそ下手をすれば町どころか国すら滅ぼしかねない厄災を、一人でしかもほとんど被害らしい被害を出さずに終息させることができる人間なんて、それこそ勇者以外に有り得ない。
というわけで考えられる可能性は、魔族から人間に生まれ変わってしまったミリーナと同じように、勇者も死んで生まれ変わってしまったということだろうか。
前の時と全く同じ姿、同じ力を持って。そんなことってある?? あっちゃったから元平民の勇者が公爵令嬢なんかになっている。
(やだやだもう何で勇者いるの!? 人間に生まれ変わっちゃったのはいいけど、何で勇者いるのほんとなんで!?)
ミリーナにとって勇者の存在はトラウマだった。
殺されたからというのもあるけれど、殺される前になんだかものすごく怖いことをされたような、そんな気がするのだ。
逃げなければと、ミリーナは半泣きになりながら女子寮へと向かう。
今のミリーナは子爵令嬢で、王国の魔法学園に通っている。
学園は広い。だから噂話を聞くことはあっても今の今まで勇者とすれ違うことはなく、その存在に気がつかなかった。
でも今気がついてしまった。そしてついでに前の記憶も思い出した。
そしてこれは直感だが、あちらもミリーナと同じく前回の記憶を持っている可能性が高い。恐ろしいことに。
ならば選ぶ選択肢は逃げ一択。自分を殺した人物がいる所になんていたくない。
あと前の記憶を思い出して、ミリーナの今の家族がたいへんクソなことも理解できてしまったから、余計逃げなければと強く思う。
だって学園卒業したら、あのクソ両親はミリーナを金目当てに肥え太ったやべえ性癖持ちの変態伯爵に身売り、もとい嫁がせる気なのだ。
それが当然というか、その道以外自分には無いんだと諦めていたというか、諦めさせられていた記憶思い出す前の自分に涙が出そうになった。嘘である。もう既にちょっと泣いている。
かつての父とどっこいどっこいのクソさ。あの父は変態に嫁がせるようなことはしなかったけれど、毎日暴言暴力を振るってきたクソである。
一体何度死ぬような目に遭ったか分からない。父の配下たちは死にかけるミリーナを見てはせせら笑い、時には魔法の練習台にまでしてくる始末。
唯一味方してくれた乳母がいなければ早々に死んでたし、これが真っ当な扱いじゃないことも理解できず仕方ないことだと諦め、酷い死に方をする羽目になっただろう。
この世はマジでクソだと、ミリーナは死んだ目になった。
生まれ変わる前もその後も、家庭環境が終わっている。しかも勇者までいる。
世界は完全にミリーナのことを見放していた。元魔王の娘なので仕方がないのかもしれないけれど。それにしたって酷い。
クソッタレな世界に恨み言を吐きつつ、寮の自室で逃げるための支度をする。
キャリーケースに着替えと、頑張って貯めていたお金の入った皮袋を突っ込み、ワンピースに着替える。逃げるなら真昼間よりも夜の方がいいだろうが、夜になるまで待ってなんかいられなかった。
幸い今日は午前の授業までで、昼からはお休みだ。ちょっと外に出かけてくる体で行けば大丈夫だろう。
ばっくんばっくん煩い心臓に急かされるように部屋を出ようとドアを開ければ、何故かそこににっこり笑顔のリンデルがいた。
「顔を見るなり逃げ出すなんてひどいなぁ」
「ひぅ」
情けない悲鳴を上げ、驚愕と恐怖に腰が抜けてしまったのかへなへなとその場に座り込む。
なんで、どうして。
ぐるぐると疑問が頭を駆け巡る。
なんでここにいるの。どうして顔を見てなかったはずなのにこっちに気がついたの。
はくはくと動く口はなんの音も出せなくて、破裂しそうなくらい早鐘を打つ心臓は全力で命の危機を訴えてきた。
聞かなくたって分かる。分かってしまう。
前とは全く違う容姿なのに、彼女はミリーナが何者であるのか気がついてるのだと。
それは彼女が勇者であるからか。それとも、別の要因か。
「……な、なん、で……」
「あの時言っただろう? 死んでも君を忘れないって。また君を見つけ出してみせるって。まさか、覚えてない? だとしたらすっごく悲しいんだけど……まあいいや」
とても自然な動きで片膝をつく。
白い指でミリーナの頬を軽く撫で、それから顎を掬われた。
ゾッとする程に綺麗な瞳から、目が離せなくなる。
「可愛い可愛い僕のお姫様。また前みたいにたくさんたくさん愛してあげる。たくさんたくさん可愛がってあげる」
どろりとした甘い優しい声が、恍惚に染まる仄暗い瞳が、とてつもなく恐ろしい。
カタカタと体が震える。離れようと、逃げようと、身じろぎした瞬間、伸びてきたら腕に拘束された。
金と銀の瞳が咎めるようにミリーナを見下ろす。
「だから、逃げるな」
低く冷たい言葉の後に、唇を塞がれた。
(『また』、逃げられなかった……)
侵入してきた彼女の舌に口の中を好き勝手に蹂躙されながら、ぼんやりとそんなことを思った。




